そのなな-10

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 着馴れない柔らかで手触りの良いシャツは落ち着かなく、その上に羽織ったジャケットは本皮で腕や肩を動かしにくい。
 ジーンズも新しいのが与えられたが、ぴっちりと足のラインに張り付くスキニーで足下には重厚なブーツ。
 黒いハットを手渡されて被れば、春樹はまるでマネキンが立っているかのようだと思った。
 鏡に映る自分が自分に見えない。
「へえ......」
 春樹に次々に服を着せたそのショップの店長は、頭からつま先まで眺めて感嘆の声を上げた。
 身につけている品物だけで、自分一人なら三ヶ月は軽く生きられると春樹はビクビクしている。
 汚したり傷をつけたら事だ。だから春樹は服を脱ぎたくてたまらなかった。
 店内に視線を巡らせると、いつの間にか自分に服を着せた店長が離れたところで電話をかけている。
 ......もう脱いでもいいか。
 見る者もいないのならさっさと脱いでしまおうと、フィッティングルームに戻りかけた春樹は、がしっと肩を捕まれてびくっと体を跳ねさせた。
 振り返ると、携帯で会話したままの店長が春樹の肩を掴んでいる。
 掴みながらも通話は途切れることはない。
「うん、うんそう。や、モデルじゃないんだけどすっげ良いんだよ。......ちょっと待って」
 通話相手に断りを告げると、ようやく春樹に向き直った。
「きみ、ここから5分ぐらい歩いたところにスタジオがあるんだけど、今そこまで付き合ってくれる?軽く資料に写真撮らせてもらいたいんだ」
 スタジオ?資料に写真?
 訳のわからない春樹は、とりあえず首を横に振った。
「博也が戻ってきてないのに、俺だけ移動してしまうわけにはいきませんから」
「五分だよ、たったの五分。すぐに行って戻ってこれるよ。ね?」
「はあ」
 強引に話を勧めてくる店長に春樹は腕を引っ張られた。
 店長自ら春樹を外に連れ出そうとする行為に、春樹は驚く。
 身につけた服装は、まだ会計を済ませてないものだ。それを着たまま勝手に店を出てはまずいだろう。
 春樹は手を引く男に抵抗するように足を踏ん張った。
「あの、俺着替えしてないんで、着替えし」
「大丈夫!むしろそのままがいいんだ」
 意味が分からない。それにこんな着馴れない格好で出歩きたくない。
 変わらず踏ん張り続けると、春樹の抵抗に店長は眉尻を下げた。
「わかった。じゃあこっちにカメラマン来てもらうようにするから」
「えっ?!」
「ここで撮影ならいいだろ?」
 ねっ、とにこやかに微笑まれる。
「でも」
「うんじゃそれで。あ、もしもし?カメラマンこっちに寄越してよ。それから......」
 結局春樹の同意を取らずに、店長は勝手に話を進めてしまう。
 流されていく春樹はどうしようも出来ずに肩を落として、ショップの端の壁に寄りかかった。
 物憂げにハットの縁を触っていると、人の視線と影を感じて春樹は眼差しを向けた。
 短いスカートにカーディガン。肩掛けバッグにはじゃらじゃらとストラップが付いている。
 アイメイクは濃く、長いまつげがばしばしと上下に揺れた。
 そんな女の子が二人ほど自分をじっと見ている。
 何か、と問いかける勇気は春樹にはない。
 居心地悪く動揺を隠すように目を伏せると、その女の子が更に近づいてきた。
「モデルでしょ。撮影中?違うよね。カメラマンいないしー。休憩中ならサインちょーだい」
「えっ?!」
 二度目の驚きだ。そんなことを言われたことは一度もない。
「名前思い出せないんだけどぉ、雑誌で見たことある気がするんだよねー」
「あたしも!絶対こんな美形なら忘れないと思うんだけどさぁ」
 違う。人違いです。
 春樹はふるふると首を横に振った。が、声が出ない。
「ね、握手してくださいー」
「サインならこれにしてぇ?」
 群がられると、他にも足を止める人が出てくる。
 更なる視線を向けられて、春樹はひっと声にならない叫び声を上げた。
 血の気の引いた春樹が身を起こし、ショップの中に逃げ込もうとする。
 と、また先ほどのように肩を掴まれた。
「っ!」
 咄嗟にその手を払って、フィッテングルームにまで逃げ込む。
 すぐに脱ごうと服に手を掛けると、ばんっと試着室のドアが開けられた。
 身動きを止めてはっと春樹が見ると、そこには。
「いい度胸してんじゃねえか春樹。俺の手を払いやがって」
 苛立ちを隠しもしない博也が立っていた。
「博也......!」
 顔を見た春樹は、安堵したように足の力が抜けてしまった。
 呆然とした表情でしゃがみ込む春樹に、博也はちっと舌打ちをする。
