二陣-3

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 それからどれだけ時間がたったのか。
 夢現でいると多くの人の声が聞こえてくる。声は大きくはないが、それでもなんだか耳障りだ。
 俺が耳を動かすと、わっと声が上がった。更にうるさくなったことで、俺は寝ていられず渋々目を開ける。
 すると、何人もの子供が俺の顔を覗き込んできていた。
「わぁ......鹿さん起きたよっ!」
「誰かお兄ちゃんたち呼んできなよ!」
「僕行くッ!」
「私も!!」
 子供特有の甲高い声に俺はややうんざりしながら顔を上げると、乾燥したわらの間に寝かされていたことがわかった。首がゴワゴワするのは尻部分と同じように包帯が巻かれているからだろう。
 見回せば、隣から牛が覗いていてぎょっとした。よくよく見れば、更にその向こう側にも牛がいるようで、ここが牛小屋だということがわかる。
 今は鹿だからそんな場所に置かれても仕方が無いのだが、なんとなく残念だった。精神世界でベッドに入って寝たせいかもしれない。
 そう言えば、結局あれは夢だったんだろうか。
 不思議に思って首をひねっていると、牛の出入りを制限するための柵の向こう側から、残っていた子供がわらわらと俺に手を伸ばしてくる。
「鹿さん大丈夫?」
「いたいいたいの飛んでけー」
「真っ白ー触ったら怒られるかな?」
 子供はあんまり得意じゃなかった。だが、どの子供も無邪気に笑っているのを見て、無下に出来ない。そもそも身体は動くんだろうか。
 ダルさは相変わらずあるが、思い切って膝を曲げて立ち上がると子供からまた歓声が上がった。
 立ち上がってみると、視界が広がってほっとする。きゃいきゃい騒いでいる子供たちを無視して周辺の様子を伺うと、離れたところに立っていた少年が目に入った。
 子供たちと同じく、あまり上等とは言えない着物を身につけた少年は、確かにあの時少女を守るように立ちはだかった少年に違いなかった。
 知春に似ていると思ったが、今となっては共通点は年齢ぐらいと思われるほど、少年の外見は違って見える。その少年は、俺と目が合うとなぜか睨みつけてから踵を返した。
 少年とすれ違うようにして、子供に手を引かれた男が歩いてくる。
「ねえほら!」
「ああ、本当だ。持ち直したようだね」
 温和な表情を浮かべた男は見覚えがなかった。眼鏡を掛け、長い髪を首の後で一つにまとめている。村人とは違う、小手や脛当てをつけていた。
「よっと」
 柵の合間をくぐって、その男が中に入ってくる。ぼーっと見ていると、男は俺の身体をぺたぺたと触り始めた。
 うお、気持ち悪い。
 身じろぎをすると男が笑った。
「これは野生じゃないなあ」
 なんとなくぎくりとしていると、続けて人が集まってきた。どうやらさっき散った子供が村人に言いふらしているらしい。
 集まってきた中に昨晩夢幻の社の中で会った男もいた。
 よもやすぐに会うとは思ってなくて動揺してしまう。
「いはさ、そいつどうだ?」
 俺の動揺なんか知らない男は柵を跨いで中に入ってきた。先に入ってきていた男と知り合いらしく、俺を横目に問いかける。
「大丈夫。どこも骨が折れてないし、細かい傷は治ってる。ちょっと衰弱してるけど、問題ないよ」
 ばんばんと俺の背中を叩いた男、いはさはにっこりと微笑んで男に答えた。
「そうか、それは良かった」
 いはさの答えが満足したのか、男は俺に手を差し出して招く仕草をする。
 昨日の夜との差に少し憮然としたが、もしかしたら覚えていないのかもしれないとゆっくりと近づいた。差し出された手に鼻先を押し当てる。すると、優しく首筋を撫でられた。
 それが意外に気持ちよくて、目を細めていると男が俺の耳に顔を寄せる。
「あの夢は、お前が見せたのか?」
 ......。
 ぼそりと低い、まるで不機嫌そうに聞こえる声で囁かれ、俺は思考が停止してしまう。
 覚えてなかったわけじゃないらしい。
 男は反応を見るようにじっと俺を凝視してくる。昨晩拒絶されたことを思いだして苛立った俺は、男を睨み返した。
 しばし見つめ合う俺と男に、子供が交互に視線を動かしている。すると離れた位置から駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「いはさ、しのか。畑で物の怪の足あと見つかったって」
 男が俺から視線を外して、声の主を見た。前髪を一つでまとめ上げて後ろに流し、栗色の長い髪を襟足で縛った女だ。この女も胸当てやら小手やらをつけていて、村人とは異なる服装をしていた。
「わかった」
「やれやれ、朝から元気な。物の怪なら物の怪らしく、夜にだけ出ればいいのに」
 真面目に頷いた青年に対し、いはさはぼやきながら小屋の中から出ていく。女はそんないはさを見て、くわっと目を吊り上げて男の背中を叩いた。
「きびきびする! ......あんたの結界、ちゃんと作動してなかったんじゃないの?」
「いってぇ......そんなことないよ。外側の結界だけで、内側は無事だったんだろ。その証拠に村まで入ってきてな......いてて! 痛いってば、なぎ!」
「外側が破られちゃ危ないじゃないか!」
 女が、なぎがいはさの耳を掴むとそのまま引っ張って歩く。周辺から含み笑いが漏れた。あの男も、俺に向けた冷たい視線とは違い、穏やかで優しげな笑みまで浮かべて二人を追いかけていく。
 ......ケッ。
 なんだか無性に苛ついた。だけど身体はだるいままで、ここから飛び出る元気もない。歯ぎしりしたい気持ちになりながら、俺は小屋の奥に戻り、わらの上に座り込む。
 何人もの子供や、集まってきた大人は飽きもせずに俺を眺めているが、それはもう無視だ。
 いはさ、と、なぎ。そしてあの男。
 しのか。
 ......しのか。
 人の言葉を発することが出来ない俺は、それでも何度も男の名前を口の中で転がす。
 俺がたどり着いたのは、全体でも百人も満たない小さな村だった。この世界でも白い鹿は珍しいらしい。
 白い鹿である俺は神の化身として、村で下にも置かない扱いを受けていた。
 小さい村は全滅してしまったから、まだうちの村は恵まれてる。だけどどうか物の怪が出ないようにして欲しい......って、俺に願ったってどうしようもないっつーの。
 元々牛小屋だった小屋は俺のいる場所と決められたのか、なんだか飾り付けがなされ近隣の村からも人が集まってきて俺を見て手を合わせる。
 一種の観光名所になった気分だった。身体は怠いし、都の位置もわからないし、俺は不機嫌になりながらもその日一日、拝まれて過ごした。
 夜も更けていくと集まっていた人が一人、また一人と減っていった。ようやく周囲に人気がなくなって俺は緊張を解く。夜になると少し冷える。俺はわらを前足でかき集めてその中に身を横たえた。
 昼間、一度だけ風に神通力を乗せて空に放ったが、西埜女の気配は見つからなかった。それどころかかなり狭い範囲しか気配を探ることが出来なくて驚いた。
 狼に襲われた時に残っていたほとんどの力がなくなったらしい。急に視界が狭まったような気がして、俺は歯ぎしりをした。
 落ち着け。まだ俺は大丈夫。ここにはしのかいる。
 西埜女にすぐに会えなくても、俺が生きていける可能性がある男だ。彼は朝に顔を見せたきりで、その後は俺のところに姿を表さなかった。だがすぐ近くにいることは、気配を探った際に気づいていた。
 俺の状況は全く変わってない。それどころかより悪くなってる。打開するためには、あの社の中でしのかと交わらなければいけない。
 死ぬよりは......マシだよなあ......?
 複雑な心境になりながら俺は目を閉じる。
 見知らぬ人に囲まれていたことで疲れていたのか、あっという間に意識が途切れた。



