そのさん-9

Prev


 人気のない方へ。
 そう思って春樹が向かったのは、裏門の方向だった。
 博也の手を握り、校庭を走り抜けて人気のない裏門を出る。
 振り返って追ってくるような人影がないことに気づくと、春樹は速度を緩めた。
「俺、......うわばき、なのにっ」
 引っ張られてきた博也は、肩で息をしながらそう呟く。
 春樹が足元に視線を落とすと、履き潰された上履きが目に入った。
「履けよ」
 春樹は自分の履いていた革靴を脱ぐと、博也に差し出す。
 博也は少し驚いた表情をした後、ぎろりと春樹を睨み付けた。
「なんだよ、戻らねえ気かよ」
「俺は戻らない。......けど、博也は戻りたいなら戻ればいい」
 そう答え、一度は脱いだ革靴を地面に下ろす。
 なにか動きにくい。
 身動きの取り難さの原因を探すと、あっさりと解明できた。
 博也と握ったままの右手。
 春樹がその手を見つめると、博也も不自然に繋がれたままの手に視線を落とす。
「い、いつまで握ってんだよッ。きもちわりいな!」
 怒鳴った博也は耳まで赤くなりながら、春樹の手を離した。
 博也の体温で暖まった手の平。
 風に吹かれて、握った感触もおぼろげになっていく。
「帰る」
 マジマジと手の平を見た後に、春樹は博也に背を向けた。
 だが。
「待てよッ話は終わってねえ!」
 ぐいっと襟首を捕まれ、学校の敷地内に連れ込まれる。
 校舎の裏側の、日差しの入らないコンクリートの壁に、肩を押し付けられた。
 痛みに僅かに顔を顰めるが、博也は力を緩めようとしない。
「さっき、なんで俺を無視したんだよ」
 低い声で囁いて、春樹の腕を背中側に捻り上げ、更に壁に押し付ける。
「痛い」
「ったりめえだろうが、痛くしてんだよ」
 春樹が小さく訴えると、あっさりと鼻で笑われた。
 頬に押し付けられた壁の、コンクリートの冷たさが凍みる。
「で、なんで無視したんだ」
 執拗にそのことを拘る博也に、春樹は身を捩りながら考える。
 その場にいたくなかった。
 ......。
 そんな説明で、博也が納得できるとは思いにくい。と春樹は小さくため息をついた。
 どうしていたくないと思ったか、理由を言えば、離してもらえるだろうか。
「はーるーきぃ?」
「......関谷と、キスをしていただろう。邪魔かと思って」
「キス?」
 春樹の言葉に博也は思い当たる節がないようで、拍子抜けした声で聞き返す。
「わけのわかんねえこと言うなよ。いつ俺がキスしたんだよ」
「さっき」
「はぁ?してねえ。なんで俺が真吾とキスしなきゃなんねえんだよ」
 唇を尖らせて告げる博也は、嘘をついている様子はない。
 意味ありげな微笑みの後、博也に顔を近づけた関谷を思い出す。
 重なったところは、確かに見ていない。
 自分の勘違いだったのだと悟った春樹は、恥ずかしさに居た堪れなくなった。
 博也は、俺がホモだと勘違いしているからキスをさせるのに、誰でも彼でもキスをしていたら確かに変だ。と春樹は思い巡らす。
「悪い。勘違いだ」
「......するってぇと......もしかして春樹ヤキモチ?!ヤキモチ焼いたのか真吾に!!」
 表情を明るくした博也は、ぱっと春樹の腕を離した。
 捻られて鈍い痛みの残る腕を擦りながら、春樹は博也に向き直る。
「どうして俺がやきも」
 言いかけた言葉は、博也の口に寄って遮られた。
「ッ、んー......」
 飛び掛るようにぎゅうっと抱きしめられて、深い口付けを与えられた春樹は頭が真っ白になる。
 息苦しい中にも、ぞくりとした何かが湧き上がる。
「ん、ふ、......ん」
 舌を吸われ、噛み付かれ、春樹の膝が震える。
 そのまま力が抜けてどさりと尻餅をつくと、塞いでいた唇が離れ、春樹は大きく口を開けて酸素を取り込んだ。
「急に、なに」
「たまんねえなあ。お前可愛い。なー春樹セックスしようぜセックス」
 セックス。
 あっさりと告げられた言葉に、また脳内が白くなりかける。
 が、まるで肉食動物のような眼差しで見つめてくる博也に、意識を遠のかせている場合ではないと、春樹は頭を振った。
「男同士だ。無理だろう」
「出来るって。大丈夫ちゃんと気持ちよくしてやるからさあ。嬉しいだろ?俺に抱かれるんだから」
 にこにこと、物凄く上機嫌に笑う博也は、腰の抜けた春樹の視線までしゃがみ込む。
 人差し指を伸ばし、春樹のキスで濡れた唇をなぞった。
「そういうものは、好き合った者同士がするべきじゃないのか」
 春樹は博也の指を払い、困惑しながら告げる。
「いいじゃん、お前俺が好きなんだし」
「......」
「お前は俺が好きなの。ほら、愛してるって言え」
「愛している博也」
「......っあーもう!もう少し感情込めろよッ」
「言えと言ったから言っただけだ」
 淡々と答えると、博也の眉尻が下がる。
 春樹の隣に腰を下ろして胡坐をかくと、頬杖を付いて春樹を眺めた。
 柔らかい光になった博也の視線に、なにやら居心地が悪く感じられる。
「お前めんどくさいなあ。認めろよ俺を好きなことに」
「昼休みにも言ったが、俺の感情なんてお前には関係ないだろう」
「関係なくない。俺を心から好きになれよ。ってか、心から俺が好きなのお前は!」
「......それに、いったいどんな意味がある」
 春樹が見つめ返すと、博也は視線を床に落とした。
 指先で、地面のコンクリートのひびの部分をなぞっている。
 表情は見えないが、髪から覗く耳や首はうっすらと赤い。
「俺が、喜ぶっつーか、嬉しいっつーか......えっと、あー......そう、楽しい!お前が俺を好きだと思うと、凄く楽しい!面白い!」
「......」
 顔を上げて嬉しそうに笑みを浮かべて告げてくる博也に、春樹はゆっくりと目を閉じた。
 嬉々とした博也とは対照的に、すうっと身体の中が冷えていく感覚がある。
 存在を乱暴に扱うだけでなく、心も乱雑にするつもりかと、春樹はほの暗く考えた。
「俺の心も、お前のおもちゃか」
 ふっと目を開いて小さく呟く。
「え?」
 呟きは博也の耳には入らなかったらしい。
 聞き返されて、春樹は薄く笑みを浮かべた。
「わかった。俺は博也が好きだ」
「はる」
 囁いて、唇を重ねる。
 啄ばむような、触れ合うだけの代物。
 優しいその触れ合いに、顔を離すと博也は口元を押さえて僅かに瞳を潤ませる。
「うあー......マジかー......うあー」
 意味の成さない言葉を呟いたかと思うと、博也は満面の笑みを浮かべた。
「あー......次の休みにでも、セックスしよーぜ。俺と出来るんだ、嬉しいだろ?」
「ああ」
 腕を絡ませてくる博也に、春樹はゆっくりと頷く。


 お前が楽しそうで、なによりだ。


 春樹は冷え切った心で、そう思った。


Prev

↑Top