 ドアを閉めると、覆いかぶさるように博也が迫ってきた。
「ひろ」
「黙ってろ」
 上から強制的に与えられる口付け。ドアをノックする音が聞こえるが、博也がドアを押さえていて開くことはない。
 何度か啄ばむような優しいキスを落とすと、博也は軽く春樹の頬を撫で髪をくいっと引っ張った。
「もう少し、髪を短い方が今の格好に似合うな。......ただ、遊ぶ格好じゃねえよそれ」
 俺が再チョイスしてやる。と告げると博也は個室から出て行った。
 外から博也の荒れた声が聞こえるが、何を言ってるかはわからない。
 しばらくするとまたドアが開き、何着かの服を投げ込まれた。
「それ着ろ」
「あ、うん」
 ストレートジーンズに、長袖のシャツ。ミリタリージャケット。足は最初に履いてきた薄汚れたスニーカーだ。
 言われるままに着替えを終えると、そっと顔を覗かせる。
 外は静かで人の気配は殆どない。視線を巡らしていると博也と目が合った。
「うん。まあいいんじゃね?」
 あっさりとした評価を告げると、博也はその場で値札を切り取ってしまう。
「チャックは上まで上げろ。それからこれでも被ってな」
 ミリタリージャケットのチャックを上まで上げられると、ハイネックなために口元が隠れてしまう。
 さらにニット帽まで与えられた。
 先ほど絡まれた恐怖がまだある春樹は、ニット帽を深く被って個室を出る。
 博也は会計を済ませているようだった。言われるがままに服を着ていた春樹は、値段も確認していなかったと博也に近づく。
 すると頬を赤くした店長と目が合った。
「いや、ごめんね。悪乗りしちゃった」
「いえ」
 あっさりとした謝罪に春樹は小さく首を横に振る。
「あのさっきの話。俺やっぱり無理なんで、すいません」
「さっきの話?なんだそれ」
 春樹が軽く頭を下げると、博也が聞きとがめた。
「あああ!いやうん、もう大丈夫だから!」
 なんだか慌てて言葉を遮ろうとする店長をよそに、春樹は博也に説明する。
「資料に写真を取りたいって言われて」
「......」
 途端に博也の眉間に皺が寄る。雰囲気の悪くなった博也に春樹は戸惑ったように首を傾げた。
「あのさあ松山サン。俺結構ここの上客だと思ってたんだけど、勝手なことしないでくんねえ?」
「資料に使おうと思ってただけで、けして悪用とか......」
「嘘付け。俺あんたがここで客の写真撮って、雑誌に掲載してるの知ってるぜ」
 博也の言葉に春樹は目を丸くした。店長は首を横に振って言い訳を口にする。
「ちゃんと許可は取ってる!......やっぱイメージに合う子にモデルになってもらいたいんだよこっちも」
「ばぁか。コイツがいいなんて言うかよ。二度とそういうこと勝手にすんな。......行くぞ春樹」
 ぽんっと肩を叩かれて春樹は歩き出す。
「いいじゃん読者モデル!みんな喜んでやるよ?ひろくんも一緒にやってくれればいいのに!」
 最後にそんな声を掛けられたが、博也は振り返りもせずにショップを出て行く。
 春樹は軽く頭をさげると、その博也を追いかけた。
 今度は誰も春樹など気にしない。むしろ一緒に歩く博也が視線を集めていた。
 格好良いから。と春樹はしみじみ考えていると、その隣で博也はがりがりと頭を掻いた。
「モデルなんて面倒なだけじゃねえか。あーくそ、わりいな春樹。
 俺、あそこのブランド好きなんだけど、あんなことになるとは思ってもみなかった」
 謝られた春樹は軽く首を横に振って問いかけた。
「博也は、どこに行ってたんだ?」
「ああ」
 すると博也は何かを思い出したかのように自分のポケットに手を突っ込んだ。
「手、出せ」
「?」
 首を傾げながら春樹が手を差し出すと、「違う左手」と怒られる。
 慌てて手を変えると、指にするっと何かを差し入れられた。
「これ取りに行ってたんだ。......よし、サイズはあってんな」
「......」
 少しゴツいシルバーのリングが春樹の指に納まっていた。
 春樹はその指輪をぽかんと見つめる。
「俺とお揃いなんだから、勝手に外すんじゃねえぞ。......なに立ち止まってんだよ歩け!」
 罵られて思わず立ち尽くしてしまった春樹は、博也に駆け寄る。
「ったく......いつもとろいんだよお前は!」
「すまない」
「......ばぁか」
 並んで歩く春樹をちらりと横目で見ると、博也は鼻を鳴らす。
 手の甲が軽く触れ合った。人が多い街中であれば、そんな偶然もあるだろう。
 触れ合った手の甲と、リングを填めた薬指がじんわりと熱い錯覚を覚えながら、春樹は密かに微笑を浮かべた。


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