インナモラートの微熱5度07



 どの窓が開いているかわからずにうろうろと不審者のように歩き回ったが、校庭側にある窓の一つががらりと開いたので、そこから中に入り込む。
 実習室はがらんとしていた。
 ものが溢れていた光景を見ているので、酷く広く感じられる。
 軽く教室を見回した渉は、ドリルのある作業台の下に入り込んだ。
 元々収まっていた椅子は邪魔なので退ける。
 少し狭いが、ここなら足元まで囲いがあって覗き込まない限り見つからないだろう。
 そうして渉は清水と平祐が入っているのを待った。
 膝を抱えて顔を埋めていると、がちゃりと鍵を開ける音が聞こえた。
 浅い呼吸を繰り返しながら、渉は耳を澄ます。
 人が入ってきた気配はあるのに、誰も話さない。
 しばらくの無音が続く。

 あれ? もしかして本当は入ってきてねえ?

 物音がしたと思ったのは気のせいだっただろうか。
 作業台の下から出て確認したい衝動に駆られるのを必死で堪えていると、ようやく人声が聞こえた。
「で、わざわざここまで呼び出して用事はなんだ?」
 清水だ。
 本当に呼び出したのかと渉はどくんと跳ねる。
 ここにいることがばれたら怒るだろう。
 声は平坦でどう思っているかわからないが、時々怖い素振りを見せる清水に怒られることを想像して、渉は首を竦めた。
「渉をどうしてえのか知りたい」
 威嚇するような怒気を孕んだ低い声は平祐だ。
 顔は見てないが、付き合いが長いだけあってこっちはどんな表情が浮かんでいるか想像できる。
 きっとリング上でライバルを射殺すような鋭い眼差しをしているのだ。
 平祐は早々に本題に入った。
「渉を孤立させてんの、てめえだろ。変な噂を流したのも、てめえらのクラスで作ってたものを壊した犯人にしたのも」
 ひゅっと喉が鳴りそうだった。
 今すぐ飛び出して、喚きながら平祐の口を塞ぎたい気分に陥る。
 清水を責めるのを止めて欲しいわけじゃなく、自分が聞きたくないためにだ。

 清水が肯定したらどうする。嫌いだから虐げるためにしたと言ったら。

 なんだかありえそうで、自分でも否定出来ない。
「......一匹狼気取りの君がそんなことを調べるぐらい、渉が好きなのか」
 清水の声には隠し切れない皮肉が込められていた。
 声の冷たさもさることながら、その内容が衝撃的だ。
「ああ。俺は渉が好きだ」
 そんな清水に対して、平祐はあっさりと認めた。
 あんぐりと口が空いてしまう。
 平祐に女の影はなかったが、だからと言って清水に向けられたような、あんな情欲を込められた目を向けられたことはない。
 強いて言えば、いつも好きなものを愛でるような眼差しを向けられていたぐらいだ。
 それも何か幼い弟に向けられるようなもの。
 自分が馬鹿だと自負している渉は、それを生ぬるく見守るための視線だと思っていたのだが、違うのか。
 ぐるぐる悩んでいると、更に驚くことを口にした。
「俺は渉が好きだから、寂しそうにしてんの見てるなんて嫌なんだよ。......プラネタリウム?の部品だっけか。それ壊したのてめえだろ。それでその濡れ衣を渉にかけた」
「うそ......」
 その指摘には声が出てしまった。
 慌てて両手で口を塞ぐ。
 さすがにそれは突拍子もなくて、渉も信じられなかった。
 あれだけ文化祭の準備に力を尽くしていたのに、清水が壊す必要がわからない。
 だが清水は否定も肯定もせずに「根拠は?」と問うた。
「生徒会のマスターキー。あれでここも開けられる。文化祭の期間中は準備の関係で生徒が持ち出しを許可される。職員室の鍵は一般生徒じゃ借りれねえが、あれなら生徒会を手伝うお前が持ち出せる」
「そうだね。今もこれでここ開けたし」
 清水は少しだけ含み笑いをした。
 じゃらりと金属音がするのは、話に出てきたマスターキーだろう。
 今も持っていることを清水は平祐に明かしたわけだ。

「どうせ証拠はないから否定してもいいけど......そうだな、認めよう。僕がやった。噂も僕が流したよ。でも僕はちゃんと『本当かどうかしらないけど』って付け足したんだけどね」

 明るく朗らかに、言い放たれた。
 どんな表情で言っているのか知りたい。
 顔が見たい。
 だが渉は少しも動けなかった。
「そんなに睨むなよ吉岡。で、渉をどうするか知りたいんだったか。でも、今の状況を見ればわかるだろう。渉を僕のものにしただけだ」
「最低だな......好きならどうしてそんな扱いするんだ!」
 くすくすと上機嫌に笑った清水に平祐もさすがに声を荒げた。
「好きなら優しく愛でて真綿に包めって? 残念ながら僕は君じゃないからな、そんなことはしない。君が今の立場に甘んじているのは君の愛がそういう性質のものだからだ。僕とは違う」

 ......?

 饒舌な清水の声が、だんだんと近づいてくる、気がする。
 渉は机の奥に背中をぺったりつけて、忙しなく目を動かした。
 視界に清水の足が入る。
 渉が出しっぱなしにした椅子を手で避けると、ゆっくりと覗き込んできた。
「ぁ......」
「僕はね、渉の全てを奪いたい」
 目が合うと、微笑まれる。
 優しげなに見える表情の裏にあるのは、獲物を狙う獣だ。
 狩りを楽しむような雰囲気が醸し出ていて、無意識に渉は震えていた。
「最初はもっと優しくしようかと思ってたけど、渉、少し乱暴にされる方が好きだよね」
 おいで、というように手を差し出される。
 違うと否定もできないままに、机の下から引きずり出された。
 清水は渉の腰を抱いて平祐に向き直る。


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