二陣-7

Prev

Next



「くっ......だから言ったんだ! この馬鹿!」
 地面に転がったしのかはすぐさま立ち上がる。するとそれを見計らったように蛇が尾を鞭のように胴をしならせて、しのかを狙った。俺が動く前に先程よりも大きな風切り音が駆け抜けていく。
 一度は弾かれた矢は、今度はしっかりと鱗の合間に鏃が刺さっていった。それを追いかけるように放たれた矢も、次々と蛇の身体に飲み込まれた。
「あんたまで何してんのー!」
「悪い、助かった!」
 遠くから届くなぎの言葉に、しのかは蛇に相対したまま怒鳴り返した。それから腰にぶら下げていた袋に手を突っ込む。
「下がれ」
 しのかは俺を見ずにそう告げると、俺の尻をおもいっきり叩いた。驚いた俺が起き上がって村に向かって駆け出すと、同時に取り出した球体を蛇に向かって投げつける。
 すると地面が大きく揺れた。
 情けないことだが、俺はこの衝撃にも足を滑らせてコケてしまう。その瞬間に見えたのは、身をくねらせる蛇にナタを手に突撃するしのかの姿だった。
 援護するように近づいてきたなぎが弓を放つ。急いで身体を起こして森の奥を見ると、もうもうと土煙が立ち上っていた。
 もう一度大きな爆音が響く。
 しのか!
 俺が堪らず駆け出そうとすると、なぎがおれの前に手をかざした。腹立ったように舌打ちとともに一瞥される。
「なんなのこの鹿。もうさっきから邪魔してばっかり......下手に動かないでよ、間違って射殺したらどーすんの」
 なぎからしてみれば、俺は特殊な毛色のただの鹿扱いらしい。緊張感を解かないまま、弓を構えて奥を見据えている。
 しのかが出てこない。もしかしたら、中で攻撃されてるのかもしれないのに......。
 そう思うと一気に不安になる。俺が鳴き声を上げると、すぐさまなぎに「うるさい!」と一喝されてしまった。
 やがて土煙が収まり人影が出てくる。攻撃を食らったのか、少しだけ足元をふらつかせ、唇を切っていたがぷっと血混じりの唾液を吐き出した。蛇の血か、しのかの半身は赤黒い液体に染まっていたが表情は明るい。
 なぎはしのかの姿にほっとした表情で構えを解いた。
「お疲れ。怪我は?」
「骨には異常がないから平気だ。なぎが蛇の目を潰してくれて助かった」
「まーねぇ。しのかもあの大蛇一人で留め刺すなんてやるじゃない」
 戻ってきたしのかとなぎは、ハイタッチして互いを褒める。「早く戻ってきて朝飯にしようよー!」なんて、いはさが一人でずれたことを叫んでいた。
「ったくあいつは......」
「旦那だろう。もうちょっと緊張感持たせるようにしてくれ」
 ボヤキあった二人は、笑って村に戻り始める。なんだか仲間はずれにされた気分だった俺は、しのかの脇腹にぐりぐりと頬を押し当てた。するとしのかは足を止めるて俺の首筋を撫でてくる。
 死んだかと、思ったじゃねえかちくしょう。
「先に行っててくれ」
「はいはい」
 なぎは俺を見ると、呆れたように肩をすくめて戻っていった。
「......どうした、驚いたか。今の世の中こんなものだ。......憐れに思うなら、どうにかしてくれよ神様」
 顔を埋めたままの俺の首を、しのかが優しく撫でてくる。苦笑交じりの言葉はじんわりと俺の胸に届いた。そっと顔を見上げると、しのかは俺の尻を叩く。
「ほら、村の人がお前がいないことに気づいて集まってくるぞ。今のうちに行け」
 けど......。
「なんだ、ずいぶん可愛い仕草をするじゃないか」
 離れがたくて俺がぐるぐると周囲を回ると、耐え切れないと言った表情でしのかは笑い声を上げた。癇に障った俺は、またしのかの髪をがじがじと噛んでやる。
