そのきゅう-2
ようやく落ち着いたのは、食後のことだった。
落ち着いたと言っても、博也は人目も憚らず春樹に背後から抱きつき腰に手を回している。
距離を置きたい春樹がそっとその拘束を外そうとすれば、博也はすぐさま目を吊り上げた。
「しつこい男は嫌われるよむらやん」
「この俺を春樹が嫌うはずがない」
きっぱり言い切る博也は、まるで親コアラに抱きつく子コアラのようだった。
桜庭は面白そうに目を細めてみているだけで、口を出すつもりはないらしい。
代わりに似たように山浦の身体を抱き寄せようとして、思い切り手を抓られていた。
「相談したいことってこのことかあ。これじゃあつっじーも息苦しいよね」
ふんと鼻を鳴らした山浦の、嫌味の篭もった言葉に博也は色めき立つ。
「いい加減にしろよな豚。輪切りステーキにするぞこら。豚は豚らしくブヒブヒ鳴いてろ」
「博也、山浦にそういうことは」
「んだてめえ。俺に対して口答えすんじゃねえよばーか」
頭からねじ伏せるような言葉に、春樹はふっと目を伏せた。
少しは変わったと思った関係は相変わらずのようだ、と山浦が内心ため息を付いた、そのとき。
「いやだ。言う。......山浦は俺の友達だ。博也に、悪く言ってほしくない」
静かに告げた春樹に、庇われた山浦の方が驚いてしまう。
桜庭は軽く口笛を吹いて囃し立てた。
春樹の言動に博也は拳を握って強く睨みつける。春樹は僅かに萎縮したが、それでも博也から目を離すことはしなかった。
無表情なのか変わらずなのに、持ち上げた指先は戸惑いを含みながら、博也の唇に優しく触れる。
そしてゆっくりと頬を手で撫でた。
「お前の口から、悪口は聞きたくないんだ」
真摯に見つめる春樹の視線に、博也の眼差しが揺らぐ。
瞳の奥の強い光は、甘い色香を伴うものに。頬をさする春樹の手に自分の手を重ね、博也はうっとりと目を細めた。
「..................わーったよ」
しばしの沈黙の後に、博也は小さく頷いた。
ホッとする春樹の前で、ほんのり頬を赤く染めた博也が立ち上がる。
「ひろや?」
「豚と話がしてえんだろ。俺、向こうにいるから終わったら来い」
ぶっきらぼうな言葉を残して、博也はその場を離れていく。
そんな反応をすると思っていなかった春樹は手を伸ばしたが、博也の服を掴むことはできなかった。
「マジ熱いじゃん。ご主人様、わんこちゃんにメロメロなってんねぇ~」
博也を追いかけようと、腰を浮かしかけた春樹の肩を上から押さえた桜庭は、離れた博也を追う。
出鼻を挫かれた春樹は、それを見送るしかなかない。
「何この無駄に大声出したくなる雰囲気。僕、つっじーがこんなに甘い雰囲気出せるって知らなかった」
「え?」
自分の肩をさすりながらぼやく山浦に、春樹はぱちりと瞬きをする。
「甘い?何が。......俺、また博也の機嫌を損ねた」
「へっ」
気落ちした雰囲気をまとう春樹に、山浦は首を傾げる。
「今までずっとそばにいたのに......怒らせたんだよな俺。謝ってくる」
「ま、待ってよつっじー!今のはむらやん空気読んだんだよ!」
立ち上がりかけた春樹の腕を、山浦が掴んで止めた。
「空気?」
「僕と話したかったんでしょ?だからむらやんと桜庭くんは、空気読んで2人きりにしてくれたんだよ」
「そうなのか。俺はまたてっきり博也が不機嫌になったのかと......」
「つっじー、むらやんを不憫に感じるからそれ以上喋んないで」
博也に同情なんてしたくないと、不機嫌そうに眉間にしわを寄せる山浦に、春樹はどう反応していいか戸惑ってしまう。
無表情で固まる春樹に、山浦は小さく苦笑した。
「で、話したいことってなに?」
「山浦、国語と現代社会、得意だろう。博也に勉強教えてやって欲しいんだ」
「......はあ?なんで。つっじー勉強できるじゃない。教えるのも出来るでしょ」
クラスの中でも上位の成績を誇る春樹に、意図が理解できない山浦はすぐには引き受けない。
「2人きりだと、その......勉強できる、雰囲気じゃなくて」
言葉を濁す春樹に、山浦はすぐに察した。
先ほどのような密着具合や言動からいえば、確かにそうだろう。
「あー......そういうこと。でも、それなら図書館とかそういうところでやれば」
「博也が来てくれないんだ。だから山浦、放課後とかにでも」
「やだよ。僕楽しみにしてるアニメも週刊誌もあるから、放課後は絶対やだ」
「そうか......」
断られた春樹は、珍しく目に見えて落ち込んだ。
点数の悪いテスト。博也は素行もいいとはいえない。
悪い評価はあまり付けられてもらいたくないのに、と春樹はため息を零す。
そんな春樹に、山浦は肩を竦めた。
「しょうがないなあ。昼休みならいいよ」
「本当か、ありがとう山浦......!」
感極まったのか、春樹は山浦の手を握り締めて感謝を伝える。
山浦も笑顔の春樹を見て、表情が出てくるようになったと密かに喜んだ。
が。
「てめえこの白豚!春樹の手を握ってんじゃねえよ!燻製にするぞゴラァ!」
離れていても、ずっと春樹の様子を伺っていた博也が怒鳴り込んでくる。
それを桜庭が背後から羽交い絞めにして止めた。
「落ち付きなよ博也。僕のハニィは殴っちゃ、や・だ」
「だれがハニーだ。だれが」
元々そんなに低くない声を精一杯低くして突っ込む山浦は、眼鏡を指で押し上げる。
それからにっこりと笑った。
「この馬鹿に勉強教えてあげれば良いんでしょ、つっじー」
「誰が馬鹿だこのローストビーフ!」
「例えるの、食べ物だったらなんでもいいの?中学英語も教えてあげよっか」
噛みつかんばかりの剣幕に山浦は怯む様子もない。暴言に対して突っ込む余裕さえある。
「ありがとう山浦、是非頼む」
博也に対して嫌味を言ったと気づいていない春樹は、また山浦の手を握り、博也に怒鳴られる羽目になっていた。