インナモラートの微熱5度06



 前夜祭を兼ねたその日は、授業が午前中で終わる。午後は飾りつけと全校集会で終了だ。
 午前中の授業が終わった時点で、渉は帰宅するつもりでカバンを手にしていた。
 昼食のパンを取り出して振り返った清水が、僅かに眉根を寄せる。
「帰るのか。......具合でも悪い?」
「いや。サボり」
 文化祭当日はぶらぶらと学校を見て回ってもいいが、今日はもうすることがない。
 全校集会にだけ出席するために時間を過ごすのは無意味に感じられた。
「サボりは駄目だろう」
 清水がやんわりと渉を諌める。肩をすくめて渉は首を横に振った。
「別にやることねえし。だから帰る」
 渉の言葉に少し教室がざわついた。
 「今の嫌味かよ」なんて声が届く。
 嫌味だよ、と言ってやりたい気持ちもあるが正直面倒だ。
「そうか」
 神妙な面持ちで頷いた清水は、渉を追いかけるように腰を上げた。
 昼食を机に乗せたまま、清水が逆に手を引いて歩く。
「清水?」
 一緒に帰る......つもりではなさそうだ。
 カバンはそのままだし、クラスメイトからの呼びかけにはすぐ戻ると答えている。
 どこまで行くのだろうと眺めていると、学校に併設されている図書館に向かっていた。
 文化祭の準備のために図書室は閉鎖されていたが、清水はなぜか持っていた鍵でドアを開けた。
 どうして開けられるのだろうと疑問に思って凝視していた渉に気づいて、清水は鍵をかざしてみせる。
「これ、生徒会のマスターキー。用事で使ったんだけど、まだ返してなかったから」
 勝手に使ったのは秘密だよ、と微笑まれてこくこくと頷く。
 図書館の中は閲覧スペースとカウンター。
 そして高さのある本棚が立ち並んでいる。
 普段立ち寄ることのない図書館に興味をそそられて見回していると、清水に腰を抱き寄せられた。
「しみ......ぅ」
 顎を掴まれて口付けを受ける。
 驚いて身じろぐが、清水は渉の腰をゆっくりと撫でて抵抗を殺した。
 舌を絡ませあうキスに酔って、渉の身体から力が抜けていく。
 ぐったりと清水に凭れる渉の耳に、清水は軽く噛み付く。
 出しっぱなしになっていたシャツの裾から清水の手が入り込んで、粟立つ肌を撫でまわした。
「ここ、がっこ......」
「そうだね」
 清水は頷くが悪戯をする手はそのままだ。
 そのうち徐々に上がって乳首を弄られる。
 摘んで引っ張られると、じぃんと痺れた。
 くすぐったいと感じるのに、もっと触って欲しくなる。
「あっあ、むつみ、ぃ......」
 甘えた声が漏れた。
 勃ちそうで、渉は咄嗟に自分の服の中に手を突っ込んで、清水の手を掴む。
「も、これ以上は止めろよ」
 弾んだ呼吸を押さえようと必死になりながら睨みつけると、清水は少しだけ笑って手を引いた。
「可愛い渉が悪い」
「かわ......まあ、なんでもいいけど......」
 その形容詞で褒められるのはなんとなくむずがゆいが、不思議と清水に言われることは嬉しい。
「ここで、僕のことを待っていてくれる?」
 ほんのりと赤くなって視線を彷徨わせる渉を、清水は優しく抱き締めた。
 おずおずと抱き返して首筋に顔を埋めると、渉は薄いシトラスの香りに混じる清水の体臭を深く吸い込んだ。
 この匂いを嗅ぐと、パブロフの犬のように身体の芯が高ぶる。
 口の中に満ちた唾液を飲み干して、渉は喉を鳴らした。

 ......舐めてぇ。

 無理やり喉に押し込まれる感覚を思い出して、渉はぶるりと背を震わせる。
 喉を開かされる感覚は苦しくてもどこか甘美だ。
 これ以上抱き合っていると感情が理性を上回りそうで、名残惜しい気持ちを感じながら渉はゆっくりと身を引いた。
「しょうがねえから、待っててやるよ」
 そっけない口調とは裏腹の渉の笑顔に、清水は強引に引き寄せてもう一度キスをする。
 今度の口付けは軽いもので終わった。
「......君を貪りたくなるから、これで終わり。他に人が入らないように鍵をかけておくから、ゆっくりしててくれ」
 濡れた渉の唇を親指で擦った清水は、そう言ってこの場を後にした。
 一人になった渉は、ほんのりと残った体温と残り香を逃さないように、両手で自分を抱き締める。
 それが落ち着くと、渉は熱い息を吐いて身体の熱を逃した。
 気分を切り替えて、図書館の中を見て歩く。
 話題作、と書かれた小説を手にとってぱらぱらと読むが、普段小説など読まないので文章は殆ど入ってこなかった。
 なので大きな辞典や辞書、図鑑などが並ぶコーナーへ向かう。
 背表紙で読む本を探していると、気になるタイトルを見つけた。
 『ほしぞら』という薄い本である。
 全ページフルカラーでたくさんの星空の写真が載っている。
 とくに文章も何もなかった。本というよりは写真集らしい。
 明けの明星と言われる金星や、無数に広がる光の点。
 月の光に負けそうになりながら、控えめに輝きを見せているものもある。
 今更のように星の光が白だけではないことを知ってその写真を指でなぞった。
 その場に座り込んでその写真集を眺めていると、不意にポケットに押し込んだままの携帯が震えた。
 開いてみると平祐からの着信で、渉は肩と耳で携帯を挟みながらページを捲った。
「よう。どうした?」
『今どこ』
「図書館。帰ろうと思ったけど、清水が待ってろっていうから暇つぶしてる」
 嘘をつく理由もないので平然と答えると、渉が疑問に思ったように平祐も不思議に感じたらしい。
『どうやって』
「清水、生徒会のマスターキー借りてるんだって。つか生徒会はなんでマスターキーなんて持ってんだって話だよな。どこにでも入れるじゃん」
 あ、これ秘密な!と今更のように付け足して笑う。すると低い声で名を呼ばれた。
『......渉、どうせサボる予定だったんなら、あと一時間後にある集会には出ねえんだろ。ならその間、総合実習室に行っててくれ。さっき窓の鍵開けておいたから外から入れる。それで隠れてろ』
「なんで。俺ここで待ってんのに」
『清水を呼び出す』
 きっぱりと言われて渉は言葉をなくした。
「な、なんで?」
『......お前のことを話す』
「俺?」
 平祐が清水を呼び出すのはそれはそれで自由だが、その内容が自分のことで、しかも隠れて聞けというのは釈然としない。
「どうしてそんな面倒なことするんだよ」
『......俺の、わがままかな』
 渉が尖った声で責めると、少しだけ平祐の声のトーンが和らいだ。
 今まで聞いたことのない切ない響きが篭もった声になんとも返事の仕様がなくて押し黙る。
『頼むから』
 そんな渉に平祐は言葉を重ねた。
 頭が良くて尊敬を抱いている相手に、そこまで言われると断りにくい。
 しぶしぶ了承すると、平祐は安堵したように礼を言いながら電話を切った。
 一体何を話すつもりだろう。
 もし渉と付き合っていることで清水を詰るというのであれば、わざわざ渉を隠れさせて話をする理由が判らない。
 ツーツーという無機質な電子音に変わった携帯に、渉はため息をついた。
「まあ、平祐の言うことだしなー」
 きっと何か意味があるのだろう。
 その意味を考えながら、渉はぼんやりと写真を眺めた。

 そしてきっかり一時間後。渉は実習室にいた。


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