インナモラートの微熱4度01
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放課後は授業中よりも更に針のムシロだった。
「は?今まで散々足引っ張っておいて、今更手伝いたいってマジなんなの?」
渉が勇気を出して手伝いたいと伝えた相手は、そう吐き捨てた。
苛立ちを隠しもしないで舌打ちをするのは大葉だ。
今残っているのは、当日の会場設営に使う廊下の飾りつけの作製で、それ以外はほぼ揃っている。
渉が作っていた球体さえ完成できれば、実際にプラネタリウムを上映できるところまで進んでいたのだ。
そしてその飾りの作製のとりまとめをしていたのは大葉だった。
「その、迷惑は、かけねえから......」
「お前にやってもらうようなことなんてねえよ」
控えめな訴えをばっさりと打ち切られて、渉は肩を落とす。
「もうこれ以上はムツが何を言っても駄目だ」
近くで様子を伺っていた清水が身を乗り出したところで、先手を打つように大場はけん制した。
結果清水は眉尻を下げて「大葉」と友人を呼ぶに留まる。
「気が散るから、いつもみたいにさっさと帰れよ」
嫌味を込めて『いつも』を強調した大葉は、話が終わったとばかりに他のクラスメイトの作業に混じり始めた。
他のもう作業が終わったクラスメイトは、滝沢の買い物に付き合って教室を後にしている。
割れたアクリル半球を買い直すためのものだ。
この買い出しにも渉は同行したいと滝沢に話したが、きっぱりと断られている。
やることはないが、それでも教室を離れがたかった。
「渉。良かったら俺の手伝いしてくれるか?」
自分の席に座る渉に、清水は慰めるように肩を叩いた。
心配そうな表情の清水に、渉は強張りながらも笑みを浮かべて首を振った。
「ありがたいけど、清水に迷惑かかるからいい」
「そんなの気にしなくていいのに」
「うん。でも」
「清水! 開会式の件で相談なんだけど、ちょっといいか?」
渉と清水の会話を遮るように、教室の出入り口に立った生徒が声を張り上げた。
渉も見知った、生徒会に所属している生徒だ。
クラスのことだけでなく、そんなことにまで清水が関わっていることに渉は驚いてしまう。
「今じゃないと駄目かな?」
「えっと、アレがアレで、とりあえず来て欲しいんだが」
指示語ばかりで意味がわからない会話だが、それで清水は何か悟ったらしく軽く頷いた。
「ごめん、行ってくる」
「あー......気にすんなって」
気遣う清水を笑顔で追い出す。
後ろ髪引かれていた清水は更に催促されて、大葉に一言かけてから教室を出て行った。
手持ち無沙汰で携帯を握り締める渉には、誰も話しかけない。
まるで存在しないように完全無視されるのは辛かった。
もう一日早く、清水に話しかけて仲直りしておけば、半球が壊れても疑われなかったかもしれない。
......あれ、マジで誰が割ったんだろう。
一つは滝沢が作ったが、もう一つは渉が完成近くまで仕上げたものだ。
それを壊されたことは腹立たしい。
けれど。
態度が悪かったから、誰かに恨みを買ったのかもしれない。
そう思うとやっぱり自分が悪いのだと落ち込んだ。
作業をしている同級生をぼんやりと眺めていると、明らかに渉に向けてと思われる舌打ちをされた。慌ててあさっての方向を向きながら渉はため息を噛み殺した。
心が折れそうだ。帰りたい。
すっかり萎縮した渉は、心の中でぼやいた。
けれど帰るにしても、清水に一声かけておきたい。
そう思って渉は居心地の悪い教室に残っていた。
しかし、渉がいくら待っても清水は戻ってこなかった。
「帰ろうぜ」
「ああ。疲れたなー!」
「帰りどっか寄ろうぜ」
帰り支度を終えた級友はさっさと出て行ってしまった。
その帰り際、誰かが教室の電気を消してしまう。渉がいることを知っているのにするその行為は、明らかに嫌がらせだ。
「はー......」
暗くなった教室で渉は大きいため息をついた。
外はとっくに真っ暗になっている。
この状態は渉にとって望ましいことではなかったが、それもどうでもいいぐらいに不貞腐れていた。
「あームカつく!」
誰もいないことをいいことに膝でがんがんと自分の机を蹴り上げる。
渉は落ち着かないままに、携帯を操作して平祐の番号を呼び出した。
電話をかけるとコールが続く。
一回。二回。三回。
......出ない。
「ふ......っ」
急に心細くなって、泣いてしまいそうだった。
電話をすることを諦めて渉は立ち上がる。
電灯のスイッチは教室の前にあったはずだ。
とりあえず、明かりをつけよう。清水のカバンはそのままだから、きっと戻ってくる。
いくら目を凝らしても周囲が見えないが、渉はいつもの教室風景を思い出して歩いた。
手は並ぶ机を撫でながら慎重に歩みを進める。
するとそんな渉に、待ち望んでいた存在から声がかかった。
「渉? こんな暗い中で何してるんだ?」
「あ、いや......」
背後から聞こえてきた清水の声に咄嗟に振り返る。
ほとんど聞こえない足音を頼りに、清水がいるであろう方向に笑みを向けた。
「待ってたら電気消されたから、つけようと思って」
懸命に目を凝らしても、やっぱり見えないものは見えない。
それでも平静を装う渉に、清水も不審なものを感じたのか返答がなかった。
「清水?」
足を一歩踏み出す。
更に清水の方に歩こうとした時、足に机の脚がかかってふらついた。
「っ」
そんな渉の腕を誰かが背後から強く掴んで抱き止める。
身体が密着したことで感じる、薄い香り。
清水だ。いつの間にか渉の後に回り込んでいたのだ。
「な、なんだよびっくりしたな」
「渉、見えてないの?」
隠していたことを指摘されて、渉は息を飲んだ。
「何言ってん......」
「俺の指、見えてないよね?今目の前で三本立ててるんだけど」
「......」
おそるおそる手を伸ばす。
まず清水の腕が指先に当たった。
それを辿り、清水が立てているといった三本の指もしっかりと確認する。
渉にとっての暗闇でも、普通の人では薄闇である場合がある。
渉には見えないが清水の目には見えていることが明らかだった。