「で、やっぱりここに来るわけだ」
 小さい頃から何度も見ている社の中と似ている空間。敷かれていた布団の中で寝ていた俺は、起き上がって周囲を見回した。昨日よりもなんだか暗いことに不思議に思っていると、灯籠の一つの明かりが消えてることに気づいた。部屋の隅々にまで届かなくなった明かりに、重い体を動かして立ち上がる。別のところにあった灯籠から火種を移そうと囲いの中を覗いて、俺はその不思議な現象に気づいた。
「あれ?」
 普通はろうそくか油に直接芯を置いて火を灯しているはずだが、灯籠の中には何もなかった。外から見ると和紙の向こう側に揺らめく炎が見えるにもかかわらず、中を覗くとその火種はない。まるで手品を見せられているようだった。
 試しに灯籠の囲いを外してみると、明かりがふっと消える。戻すと明かりがついた。
 現実世界のものとは違うと思っておいたほうがよさそうだ。
「ふーん」
 仕方なく明かりの消えた灯籠はそのままに、社の隅から隅まで歩いてみる。すると壁の端に向うにつれて床がぎしぎしとなった。
「なんだ、結構ボロい作りだな。踏み抜きそうでこわ......」
 何気なく呟きかけて、俺ははっとした。ドアを無理に開けようとすると、胸に激痛が走ったのは昨日のことだ。この空間が俺自身で出来てると、そう思った。
 社が朽ちかけているのは、俺が死にかけてる証拠なんじゃないのか。......そう考えると背筋が冷えた。
 慌てて周辺をよく見回す。昨日と違う場所がないか。明らかな変化は。
「マジかよ......」
 その答えはすぐに見つかった。俺の真上にあったのだ。
 昨日ここで目が覚めた時は、確かに見えた天井模様の一部が、まるで長い年月を過ぎたように煤けて色あせている。そんなによくよく見ていたわけじゃないが、それでもここまで色がくすんでなかった。
 それを考えれば、火種がない灯籠が消えていたことも頷ける。状態を維持できてないんだ、俺は。
 ひっそりと衝撃を受けていると、がらりと戸が開く音が聞こえて俺は振り返った。


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