そのろく-8

Prev

Next


 博也の家では、この地域では大きな総合病院を経営している。
 心疾患に関する医療が充実しており、春樹の母親もここに入院していた。
 博也の父も母も、そして博也の兄も病院で医師として勤めている。
 次男である博也は長男と10歳近く離れていることもあってか、甘やかされて育っている節があった。
 あの性格は、その結果だと春樹は思う。
 ......家にいてくれているだろうか。
 ふと一抹の不安に駆られながらも、春樹は博也の家に向かった。
 途中で先に病院に寄って母の見舞いをすることも考えたが、博也と会うことを怖がっているように思えて、足を向けることはなかった。
 たどり着いた博也の家は、相変わらず大きい。
 鉄製の、ロートアイアンと呼ばれる重厚感のある門扉から覗いた庭や玄関は、きちんと手入れされた花や木々が並んでいる。
 ドアも洋風にデザインされたもので、デザインと機能を兼ね備えたものだ。
 相変わらずの自分との立場の違いを見せ付けられた気になりつつ、その場でチャイムを押すとしばらく経って家政婦が出た。
「辻本ですが、博也いますか?」
『あらあ、お久しぶりです。おりますよ、今開けますね』
 朗らかな声とともに、かちんと門のロックが外される。
 自動的に開いていく鉄の門扉から身体を滑り込ませると、玄関のドアも開いて40代前半の家政婦が顔を覗かせた。
 10年以上村瀬家に勤めている家政婦は、春樹の姿を見て頬を緩ませる。
「お邪魔します」
 幼少からの知り合いに、春樹は軽く頭を下げて中に入った。
「博也さんは、部屋にいますよ。......少し、荒れていたようなので、何かあったら呼んでください」
「あの」
 そう伝えて踵を返した家政婦に、春樹は声をかけた。足を止めた家政婦に問いかける。
「停学になったと聞いたんですが、博也は何をしたんですか」
「それが、なんでも知らない人のお宅を片っ端から訪問していって、その中の一人の方とトラブルになって、暴力を振るったらしくてね。博也さん、理由をおっしゃらないから旦那様と奥様がもうカンカンで」
 私が言ったことは秘密ね、と人差し指を立てながら家政婦は笑った。
 自分が大変な時に何をしているのだと春樹は僅かに眉根を寄せたが、ふと心がざわついて胸元を手で押さえた。
 そんな春樹を家政婦は不思議そうに見やる。
「俺、聞いてきます」
「そう?あまり無理しないでくださいね」
 博也は強制されれば意固地になることを知っている家政婦は、控えめに春樹に頼んだ。
 頷いた春樹は二階にある博也の部屋に向かう。ドアの前に立って軽くノックをしても、返事がなかった。
 しばらく待ってから、再度ノックをする。寝ているのであれば、無理に起こすのも悪い。
 二度目にも返答はない。これで最後だともう一度ノックをすると、室内から荒い足音が聞こえた。
「んだよ!飯ならいらねー......って......」
 春樹は、ばんっと勢い良くドアを開けた博也と目があった。
 まん丸に目を見開いた博也に、春樹はどう声をかけて良いか悩む。
 迷っているうちに、ぐっと奥襟を掴まれ部屋に連れ込まれた。
 乱暴にベッドに突き飛ばされ、その間に博也は部屋に鍵を掛ける。
 それからすぐに春樹の元に来た博也は春樹の胸倉を掴んで引き寄せた。
「ひろっ......!」
「しっ。黙れ騒ぐな。ミチさんに聞こえる」
「なら、急に掴むのはやめ」
 諌めようと開いた春樹の口に博也の口が重ねられた。
 がちんと歯がぶつかる。博也がするものにしては、とても荒いな口付けだ。
 背中に回された手が、きつく抱き締めてくる。
 睨むように強い光を灯す瞳は、じっと春樹を捕らえていた。
 普段であれば竦んでしまうような代物だが、瞳に僅かに縋るようなものが見えて、春樹は博也の背をそっと抱き返した。
 しばらくしてゆっくりと博也がゆっくりと身体を離していく。
