花嫁の歌声-8
昼でも夜でも、坑道の中はランプを灯さなければ消して日の光は射し込むことはない。
昼間と同じように鉱石を掘り出す作業をしていたフェリックスは、すすけた顔を伝う汗を手の甲で拭った。
いつもであればほかにも従業している者もいるのだが、今の時間はフェリックスのように申請をしたものだけが作業している。
フェリックスは昼間、ラフィタが駄目にしてしまった分の鉱石を一人ですべて償うつもりだった。
だが......。
「やー夜でもここは蒸すな」
のほほんとそんな大きな独り言を口にし、自分よりも速い速度で鉱石の山を築く男にフェリックスは舌打ちしたくなる。
何かと自分を気にかけるこの狼男が、フェリックスはあまり好きではなかった。
放っておいてほしいのが、フェリックスの心からの願いだ。
「ディエゴ。私は貴方に感謝なんてしませんよ」
「別にフェリのためにやってるわけじゃねえよ。鳥の子の歌聞けたからな」
だからそれの礼だとディエゴはつるはしを振るった。
フェリックスは不機嫌なのを隠そうとせずに、ディエゴを睨みつける。
「だからフェリと呼ぶなと、何度言ったらわかるんですか」
「あーはいはい。......別段可愛くもないのに、あの鳥の子は、歌うととても綺麗に見えるな」
昼間の光景を思い出したのか、ディエゴが手を止めてつぶやく。それがよりいっそうフェリックスの神経を逆撫でした。
「ラフに近づいたりしないでくださいね。......汚らわしい獣め」
あからさまな悪意を向けられたディエゴは、ぴんと立った耳を動かしゆっくりとふさふさの尻尾を揺らした。
何を言われても一切反応しなかったフェリックスが、ラフィタのことを言われたとたんに態度を一変させたことに、ディエゴは心の中で苦笑してしまう。
フェリックスの態度は、子を守ろうとする手負いの獣に近い。自分に余裕がないために、庇うその手の爪で子を傷つけているように、ディエゴには見えた。
「そういう悪口、ほかの奴には言うなよ?事情があってここにはいるが、それぞれ自分の血に誇りを持っているんだ」
静かに諭すディエゴを、フェリックスは鼻で笑った。
「事情があって?ここにいるのは犯罪者ばかりでしょう。ここは自国で持て余した犯罪者を送る最後の流刑の地だ。そんな者に誇りを持たれても困るだけでしょうね」
とげとげしいフェリックスに、ディエゴは困ったように耳をぺたんと倒す。
フェリックスの言っていることは事実だが、違う点もある。
「お前とて、ここで働いているのだから同じようなものだろう」
「そうですね。私はここにいる誰よりも......罪が深い」
強く拳を握ったフェリックスに、ディエゴは同じ高さに目線がくるように屈んだ。
じっと見つめてくるディエゴを、フェリックスは黒い瞳で見返した。ほの暗い光を揺らす目からその心情を読みとることができない。
「なあ、そんな思い詰めるなよ。なにを背負ってるんだお前は」
「貴方には関係ありません」
相変わらず、フェリックスはディエゴに対してにべもない。
「お前が倒れたらあの子はどうするんだ」
「それこそ貴方には関係ない!ラフは私が守ります!」
強く言い切るフェリックスに、ディエゴはどう扱ったら良いものかと悩んで天を仰いだ。
外であれば満天の星空が見えるだろうが、鉱山の中では黒い岩しか見えない。フェリックスの心の底にあるような塗りつぶした黒だ。
「ラフは、私が無理に連れてきてしまったのだから......」
付け足されたつぶやきに、ディエゴはフェリックスを見やる。
きつく閉じられた瞼は震えてはいるが、フェリックスは頬を涙でぬらすことはなかった。
「風の導きだったんだろう?良かったじゃないか。普通あんな高いところから落ちたらまず助からない」
「私が途中で手を離せば、風はラフを巻き上げて助けたに違いない。......あんな、一瞬の気の迷い......!」
震えるほどに強く握られた拳。
フェリックスは一度大きく深呼吸をすると、作業を再開させた。
ディエゴが見ていても、フェリックスの気迫はすごいものがある。
フェリックスがここに来た理由を、ディエゴは知らなかった。
知っていることは、部外者は犯罪者のみしか受け入れないこの地が彼らを受け入れたということだけだ。
