そのなな-8

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 その品物が自分の部屋にあるというだけで、春樹は言いようのない緊張感に包まれていた。
 薄い壁の向こう側からはテレビの音がわずかに漏れている。外からは自動車のエンジン音。
 そんな生活音ばかり気にしてしまうのは、自分が今まで持っていなかったものを手にしているせいかもしれない。
 学校で桜庭に受け取った時は、カバンがずっしりと重く感じられた。
 誰にも見られないようにと気を使うばかりに、逆に不審な行動を取っていたような気がする。
 正座して5分ほどその品物を眺めていた春樹は、意を決して手を伸ばした。
 鎮座していたローションを手に取り、ボトルの冷たさに春樹は目を細める。
 それからまだテーブルの上に置かれたままのいただき物に視線を移した。
 先ほどパッケージを破ったばかりの小さなピンク色のプラスチックと、白いT字のプラスチック。
 それらは自分の体の反応について悩んでいた春樹に、桜庭がくれたものだ。うきうきとした様子で、桜庭はそれらの名称を教えてくれた。
「これがローターで、こっちがエネマグラ、か」
 使い方も聞いた。何もない状態で自慰をするよりは、より快感を感じられるだろうというのが桜庭の弁だ。
 春樹はふっと軽く息を吐くと、衣服を脱ぎ捨てていく。
 肉付きの薄い筋肉質な身体が露わになり、全裸になったところで春樹はローションを出した。
 とろみのある液体が春樹の手の平にとぷとぷとあふれ出てくる。それをもう片方の手の指で触れて感触を確かめた春樹は、気合を入れてボトルを自分の胸の上で傾けた。
 ローションの冷たさに肌が粟立つ。とろとろと透明な液体が肌を伝わり、春樹はぼんやりとそれを眺めた。
 本当にこんなもので、自分の身体の感度は良くなるのだろうか。
 半信半疑ながらも、気ばかり焦っている春樹はローションをぬるぬると塗り広げていく。
 ささやかなはずの水音は、春樹の耳にはよく届いた。指先で自分の胸を揉みこみ、反応が現れた突起を指で摘む。
 しばらく弄るが、快感というほどのものはない。くすぐったいのと、肌寒さが先に来てしまう。
 ため息を飲み込んで、春樹は次にそろりと自分のペニスに手を伸ばした。
 多めにローションを振りかけて握る。
 上下に手を動かすと、さらに大きく粘膜が擦れるような音がした。
「何、しているんだろう......」
 羞恥心が先立ってしまい、気持ちよくなるどころかむなしい脱力感が春樹を襲う。
 だが、手は動きを止めずに動かし続ける。
 それでも性器は反応が薄かった。泣きそうになって春樹は唇を噛み締めてしまう。
 焦りすぎることが良くないということに気づかない春樹は、ぎゅっと目を閉じた。
「博也......」
 名前を呼ぶと、じんわりと心が温かくなる。
「博也、......ひろ......」
 脳裏に描くのは、女性の柔らかな裸ではなく博也の筋張ったなめらかな筋肉のついた身体。博也の甘く鳴く声を思い出すだけで、脳髄がじんと痺れるような気がした。
「あ」
 うっすらと目を開くと、半勃ちになったものが目に映る。
 萎えないうちに、と視線は下半身に向けたまま春樹はテーブルに手を伸ばし、卓上に放置しておいたローターを手にした。
 メモリを捻るとヴヴヴ、と俵型の小さなプラスチックが震える。
「えと......」
 強ければ強いほどいいだろうと、メモリを最大まで捻った状態で震えるローターを陰茎の先端に押し付けた。
「ッ......う、」
 ビリビリと背筋が痺れる。春樹はぐっと奥歯を噛んだ。
 敏感な粘膜が荒い振動に混ぜられる刺激に、快感を通り越して痛みさえ感じる。
 でも我慢をした。桜庭からは使い方とその効果を聞いていたせいで、今の使い方が間違っていることに気づいていない。
 結果。
「あ......」
 せっかく快感を引き出して勃起していたものが、すっかり萎んでしまっていた。
 その状態で強い振動のあるローターを押し付けても痛いばかりでどうしようもない。
 すっかり悲しくなった春樹は、ローターのメモリをOFFにした。
 ローションは粘り気が少なくなり、肌に張り付いて良い気分ではない。
 大きくため息をついて、春樹は大人のおもちゃはそのままに浴室へと消えた。



