インナモラートの微熱3度02

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 翌日、渉は早々に学校に訪れていた。
 高校の開門は七時半だ。部活動で朝の練習がある生徒などが早く来ているが、文化祭が近いためにそれの準備で来ているものもいる。
 渉も、他の生徒に混じって正門が開くのを待っていた。
 普段はまだベッドでぬくぬくと寝てる時間帯の登校に、渉は欠伸を噛み殺す。
 眠気の気配が取り払われないままに、渉は職員室に向かった。
 文化祭の準備で早く来たことを告げると、登校していた教員が総合実習室を開けてくれた。
 どうやら渉が一番乗りらしい。
 空気が淀んでいる気がして窓を開ける。
 ひんやりとした朝の空気を吸い込むと目が冴える気がした。
 それでも気合を入れるためにぱちんと頬を叩く。
 手元が危ういまま作業は出来ない。
 気合を入れて作業を始めた。
 渉が作業できるのは朝と昼と放課後の日が落ちるまでの時間だ。時間があるとは言えない。
 あれだけ関わらないでいたはずの文化祭の準備だが、こういった作業は嫌いじゃなかった。
 少しずれても支障がない小さな星から穴を開けていく。
 それで作業に慣れてから、数の少ない等級の穴を開けた。
 こちらは位置を間違えると星座にならなくなるので慎重に。
 この頃になると、実習室に何人かの生徒が入ってきてにぎやかになる。
 部屋の隅で作業をしている渉に登校してきた生徒の何人かは「おはよう」と声をかけるが、渉はとくに返事もしなかった。
 見たこともない星を作る作業というのは、なんとなく不思議な気分になる。
 小さい頃、友達と一緒に流れ星を探したことを思い出した。
 自分の目が夜は見えないとは自覚しつつも意味を理解していなかった頃だ。
 親を説得して近所の公園に友達で集まって星を見上げた。
 真っ暗な空を見上げてはしゃぐ友達の声を聞きながら、一つも流れ星を見られずに焦っていた思い出がある。
 そういえばあの時付き合ってくれたのは平祐は、他の友達のようには騒がずずっと手を握っていてくれた。
 今考えれば平祐は聡明すぎるガキだった。
 渉よりも渉の症状を理解してくれていた。
 火の玉のような流れ星を見たと嘘をついた渉に他の友達は嘘だと笑ったが、平祐だけは笑わなかった。
 作業をしながら過去を思い出して、なんとなくしんみりとした気分になる。
 朝はぎりぎりまで作業をしてから教室に向かった。
 いつもにも増して遅く教室に入った渉に、クラスメイトの意味ありげな視線が集まるが、すぐにホームルームが始まったので誰も声をかけなかった。
 清水の態度も別段変わったところはない。
 たぶん渉が作業していることも知らないんだろう。
 知らないのだと思うと言いたい気分になるが、それでどうなるわけでもない。
 俺、清水と話したいのかな。
 でも良いように思われるのもやだし、いや、そもそももう俺のことなんてもう好きじゃないんじゃないのか。
 なんて悶々と考えているせいで、ホームルームや授業がやけに早く終わった。
 前よりもずっと清水のことを考えている時間が増えたことに、渉は気づいていなかった。
 それからは、朝は実習室に直行し、昼も弁当も食べずに作業を続けた。
 放課後学校に居れる時間もずっと星を作っていた。
 自業自得とはいえ教室には居難かったので、その点は助かったし、こういった単純作業で細かい作業は嫌いではなかった。
 平祐にも作業をしていることを伝えると少し考えた素振りをみせたが、先に帰るときには遅くなった時は呼べと言われた。
 もっともこの作業を始めてからは、一度も平祐に迎えを頼んだことはない。
 プロテストが近いことを知っているので、直接会うことも避けていた。