「いたっ、こらやめろって」
 笑いながら俺の尻を叩くから、俺も意地になって引っ張ってしまう。そんな風に気を抜いていた刹那。
 爆音と共に木々を押し倒してしのかが止めを刺したはずの大蛇が姿を現した。両目が目が矢で潰され、頭の形は半分陥没し、原型をとどめていない。なのに、動いてる。
 胴からは黒い液体を溢れ出している蛇は、瀕死とは思えない程のスピードで滑るように地面を這って近づいてきた。
「くそ!」
 しのかが俺のケツを蹴り飛ばして蛇に向かって走り出した。焼け爛れた尾を振り、しのかはそれをナタの刃で受け止めた。刃で傷ついた胴から黒血が溢れるが、蛇は構わずナタごとしのかに絡みつく。
「うっ......」
 強靭な力で締め付けられてしのかが呻く。ごきっと骨が嫌な音を立てるのが聞こえた。
 目が潰されて見えないせいか、それとも獲物を捕まえた余裕からか、蛇の頭がぐらぐらと揺れている。シューッと威嚇するように音を立てた蛇は、大きく口を開けてみせた。
 噛まれる!
 俺は咄嗟に地面を強く蹴り上げて、蛇が狙っていたところに横から入り込んだ。牙が突き刺さって鋭い痛みが走るが、これならまだ耐えられる。神通力で巻き起こした風で、しのかに巻き付く胴を切り落としてやろうとするが、思ったよりも風が吹かなかった。
 だが、それでもしのかを拘束する力を弱めることが出来たらしい。しのかは拘束が緩んだ一瞬をついてとぐろを巻く大蛇の身体を登ると、俺の身体に噛み付いている蛇の首の付け根に、両手で渾身の力を込めたナタを何度も突き立てた。
 俺の身体を噛む力が緩んだところで、しのかが蛇の口に腕を突っ込んで引き剥がしてくれる。蛇は今度こそ完全に力尽きたように倒れていった。
「大丈夫か?!」
 しのかは取り乱した様子で俺の胴体に手を伸ばし、ぺたぺたと撫で回しはじめた。蛇の牙が突き刺さった所から赤い血がぷつぷつと浮かんでいるのが見えたが、俺はそんなに大きな怪我じゃない。
 それよりお前の方が酷かったんじゃないのか。
 俺が仕返しというように胴を鼻先で突付くと、しのかはほっとしたように笑った。
「頭潰したから死んだと思ったのに......悪かった」
 油断大敵って奴だな。まあ骨も大丈夫なようで、よかっ......?
 脚を踏み出そうとしたら、転んだ。......なんか今日は転んでばっかだな俺。
 照れくさい気持ちで立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。
 あれ?
「おい......馬鹿動くな!」
 地面でもがく俺の身体を、しのかが青ざめた表情で押さえ込んだ。すぐに一番大きく開いた穴に口を押し付けて吸い上げた。 いてっそれ痛いって。
 吸って口に溜まった血を吐き出す。それを二、三度繰り返したしのかは立ち上がった。
「今人呼んでくるから!」
 人呼んだら俺帰りにくいって。ちょっと休めば起きれるから。
 そう思っても、喋れない俺の気持ちは伝わらない。
「しのかぁ! 今の音って......!」
 遠くからなぎが張り上げる声が耳に届く。しのかはそれに負けないほどの大声で怒鳴り返しながら走りだす。
「神鹿が毒にやられたんだ! 水を用意してくれ!」
 ......ああ、あれって毒蛇だったんだ......。
 身体が痙攣するわけでもなくただ横たわったまま、俺はぼんやりと神鹿でも毒が効くもんなんだなって思った。
 そりゃま、そうか。怪我もしてたしな俺、ははは。
 .........笑えねえ。



