4444hitリクエスト -夏風邪症候群- 1
その日は、なにやらヤツの様子がおかしかった。いつもの、コンビニの帰り道。
「......」
俺は右手を見て、そして左手を見る。
それから、少し離れた位置にいるコンビニ店員に視線を移した。
「なに?ともあきさん」
いつものように笑みを浮かべるヤツは、手を繋ごうとしてこない。
「行こうよ」
誘いつつも俺から離れたまま歩き出す。
なんだてめえ。俺とは並んで歩けないってか。
むかっと内心苛立って、俺は大股で歩いて暗い夜道でヤツと距離を詰めた。
そしてむんずと手を掴んでやる。
......あ?
いつも俺と手を繋ぐときは、熱くて堪らないぐらいのヤツの手が、ひんやり冷えている。
「あー、俺風邪っぽくてさあ。体温調節、出来てないの。まったくヤになるよ」
男は言いながら、俺の手をさりげなく離そうとする。
だから、しっかりと指を絡めて握ってやった。
「ともあきさん」
困ったように、ヤツは眉尻を下げた。
「俺って、普段風邪引かないんだ。前に引いたときのことも昔過ぎて殆ど覚えてねえし。だからそんな俺の風邪は強力だよ?ともあきさんに移ったら、きっと死んじゃう」
そんな簡単に風邪が移ると思ってんのかてめえ。いい度胸じゃねえか。
むすっとしたままの俺に、ヤツは言葉を重ねる。
「俺こう見えても、結構つらいんだよ~。ふらふらしててさ、今日は店長に怒られちゃった」
ははは、と笑って頭を掻く。
確かにこいつが仕事終わる前にコンビニを覗いたが、動きが変だった。
店長がこいつに帰れ、というようなことを言っているのも、口の動きでわかった。
......なのになんで、こいつは最後までバイトしてたんだ?
わからなくて、じっと見つめる。
「ともあきさん、風邪移っちゃう」
動きは変だったが、表情はいつもと変わらない。赤くなってるわけでもないし、酷いほどに汗をかいているわけでもない。
手だけひんやりしてる。
「ね、ともあきさん」
「繋ぎたくないなら、そう言えば」
風邪引いてるからなんて言わないで。
低く言って、俺はするっと手を引き抜いた。
ヤツは自分の手の平を見て、少し笑う。
「そうだね」
......お前。そこは否定しろよ。
そんなことねえよって言えよ馬鹿。
もう一度手を繋ぐタイミングをヤツに潰されて、俺はコンビニ店員から離れて歩いた。
距離を空けても空けても、詰めてくる様子はなくて。
離れた分だけ、ヤツの声が俺に届くように大きくなる。
寄り道することなく、俺たちは駅に着いた。
「じゃあね」
ひらひらと手を振って、ヤツが改札を通る。
いつもなら、俺が見えなくなるまでこいつは改札で見送ってくれた。
振り返れば視線が絡んで微笑まれ、なんだかそれがくすぐったかったから、俺はいつも急ぎ足で帰った。
今日は、それがない。
だから変わりに、俺があいつの背中を見た。
さっきよりもふらついてる。あ、人にぶつかった。
ぺこぺこ謝って、ホームに消えていく。
見えなくなって、俺は帰路に着いた。
さて。
俺は部屋の中にあったものを想像する。
服。......は駄目だ。もう古着どころかきっと廃棄になる。
CDは、少しあったか。最近のものはないから、きっと安い。
マンガ本。全巻揃ってると、少しは高く買ってもらえるんだっけ?
俺はいつの間にか、走って家に帰っていた。
840円。
部屋の中を洗いざらいひっくり返して、売れる物は売ったが、もともと俺の物は少なくて、全然金額が足らない。
これじゃあきっと、往復の電車代ぐらいにしかならない。
リビングの端っこにおいてあるパソコンを見たが、アレは俺のものじゃないから売れない。
俺は深く、ため息をついた。
今日はあいつのバイトがない。
だから今日中に金を作らねばならない。
......奥の手を使うしかないか。
今日は覚悟を決めよう。
俺は部屋に戻って、棚から貯金箱を取った。
小学生の頃に、父に買ってもらった緑の怪獣型の貯金箱だ。
それを握り締めて、俺は夜を待った。
「ただいま」
今日は平日だから、兄はちゃんと帰ってきた。
それでももう24時だ。
両親はもう寝ている。普段なら俺も寝てる時間だ。
「お帰りなさい」
俺はそう言って出迎える。
兄は俺を見てびっくりした顔になった。
「なんだ、珍しいな。この時間まで起きてるなんて」
脱いだ兄のスーツの上着を受け取り、ハンガーにかけてやる。
それから冷蔵庫に行って、ビールを取り出した。
コップとビールを手にして、リビングで寛いでる兄の元に戻る。
「気持ち悪いな。なんだお前」
何も言わずに甲斐甲斐しく動く俺に対し、兄は顔をしかめる。
げしっと、長い足で腰を蹴られた。
「なんか裏があるんだろうが。ほら、さっさと言えよ」
さすがは兄弟。説明が省けて楽だ。
俺は、テーブルに置いておいた怪獣型の貯金箱を差し出した。
「『一回、100円』?」
それに貼り付けてある文字を見て、兄が少しばかり思案する。
俺はそんな兄の前に正座してどきどきしていた。
中学生の頃、どうしても買いたいものがあるときに、俺はこの手をよく使った。
高校生でバイトをしていた兄にたかるのだ。
ただお金を無心するわけじゃない。その頃からプロレス好きだった兄は、相手に飢えていた。
その相手をするのだ。
ピーピー泣きながら、俺は兄に技をかけられて、その報酬にお金を貰っていた。
懐かしくて本当に泣きそうになる。
よもやこの歳で、こんな真似を再度しようとは。
「一回100円、ねえ」
兄はにやりと笑った。
その笑顔を見るだけで、俺は凍りつく。
「なんだニート。一人前に欲しいもんでもあるのか」
はい。
こっくりと頷く。
ふうんと笑って、暴君は財布から札を取り出した。
ちょ......一万もいらない。てか、俺が死ぬ。
俺は、札を怪獣の口にねじ込もうとしている兄を慌てて止めた。
「なんだよ」
「小銭」
小銭でいい。たぶんそれで足りる。
「ああ?わがまま言ってんじゃねえよ」
俺はわがままじゃねえよ。このプロレス馬鹿。
「500円」
そんぐらいで足りるんだって、マジで。
「いちいちうるせえヤツだな」
兄はぶつぶつぼやきながら、財布に一万を仕舞ってくれた。
それから財布を覗いて口の端を上げる。
さながら、それは悪魔の笑みだ。
「残念だなニート。500円、ないわ。一番低い金額でも2000円だ」
ひらひらと俺の目の前で首里城が舞う。
今時二千円札かよ!せめて野口さんに会わせろよ!
「どうする?諦めるか」
意地悪い笑みに、俺はごくんと喉を鳴らした。