 一方で、滝沢は毎日放課後に渉の作業の進行状況を確認しに来ていた。

「ふうん......ちゃんと進んでるんだ」
 その日も進行状況を確認しにきた滝沢は、少し変な顔をしながら呟いた。
 作業の手を止めて半球を差し出すと、進み具合を確認するように滝沢はつるりとしたアクリルの表面をなぞる。
「なんだよ。不満か?」
「んー......正直言って、僕長谷川くんがここまで真面目に作業するとは思わなかった」
 滝沢とは教室では殆ど話することはないが、放課後こうして実習室にやってくるとぽつりぽつりと話するようになっていた。
 滝沢も、最初に怒鳴ったあとに飄々としている渉に気負うこともなくなったのか、とくに怯えた様子も見せない。
「これぐらい普通だろ」
 滝沢から半球を返されて作業を再開する。
 いつもならこれで滝沢は教室での準備を手伝いに戻るのだが、今日は様子が違っていた。
 何か言いたげな視線が突き刺さる。
 無視しようにもその眼差しは気にかかった。
「長谷川くん。清水くんとなんで喧嘩したの」
「......っぶねえ」
 唐突な問いかけ、しかも一番答えにくい質問に、渉は手を滑らせそうになって慌ててドリルを止めた。
 ここまできて割れたら元も子もないのだ。
 くだらないことを聞いてきたクラスメイトをじろりと睨みつけるが、滝沢は僅かにびくついた態度になるだけで普通に見返された。
「喧嘩じゃねえよ」
「じゃあ無視とか意地悪やめて、普通に話せばいいのに」
「......俺は普通にしてる」
「してないよ。まあ清水くんもちょっと様子が変だけど」
「.........」
 向けられる眼差しに耐え切れずに渉は居心地悪くなって目を逸らす。
 詳しい事情を話すつもりがないのを察したのか、滝沢は小さく息を吐いた。
「知ってる?その半球の穴開けだって、清水くんが長谷川くんに任せたいって言って、渋るクラスのみんなを説得させたんだよ。でなきゃ態度も口も悪い長谷川くんに、そんな重要な仕事任せたりしないよ」
 両方とも僕が開ける予定だったのに、と少し悔しげにぼやかれる。
 自分に与えられた評価はともかく、知らなかった事実を口にされて渉は表情をなくした。
 強制的に作業に参加させられているだけだと思ったのに、違うのか。
「皆なんでって不思議に思ってたけど、清水くんは長谷川くんに少しでも文化祭に関わって欲しいから、長谷川くんならちゃんとやるからってさ」
 渉は驚いて目を見開いた。
 あの日から、清水とは一切会話がない状態が続いている。
 それなのに、自分を気にしてくれていたのだ。
 ぶわっと嬉しさが湧き上がる。
 喜びで緩みそうになる顔を逸らすと、渉は気持ちとは裏腹な渇いた笑いを浮かべていた。
「......は、それで俺はこんな面倒なことさせられてんのかよ」
 嬉しいことは嬉しいのだが、ずいぶんと信用を得たものだと天邪鬼が喚いている。
 そんな渉に、滝沢も嫌そうな表情になった。
「そういう言い方ないんじゃないの」
「うるせぇな」
 さっさと帰り支度をするようにカバンを手にする渉に、滝沢は訝しげな眼差しを向ける。
「長谷川くん?」
「やってられっかよ。お前がやればいいだろ」
 清水の意図だと察すると、天邪鬼は渉の身体まで動かした。
 実習室を出ようとする渉に、滝沢は慌ててついてくる。
「え、ちょ......なんで急に......」
「うるせえって言ってんだよ!」
「っ」
 伸ばされた手を強く振り払うと、滝沢の目に怯えた光が浮かんだ。
 苛立ちのままに作業台を蹴って実習室を出る。
 他に作業をしていた生徒の視線が自分に集まるのを感じたが、何も言わずに教室を出た。
 自分でもやけに意地になっているような気がしたが、それでも渉は何かに突き動かされるように家へと帰った。
 自分の部屋に入ると渉はばふっとベッドに横たわる。急いで帰って来たせいか、鼓動がうるさくて仕方なかった。
 カーディガンの上からぎゅっと胸元を押さえる。
 あの日から一度も話をしていないのに存在を強く感じてしまう。
 険悪なクラスメイトから庇ってくれていたこともそうだし、今日知った半球のこともそうだ。
「しみず......」
 そっと呟くと胸の痛さが増す。
 あの時、あの男に会ったのは偶然だった。
 知らなければ、もっと親しくなれたのかもしれない。
 親しくなってから知るよりは良いのかもしれないが、それでもあれがなければと思ってしまう。
「俺の勘違いって、言ってたな」
 それが自分を良いようにコントロールするための嘘じゃないなら、改めて話をしてみてもいいかもしれない。
 今日は衝動的に帰ってきてしまったが、半球もあと少しで完成する。
 あれが仕上がったら話かけてみよう。
 文化祭の他の準備も手伝えれば、清水も喜んでくれるに違いない。
 関係が戻ったところで、あの男のことを聞いてみよう。
 そう考えて気分がよくなった渉は、にやけそうになる頬を押さえた。


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