 結局俺は元いた小屋の中に連れ込まれた。小屋の中にはいはさとしのかが入ってきている。なぎは他の村人といっしょに、外から俺の様子を覗き込んでいた。
 傷口を避けて、毒がこれ以上回らないように布が要所要所に巻かれる。噛まれた部分が熱を持っていて熱い。今なら口からも火を吹けそうだ。
 傷口を見ると、腫れ上がって傷口がどす黒い色に変わっていた。毛色が白いだけあって、そのコントラストはキツい。
「物の怪の毒に効くのってなんだったっけなあ」
「悠長なこと言ってないで、さっさとどうにかしてくれ......!」
 昔の人が持っていたような薬箱の中を漁りながら呟くいはさに、しのかが怒鳴った。声に耳を塞いだなぎがため息をついた。
「ちょっと落ち着きなさいよ。あんたらしくない」
「.........俺をかばったせいでこんな......」
 その苦悩に満ちた表情は、俺よりも苦しげだ。
 気の早い村人は俺が死んだらどこに埋葬して奉るか、なんて話している。その無神経さに腹を立てるよりも俺は呆れ返ってしまった。
 死にたくねーし死なねーよ。とは思うが少し心細い。俺が使えるのは風の神通力だけだ。癒しはまた別の神様の能力で、運良くその神様が通りかかるはずもない。
 普段だったらすぐに混乱する状況だが、俺は落ち着いていた。だって、俺より動揺している奴がいる。
 しのかはうろうろと小屋の中を歩き回っていた。しゃがんで薬箱を覗いていたいはさが、迷惑そうに見上げてもお構いなしだ。
 自分のせいで誰かが怪我したり失敗したりするって嫌なもんだよな。わかるわそれ。
 大丈夫、平気だよ俺。
 そんな気持ちで軽く鳴いてみせたが、しのかは「どこか痛いのか?!」と真逆の方にとってしまった。意思の疎通って難しいわ......。
「死んだら村に埋葬する? その鹿を? 冗談じゃねえ。死んだら山に還せばいいんだ、そんな疫病神」
 唐突に若い声が会話に割り込んで、一瞬場が静まり返った。首を動かして声の方向を見ると、他の村人が驚いた表情で桶を持った少年を見下ろしている。
 ......あ、俺が逃げてた時にすれ違った......。
 さえという少女をかばった少年だ。周囲の微妙な雰囲気をものともせずに俺を睨んでくる。しのかは少年に対して深く眉間に皺を刻んだまま静かに口を開いた。
「とつか、一体何を言ってる」
「だいだい、そいつが来てからうちの村ばっかり狙われてる。白いだけで神様の化身だとか言ってるが、こいつも物の怪の類なんじゃないのか」
 少年の指摘に、ざわざわと周囲に動揺が走った。そんなはずはないとほとんどが否定的だが、一部は俺を見てヒソヒソと何かを囁き合っている。しのかが視線を向けるとすぐさま囁きはなくなったが、俺を見る目にはどこか怯えが浮かんでいた。
 ......感じ悪い。
「単なる偶然だ」
 しのかはきっぱりと言い放つが、少年は納得しなかった。
「偶然じゃない! 最初に物の怪を引き連れてきたのはこいつだった! さえは初子を身籠ってたのに、あのときのショックが原因で流れたんだぞ......?!」
 少年は悔しそうに拳を握りしめて俯いた。
 ういご? 流れたって......。
 聞きなれない言葉に意識が混濁しながらも、俺は凍りついた。少年は桶を地面に置くと、小屋の中に入ってまっすぐ俺に向かってくる。
「おい」
 しのかが止めようと手を伸したが、それを振り払って俺の肩部分を強く掴んだ。
「神様の化身なら......俺とさえの子を返してくれ! 返してくれよぉ......!」
 鋭かった少年の目に涙が浮かんだと思うと、ぼろぼろと大粒の雫を零しながら、泣き崩れてしまった。さざなみのような小さな囁きがちくちくと俺を責めているようだった。
 ただでさえ毒で朦朧としている状態で、なじられるのはキツい。
「とつか!」
「なにしてるのとつか!」
 周囲を囲む人垣をかき分けて、中年の男女が走り寄ってきた。顔立ちが、両方共少年に似ている。......いや、少年が、彼らに似てるんだ。たぶん、とつかの両親だろう。
 男性は少年の肩を掴んで俺から引き剥がすと、小さな声で叱咤した。
「馬鹿、神鹿さまに呪われたらどうするんだッ」
 そのまま男は少年を連れ出していった。残った女は、その場に膝をついて額を地面に擦りつけるように土下座した。
「申し訳ありません! あの子はただ嫁のことを大事に想っているだけなんです......! 本当にすいませんでした! 許してください!」
 呪うなら自分にしてくれと、女は声を震わせながら懇願した。
 ......なんだこれ。俺が呪うって? あの子が暴言を吐いたから? どうしてだよ......。
 ぎゅうっと心を鷲掴みにされた気分だった。悔しくて苦しい。
 俺は一度目を閉じた。身体の中で意識して毒を浄化するように気を巡らす。こっちでは物を食べられない、薬も飲めない御使が、怪我や病気をしたときに使う方法だ。身体の細胞を活性化させて悪い部分を直す。
 これは十分に気を持っていなければ出来ない。今ならしのかにもらった生気があるから、たぶん......。
 おおおっと低い歓声が上がって、俺は目を開いた。視線を巡らせばみんなが俺を見ていた。手を合わせて拝む人もいる。
 俺の全身が薄く発光しているのだ。首を捩って胴を見ると、赤黒く腫れ上がっていた傷が徐々に治っていくのが見えた。
 だが発光は完全に傷を治しきる前に消えてしまう。
 エネルギー切れってか......。まあ動けるだけマシだな。
 覚えのある倦怠感にうんざりしながら俺は立ち上がった。
 女は土下座したまま顔を上げなかった。もしかしたら気絶でもしてるんじゃないかと思ったが、差し伸べる手も、人の言葉を話せる口も持たない俺はどうすることもできない。
 この場にいたくなくて俺は歩き出した。視線を前に向けると、俺と目があった奴から避けて道ができる。だから俺はその道を悠然と通りすぎてやった。
 俺だって、死にたくなくて必死に逃げてたんだ。余裕があったら村になんて飛び込まなかった。
 心が痛い。赤ちゃんが死んだのは俺のせいじゃない、呪ったりするわけないってって叫びたかった。だけどそれができたとしても、向けられる畏怖の眼差しは変わらないだろう。それぐらいわかる。
 立ち去るのが一番いいんだ。俺は村を抜けるために一歩一歩踏みしめながら進んだ。自分を慰めるので精一杯で、小屋でのその後のことには全く気づかなかった。
 俺の姿が小さく見えなくなるまで動きを止めていた村人は呪縛が解けたように動き出す。その中で一人、しのかは拳を握りしめて俺が消えた方向を睨んでいた。


Prev

Next

↑Top