インナモラートの微熱2度03



「別にいいけど」
 駅から離れて大通りから外れたせいか、あまり歩いている人はいないが、すれ違った二人組みの女にまじまじと見つめられて、渉は清水と一緒に更に細い路地に進んだ。
 そこを抜けると、小さな公園が目に入る。
「清水。そこで休憩しよぜ」
「そうだな」
 そこまで歩き回ったわけでもないのに、酷く疲れた気分だった。
 清水も同じ気持ちだったのか見つけたベンチにどかりと座ると、だらんと背もたれに寄りかかって大きく息を吐いた。渉も同様に腰を下ろす。
 公園はビル街の中で社会人の憩いの場として作られたのか、ベンチの数は多かったが子供向けの遊具はない。
 土曜日で中途半端な時間のせいか至って静かで、渉と清水以外に人気はなかった。
 しばらく清水と同じ体勢で空を見上げていた渉だったが、清水が動き出したことで視線をそちらに向ける。
 無言でベンチから離れていく清水をただぼんやり見守っていると、出入り口に設置されていた自販機で何かを買っていた。
 戻ってきた清水にお茶の缶を手渡されて、礼もそこそこに一気に煽る。
 喉を通る水分が、余分な熱を冷ましていくようだった。
 缶コーヒーを買った清水は、それを飲まずに手の中で転がしている。
 会話はないが、渉はなんとなく清水と通じ合ってるような気分になった。
 まず、清水はあの有馬とやらに会いたくなかった。
 なのに会ったことで酷く気分を損ねている。
 休憩して落ちた分のモチベーションを上げようとしてる。
 そんな気がした。
 いつも余裕のある男のしょげた姿は愛嬌がある。
「清水」
 渉は少しだけ悩んだが、隣に手を伸ばしてわしわしと頭を撫でてやった。
 すると、清水は酷く驚いた顔になる。

 それから。

 子供がお菓子をもらったときのような、蕩けそうな甘い笑顔に変わった。
「長谷川、映画でも見に行かないか」
「へ?」
 普段清水が物事を途中で放り出すことはまずありえない。だからその提案に渉は訝しげに清水を見つめた。
「必要なものは大体買ったし、あとは帰りに寄ればいい」
「でも」
「買い出しには付き合ってくれるのに、僕と遊ぶのは嫌?」
 身を乗り出してくる清水に脳が沸騰する。
 自分でもどうしてこんなにテンパッてるかわからない。
 渉が答えられないでいると、清水は距離を詰めて手に、手を重ねてきた。
 自分の手の甲を暖める清水の体温に、息が詰まる。
 手を見ていた渉は、ゆっくりと清水を見つめた。
「暗くならないうちに帰すから、いいだろ渉」
 急に名前を呼ばれたこともさることながら、気にしている時間のことを出されて渉の鼓動が跳ね上がる。
 清水に気遣われることに反発を感じることは全くない。
 むしろ喜びの方が大きかった。
 目が合った清水の顔から表情が消えていく。
 残ったのは、熱っぽい眼差し。
 ゆっくりと持ち上がった右手が渉の頬を撫でる。
 息が詰まって呼吸が出来ない。
 それでも、張り詰めた空気は嫌じゃなかった。
 距離が近い。顔を僅かに傾けた清水が目を閉じる。
 渉もそれにつられて瞳を閉じて......。
 僅かに吸い込んだ香りに、渉は清水の肩を掴んで押しのけていた。
「渉?」
 匂いが違った。爽やかな果実の香りではない。
 絡みつく甘ったるいその香水には覚えがある。
 ついさっき嗅いだ、有馬という男のものだ。
 考えてみれば、さっき会ったときに男は清水に抱きついていた。
 手を握っただけで感じた香りが抱擁で移っても仕方がないことだ。
 抱き合った時にあの男は何をしていた。
 楽しそうに会話をして、清水のうなじにキスをしたんじゃないのか。
 ......単なる知人が、そんなことをするわけない。
 前に目撃したうなじのキスマークを思い出す。
 それを見て、恋人がつけたものだと思ったことも。
 嫉妬からくる牽制だろうと結論付けたところまで思い出して、渉は立ち上がった。
「どうした」
「帰る」
 くるりと背を向けて清水を見ずに出口へと早足で向かう。
「渉!」
 態度が急変した渉に、清水が追いかけてその腕を掴んだ。
 強い力でその手を振り払い、渉は清水を睨みつける。
「名前で呼ぶんじゃねーよ。近づくなホモ野郎、気持ちわりいんだよ!」
 拒絶が、ぼろぼろと言葉になって口から溢れてきた。
 目を見開いた清水はきゅっと唇を結ぶ。
「でも、渉は嫌がってなかった」
「うるせえ!!死ねよばーか!!」
 言いたいことだけ言って、渉は駆け出した。
 走って人通りの多い道に出ると、人にぶつかりそうになりながら駅を目指す。
 無性に悔しくて悲しくてどうしようもなかった。
 傾きかけていた気持ちを見透かされて、それを良いように扱われた気分だ。
 苛立った気持ちのまま電車に飛び乗る。
 ポケットに押し込んだ携帯が振動して着信を知らせていたが、渉はそれを見る気になれなかった。
 さっきとは違う苦しさで、息が出来なくなる。
 鼻の奥がツンと痛んだ。
 高ぶりすぎた感情が、勝手に涙腺を緩めようとする。
 それが嫌で渉はじっと電車に乗ったまま、窓の外を睨みつけていた。
 ただ清水から離れたくて飛び乗った電車は、自宅の方向には向かわないものだったが、動いたら涙が零れ落ちそうで動けなかった。
 睨んだまま知らない駅をいくつも通り過ぎていると、不意に見慣れた看板に気づいた。
 それは平祐が通っているボクシングジムのものだ。
 それを見た途端、渉は閉まりかけていたドアから急いで飛び降りていた。


←Novel↑Top