スイートハニーは誰?-7



「奥村、何度言ったらわかる。うちの部の士気に関わるから来るなと言っただろう」
 怒られると身をすくめていた俺は自分が睨まれていると思った視線が、微妙に俺に合っていないことに気づいた。
 おくむらって......誰?
 きょとんとしてしまって反応できずにいる俺の、臀部を何かが触れる。
「ぎょわあ!」
 触れるっつーか、もうぐわぁし!って感じに掴まれた。つか、揉まれた。
 ドアに手をかけて身を隠していた俺は、反射的に足ですぐ真後ろを蹴り上げる。
「ってえ!」
 聞いたことのない声とともにドスンと音がしたので振り返ってみると、一人の男子生徒がひっくり返っていた。
「大丈夫か?」
「へっ?」
 呻く男を他所に、風間さんが俺の顔を覗き込んでいた。
 心配する先が違うんじゃないのか、とは思うものの、さっきのように冷たい眼差しじゃなくて、ほんのり笑みを含んだ瞳になんだか俺は嬉しくなってしまう。
「はい大丈夫です!」
 なーんて返事しちゃうぐらい。
 だってさ、風間さんかっこいいんだよ。剣道部の防具をつけていない状態できっちり着物を着込んだ姿はストイックで、百合の花を思わせるぐらい気品がある。
 俺が見知っている風間さんは『動』だとすると、こっちは『静』ってぐらい雰囲気が違うけど、かっこ良さはダントツだった。
「俺は心配してくれないのかよ玲人。カメラが壊れたらどうしてくれるんだ」
「自業自得だろう」
 いてて、と大げさにぼやきながら立ち上がった生徒が近づいてくる。そこで改めて、俺の尻を鷲掴みした男を見た。
 焦げ茶の軽くウェーブをかけた髪に、黒縁の眼鏡。ちょっとタレ目で、言うとおり小さなデジカメを持っている。
 身長は俺より全然高い。風間さんと同じぐらいだ。だから間に挟まれると、俺は顔を上げるしかなくなる。
 首いてえよ!法律で高校生は170センチ以上は伸ばさないことって決めればいいんだ!
 無駄に腹がたってむっとしてしまう。
「まあベストショット撮れたからいいけど」
 面白そうににやっと笑った男が、俺に視線を落とした。
 なんだ?と訝しげに見返すと、手にしたデジカメの画面を見せてくれた。
「......」
 なんと、言えば、いいんだろう......。
 まず、尻が写っている。普段良く見たことはないけど、間違いなく俺の尻だ。だってそこから上半身に続いて見える横顔が俺だから。
 薄く開いた足の合間から取られた尻の輪郭丸わかりの、ローアングルからの奇跡の一枚。
 ......うん、これが達樹ならね。俺も涎垂らして欲しがるぐらいに素敵なナイスショット。まるでねっとりと舐め回しているような写真だ。
「ぅああああ!消してぇえええ!!」
 うっわ、さぶイボが!!
 とっさに手を伸ばしてデジカメを奪い取ろうとするが、奥村サンとやらはひょいっと手を上に上げてしまった。
 悲しいことにこの身長差。いくら俺が背伸びしても、飛び上がってもニヤニヤ笑う奥村サンの手から取ることができない。
 しかも必死で俺から渡さないようにしてるならともかく、この余裕っぷり!腹立つ!
「貸せよ!そんなの消せってばっ!」
 ぎりぎり歯ぎしりせんばかりの俺の頭上が、不意に暗くなった。
「あ」
 見あげれば、余裕そうな表情の奥村サンからあっさりと風間さんがデジカメを取っていた。
「あ、おいっ!」
 焦る奥村さんが手を伸ばした瞬間に、風間さんがそのデジカメを押し付ける。
「おま......っ消すなよなあ俺のスクープ写真......」
 何か操作をした奥村サンが、ものすごく落胆した表情で肩を落とした。
 え?え?あの瞬間で、風間さん消してくれたの?
 驚いて見上げると、風間さんは口元だけで微笑んでくれた。
「あれはあんなのでも新聞部の部長だからな。気をつけろ」
「......はい......」
 思わずその笑顔に見とれてしまった。
 別に惚れたりドキドキしたわけじゃない。でもなんかとても優しそうで、目が離せなかった。
「何、このオチビさんが好みかお前」
 ちょっとばっかり刺々しい声と共に、襟を掴まれて引き剥がされた。
「ぅげっ」
「奥村!」
 急に喉仏を絞めつけられて、変な声が出てしまった。
 苦しいと睨みつけようとすると、すぐに手が離される。
「ああ、悪かったなアイちゃん」
 ケホケホと噎せていると愛称を呼ばれながらなおざりに謝られる。
 何だこいつムカつくなあ。
 じろりと睨みつけると、男は白々しい笑みを浮かべた。
「玲人。アイちゃんには月姫って恋人がいるんだよ」
「知っている」
「へえ。お前俺の新聞なんか全然読まないから知らないかと思った」
「有名だからな。......それよりここに居座られても迷惑だ。さっさと帰れ」
 またもや頭上で交わされるなんかチクチクしたセリフの応酬。
 奥村サンは俺もなんか印象悪い!って思ったけど、風間さんは凄く毛嫌いしているみたいだった。眉間に深いシワが寄っていて、ちょっと怖い。
 だけど、奥村サンは平然とした表情で肩をすくめてみせた。
「あーはいはい。んじゃまー怖い主将が怒るんで俺は帰りますかね。じゃあねアイちゃん。またインタビューよろしく」
「ふぎゃっ!」
 奥村サンがくるりと方向転換した瞬間、またもや俺は尻をがっちり揉まれた。
 慌てて尻を手でしっかりと覆う。そんな俺を見て奥村サンは声を立てて笑うと、俺が怒る前にさっさと武道場を出て行ってしまった。
「くそっ!あいつ......!」
「相手は新聞部部長だから、やめておいたほうがいい。」
 俺も揉み返してやる、と意気込んで追いかけようとした俺を止めたのは風間さんだった。
「新聞部って......新聞部?」
 オウム返しに尋ねると、風間さんはゆっくりと頷く。
 新聞部と言えば、裏新聞の記事にするって良く俺と達樹にインタビューしに来るけど、人当たりの良い人ばっかりだった。
 奥村サンのような変態では断じてない。
「あんな人が部長とは知らなかったなあ......」
 次に会ったら遠慮なく殴っとこう。俺ぶりっ子だから天然の振りすればきっと大丈夫だ。
 腹黒くそんなことを考えていると、風間さんから視線を感じた。
 ん?
 不思議に思って見上げると風間さんは何かを言いたげに口を開くが、すぐに閉じて視線を逸らす。
「見学なら、靴を脱いで見ていくといい」
「え、あ......はい」
 別に見学っていうか、俺風間さん見に来たんだけど......。
 それを言うわけにもいかず、こそこそと武道場に入って隅っこで正座する。
 風間さんも中に戻って、後輩の指導を始めた。
 なんだかちらちらと視線を向けられるけど、野球部や陸上部より全然おとなしい。
 良く目が合う生徒は、風間さんに集中しろと竹刀で叩かれていた。
 厳しいようだけど褒めるときはうっすらと笑顔になる。褒められた後輩は、嬉しそうに風間さんの指導に耳を傾けていた。
 すごいな風間さん......。ギャップありすぎる。
 もわもわと椅子や犬になっていたときのちょっと妖しくてドキドキする風間さんが脳裏に浮かび、俺は一人赤面しながらうつむいてしまった。


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