 名残惜しいような気持ちで、春樹は博也を見つめた。
 博也は不機嫌な表情を隠そうともしない。
「......なんか言えよ」
「悪かった」
「何が悪かったと思うんだよ」
「関谷と、したこと」
 隠すことなく淡々と事実を口にする春樹に、博也の顔が歪んだ。
 ぎゅっと握った拳が震えているのを見た春樹は、それで殴られるのではないかと僅かに身を引く。
 だがそれが振るわれることはなかった。
 何度か深呼吸をする仕草をした博也は、再度抱き締めて胸に顔をうずめてきた。
「お前さ、俺の気に入らないことするなよ。真吾はお前が誘ったって言ってたけど本当か」
「ああ」
 短く頷くと、背中に爪を立てられた。
 痛みに、少しだけほっとする。まだ自分に興味を持っているのだと、それで気づくことができた。
 怒っている博也が安心に繋がるとは思わなかったと、春樹はひっそり考えつつ無意識に博也の頭をそっと撫でた。
 その行為に博也が視線を上げる。
 はっとした春樹は息を飲んで手を退けようとするが、博也は「もっと撫でろ」と呟いただけだった。
 言われるがままに撫で続けていると、博也が大きなため息を付く。
「春樹、なんで真吾とヤッた」
「......」
「真吾は、俺が真吾とヤるって話になったら、積極的になったって言ってたけど本当か」
「......」
「何とか言えよ。てめえの口は飾りか、ああ?」
 ぐっと顎を掴まれて下から睨まれる。
 でも、なぜだろう。怖くない。
 春樹は冷静に見つめ返して口を開いた。
「俺からも聞きたい事がある。それに正直に答えてくれたら、俺も言う」
「......いいぜ。なんだよ」
「俺が関谷といた時、お前はどこにいたんだ」
 その問いに、博也は大きく舌打ちをした。春樹から身体を離すと乱雑に頭を掻く。
「学校」
「本当に?」
「......なんで嘘だと思うんだよ」
「俺は、博也の言うことなら信じる。......そっか、学校か」
 意気消沈したように伏目がちになった春樹の肩を、博也が強い力で掴む。それを催促と取った春樹は、視線を逸らしながら口を開いた。
「博也に触れて欲しくなかっただけだ。俺が原因なら尚更」
「別に女じゃねえんだし、一回ぐらい別に、......ッ?」
 吐き捨てるような博也の口調に、春樹が身を乗り出した。
 胸倉を捕まれ、逆に押し倒されるような形になった博也は驚いたような表情で春樹を見上げる。
「俺は、一回ぐらいなんて思わない。心の伴わない行為は嫌だった。でもお前が他の人に触られるのは我慢できない」
「......お前」
 胸倉を掴む手が震えていることに気づいたのは、春樹も博也も同時のタイミングだった。
 はっとしてすぐさま手を引いた春樹は、博也の上から退いて背を向ける。
「帰る」
「待て!」
 追いかけた博也が肩を掴むと、強い力で跳ね除けられた。怒気を孕む春樹に、博也は再度舌打ちをする。
「待てって言ってんだろうが!」
「!」
 掛けられていた鍵を外している間に、だんと強くドアに押し付けられた。
 背後からの強い力に小さく春樹が呻く。
「くそ、なんだよ!傷ついてるならそういう顔しろ馬鹿!」
 怒鳴られて、春樹も心をざわつかせる。
 精神的な動揺は、表面に見えないようでも心の深いところにあった。
 博也の苛立ちもわからないでもないが、その心中を思いやれるような余裕は春樹にはない。
「離せ。俺は帰る」
 ここにいたくないと、春樹は博也に抗って暴れる。
「待てって俺が言ったんだ、従えよ!」
「もういい。たかだか一回だ。悪かったな、お前の『モノ』を勝手に他人に触らせて」
 自分の体をそう表現して毒を吐く春樹に、博也は泣きそうに顔を歪ませた。博也に背を向けている春樹はそれに気づかない。
「春樹!」
 足音と怒鳴り声、それは部屋から漏れて家政婦の耳にも届く。
「博也さん、どうしました?」
 階段の下から声を掛けられて、博也は春樹とともに動きを止めた。


Prev

Next

↑Top