精霊たちは、まれにこの地に自分の守護をする者を置いていく。
大抵がなんらかの理由があって、元いた地に留まることができなかった者たちだ。
彼らは住処として与えられた高原からほとんど出ることはなかったが、この青年は志願して辛い労働のあるこの鉱山に来た。
何かの考えがあってのことだとはディエゴもわかってはいるが、フェリックスが来てから鉱山の雰囲気は悪くなるばかりで、気を張りすぎても困りものだとディエゴは肩を落とす。
「ッ」
「おい?」
どうしたものかと思案していると、重さのあるつるはしを持ち上げていたフェリックスがふらついて壁に手をついた。
地面に落ちた道具がからんと大きな音を立てる。
呼吸を乱し、目を閉じるフェリックスの顔色は、鉱山の暗がりでもわかるほどに血の気が失せていた。
青白い顔色にディエゴは軽く肩をすくめると、ひょいっとフェリックスを持ち上げた。
「何をするんですか」
驚いて目を見開くフェリックスを無視して肩に担ぎ、そのまま鉱山の出入り口に向かう。
「お前、今日は帰れ。こんなところで倒れられても迷惑だ」
「大丈夫です。放してください!」
連れだそうとするディエゴの腕を叩いたり暴れたりもするが、獣人と人では力の差がありすぎる。
ディエゴは自分を降ろすつもりがないことに気づいたフェリックスは、軽くため息をついてぐったりと身を任せた。
つるはしを振るい続けた腕はずっしりと重く、長時間続けての労働に筋を違えたのかずきずきと鈍い痛みもあった。
「家まで送ろう」
「結構です」
「なんでそうツンツンしてるんだお前......ん?」
即座に答えたフェリックスに苦笑したディエゴは、ぴたりと足を止めた。
「?」
寄りかかったままだったフェリックスは、ディエゴの険しい表情に気づいて身体を起こす。
ディエゴのぴんと立った耳が、何かを察知したようにぴくぴくと動いた。
「パブロの声がする」
「えっ」
ディエゴのつぶやきに、フェリックスも耳をすませた。黙ると耳鳴りがなるほどの静寂に、フェリックスは目を細める。
「なんだあいつ、どうしてここに......」
自分には聞こえないが、より身体能力が獣人の耳には届いたのかと訝しげにフェリックスはディエゴを見つめる。
「......くそ、反響して声が聞き取りにくい!」
苛立ったディエゴは、フェリックスを担いだまま走り出した。
急いている様子が見て取れる。それもそのはずで、鉱山の中に広がる坑道は、天然の洞窟も含めて無数にある。
迷わないように広い坑道には番号を割り振っているものの、地図を持たない者は迷いかねない。細い道に入り込んでしまうと、さらに危険だった。
ディエゴが進むに連れて、ようやくフェリックスの耳にもパブロの声が届くようになる。泣き声で呼んでいるのは自分だと気づいたフェリックスは、嫌な予感に眉間に皺を寄せた。
ディエゴの言うとおり、声が反響してしまい聞き取りにくい。
すさまじい早さで出入り口に向かうディエゴの肩元で、目を凝らしていたフェリックスは、目の端でつけた記憶のないランプの明かりを一瞬捉えた。
そのとたんに、ぐっとディエゴの耳を掴む。
「ディエゴ!止まってください!」
「いて!何だよ!急がないとパブロが奥に入りすぎて戻れなくなっちまう!」
怒鳴り返すディエゴは、耳を引っ張られ続けても足の速度を緩めない。仕方なしにフェリックスはディエゴの目元を覆った。
「うわっ!」
唐突に視界を奪われたディエゴは、そのまま方向を見失って壁に激突する。
フェリックスもその衝撃で落とされてしまった。
「つー......急になにするん」
「しっ」
ディエゴの抗議の声を手でふさぎ、フェリックスは耳をすませる。
同様に耳をすませたディエゴはぺたんと耳を倒した。
冷静になれば、耳の良いディエゴが気づかないはずがない。
声はすでに通り過ぎた坑道の奥から響いてきていた。
「ようやく気づきました?」
「......ああ。あの馬鹿、もう結構奥に入っていやがる」
ちっと舌打ちをしたディエゴは、大きく息を吸い込んだ。
アオォォォォゥウウウ。
狼の大きく長い遠吠え。それが坑道に響きわたり反響していく。
遠吠えの余韻が残る空間に、次は山羊の鳴き声が響いた。