 テストも無事に終わり、徐々に結果が戻ってくる。
 その答案用紙の点数よりも、気がかりなことがある春樹はずっと憂鬱だった。
 桜庭から与えられた道具で自分の身体を開発するどころか、反応の悪いことをより自覚させられるばかりでうまく進まないのだ。
 博也が言っていたという週末は、とうとう明日になってしまった。しかし、博也からのアクションはまだない。
 春樹は、いっそのことその話自体が嘘であればいいと願うようになっていた。
 弄りすぎた胸の突起や性器は、柔らかい皮膚を傷つけたのかじんじんとした痛みを発している。
 痛覚で悦ぶような身体ではないことは間違いなかったが、そろそろ自分の触り方が間違っていることに気づいた春樹は、これ以上どうにもできなくなってしまった。
 また罵られるのは、しかたがない。
 せめて博也には良くなってもらおう、と後孔も少しずつ拡張を試みているのだが、これもまた1人で快感も伴わずに延々と行為を繰り返していると、だんだんむなしくなってくる。
 勉強とは違って上手くいかない身体の開発に、春樹の気分は浮上しない。
 そんな春樹に気を使った山浦がいろいろと声をかけてくれたが、ろくに反応することも出来なかった。いつも迷惑をかけてしまうことも心苦しい。
 ため息を噛み殺しながら、春樹は放課後を教室で過ごしていた。
 家に帰ればまたいろいろ努力をする自分がいるのがわかっている。
 実際はしておいたほうがいいのはわかるが、身体がなかなか動かなかった。
 そんな春樹に付き合おうとしてくれた山浦は、軽やかに現れた桜庭に連れられて行ってしまった。
 帰るタイミングが見つからない春樹がぼんやりとしていると、教室の後ろ側のドアが開く音が聞こえた。
 振り返りかけるのと同時に、自分に近づいてい人影が机に何かを押し付けた。
「どーだ!」
「......」
 机に強く当てられたのは、ついこの間受けたばかりのテストの答案用紙だ。
 記載された点数は、50点前後のものが多い。けれど赤点はなく、国語など69点と博也にしては高得点を取っていた。
 答案用紙を眺めた春樹は、ゆっくりと視線を上げる。
 すると、博也の満面の笑みが目に入った。ずっと会ってなかったことなど微塵も感じられない態度だ。
「......」
「あ?んだよその目」
 押し黙ったまま春樹が見つめていると、博也の眉間に皺が寄った。後頭部を捕まれ引き寄せられる。
 唇に息がかかり、春樹はその近さにわずかに顎を引いた。
「やることあるだろ、ほら」
「......」
「撫でろ」
「え」
「撫でろって言ってんだよ。頑張ったんだから褒めろ!」
 教室にだれも残っていなかったことを良いことに、博也は堂々と春樹にねだる。
 偉そうな態度は相変わらずだが、その内容はあまりにも子供っぽい。目を丸くしていた春樹は、わずかに口元を緩めた。
「わかった。......けど、博也」
「あん?なんだよ早く撫でろ」
「俺も、褒めてくれ」
 頑張ったんだ。だけど、一人でするのはもう嫌だ。そんな気持ちで春樹は訴える。
 普段無表情の春樹が見せたすがるような雰囲気に、博也の方が驚いたような表情になった。
「なんだお前。どうした」
 戸惑ったまま、春樹を抱き寄せてぽんぽんと頭をなでる。
 春樹は博也の肩に頭を凭れかけると、軽く博也の長めの髪を軽く引っ張った。
 まるで甘えるような仕草に、博也は挙動不審になる。
「な、え、おま......」
「博也、今日は俺の家に来るか?」
 出来れば来てほしいと言うように顔を上げると、博也に突き飛ばされた。
 強かに腰を机に打ちつけて春樹は息を詰める。
「ばーか!絶対行かねえ!」
 きっぱりと言い切られて、春樹はもの悲しい思いになる。
 やはり自分は博也に嫌われているのだ。春樹は肩を落として鞄を手に取った。
「俺我慢できるほと気が長くねえんだよ!ちゃんと計画してんだから、お前も......って、春樹!」
 真っ赤になりながら言い訳を口にしていた博也だが、黙って教室から出ていこうとする春樹に気づいて背後から飛びかかる。
「いっ」
 倒れる2人に巻き込まれた椅子が倒れて、ガタンと大きな音を立てた。
「重い」
 のし掛かられた春樹が小さく呻くが、博也は避けようとしない。
「何で勝手に帰ろうとしてんだお前」
 イライラとした口調で春樹を攻める。
「いいから、もう。俺のことは放っておいてくれ」
 あんな寂しい思いをしながら頑張ったのに、と春樹はすっかりいじけていた。
「なんでだよ馬鹿!俺テスト頑張ったのに!ホテルも予約したんだぞ?!チケットだって買ったし、あとは明日を待つだけじゃねえか!」
「誰か他の人と行けば......、」
 言いかけた春樹は、博也の強く怒りの光を灯す瞳を見て呼吸を止めた。
「本気で言ってんなら殴るぞ」
「......、悪い」
 小さく謝ると博也は軽く息を吐く。そして春樹の手を引いて自分が立ち上がるのと同時に立ち上がらせた。
 春樹の制服を叩いて埃を落とすと、博也は春樹の頬を軽く撫でる。
「なに急に不機嫌になってるかわかんねえけど、明日だぞ明日。......な?」
 甘さが含まれる声に、春樹は目を閉じてその手に軽く頬を擦り寄せる。
「......わかった」
 素直に頷く春樹に、博也は満足そうに笑う。
 そのまま軽く唇を寄せた。互いに瞳を閉じてごく自然にキスを交わす。
 触れ合うだけのキスで終えると、博也は春樹の頭を軽く撫でた。
「明日迎えに行くからちゃんと準備しとけよ!9時な!」
 それだけ怒鳴ると嵐のように立ち去ってしまった。
「あ!」
 ぼんやりと博也を見送った春樹は、今更ながらに唇を手で覆う。
 ここは外。しかも締め切った個室ではない。もし誰かが目撃したらどうするのだ。
 そんな思いとは裏腹に、本当に博也が自分を誘っていることに胸が熱くなる。
「......頑張ろう」
 今晩がある。まだもう少しマシになるかもしれない。
 帰って改めてもらったおもちゃを使ってみようと、春樹は気持ちも新たに帰路に着いた。


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