インナモラートの微熱07
「悪い。押し倒さなくても言えることだった」
「......そうだな」
差し出された手を遠慮なく掴んで立ち上がった渉は、顔を赤らめた清水を初めて見た。
真一文字に結ばれた唇と、ホクロ。色づいた頬。
自分で落ち着こうとしているのか、ふらふらと彷徨わせていた瞳を閉じた。
僅かに深呼吸しているようだ。
強い眼光が閉じられているせいか、遠慮なくまじまじと顔を眺める。
整った男前な顔立ち。中身も恐ろしく男前だ。
こんな男と付き合えるなら。
「......彼女になりたい思うんだろうな」
「えっ」
「え?」
思わず考えていたことが口に出ていたらしい。驚いた顔をされて渉も焦る。
「や、えーっと、いいん......清水って、いい男だなと......」
「......あ、ありがとう?」
「うん......」
なんだこれは。
物凄く気恥ずかしい。
押し倒されていたときよりも恥ずかしくて、渉は顔を逸らした。
肩に腕を乗せられる。そして清水はそのまま肩口に顔を埋めた。
「どうだ?やれそうか」
「どうだろ。たぶん俺、毎回なにか言われるたびに嫌がるかも」
「そうか」
「けど、清水はやれって言うだろ」
「うん」
「じゃあ、がんばってみる」
「おう」
渉の導き出した結論に清水が笑った。
清水の柔らかで嬉しそうな笑みに、またぽっと体が熱くなる。
「男だもんな。口に出したことはやるべきだ」
「古風だな清水」
「アニキがうるさくて俺まで似ちまった。けど俺はまだ緩い方だ」
その気風から、清水は長兄か一人っ子だと思っていたが、どうやら違うらしい。
そんなことも今まで知らなかった。
いつもより少し砕けた口調になったことがなにやら嬉しい気分になる。
「緩いよな。昨日の帰りはペナルティなかったし」
笑い混じりに告げると、清水はすぐには思い至らなかったようで、不思議そうな顔になる。
だがすぐに思い出したのか、一度眉間に皺を寄せた。
ああ、やっぱり男にキスするのは不愉快だったんだ。清水の表情に渉はそう納得する。
だが。
「そうだな、忘れてた」
顔をがしっと掴まれて渉は思わず身を引く。
さらに顔を寄せてきた清水の額を手の平で押して遠ざけた。
さすがに三度目となると、渉も遠慮したい。
真面目すぎるにも程がある男だと、渉は少しだけ呆れてしまう。
「長谷川?」
「もうなし。時間切れだろ」
「いいや。僕も男だから、一度口にしたことは突き通すことにする」
しなくていい。
未だに不機嫌そうな態度をしながら迫る清水を見て渉は苦笑した。
渉が笑ったことで、清水の表情も緩まる。ふっと目に面白がるような光が浮かんだ。
引き寄せようとする力が強くなる。
「諦めろ長谷川」
「もう絶対呼ばないって」
「最後の念押しで」
何が最後の念押しだ。
言い草がおかしくて笑ってしまった。
「むつみちゃんって呼ぶぞ」
「いいよわたるちゃん」
「ばーか!っこら、よせって!」
清水が引き寄せるが、そこまで力が入っていないのか口付けされるまでに至らない。
渉もそこまで本気で抵抗していないので、清水の手が渉から離れることはなかった。
傍から見ていれば、その距離は近すぎるじゃれあいだと思うことだろう。
そして、それを見ている者がいた。
コンコン。
第三者が出した音に、渉は清水とともにぎくりとして身動きを止める。
誰かが出て空いたままになったドアに寄りかかるように、制服姿の平祐が立っていた。
「あれ、なんで平祐......」
普段は何もなければ一緒に帰ることはない。
渉は明るいうちにさっさと家に帰るが、平祐は直行でジムに通っているからだ。
「生活指導の先生に呼ばれて説教くらってたんだけど、帰ろうと思ったらお前の靴あったから」
いつの間にかとっぷりと日が落ちて暗くなった外を指差す平祐に、渉は慌てて清水から離れた。
「じゃあ俺帰るから」
ぼそぼそと清水に告げて、床に落ちていたカバンを拾い平祐に駆け寄る。
平祐は無表情のままゆっくりと近づいてきた渉を見やり、それからちらりと清水に視線を移した。
渉は親友の視線を辿ろうとしたが、さっさと歩き出されたので慌てて追いかける。
「どうした?」
「まあ、うん」
平祐は珍しく戸惑ったように渉を見て、軽く肩を叩いた。
「なんなんだよ」
親友を渉は訝しげに眺めたが、平祐はそれ以上何も言わなかった。