インナモラートの微熱4度03
学校を出て駅まで歩き、更に電車に乗って最寄り駅まで移動。その後は渉の家まで数分。
その間、清水は一度も手を離さなかった。
「ごめん渉。そんなに怒らないで欲しい」
むすっとした表情で紅茶の準備をしている渉に、清水は手を合わせて謝った。が、その顔は笑顔だ。
視線を受けて恥ずかしかったのは渉だけらしい。
聞けば清水の家は方向がまったく逆だった。
それなのに送ってくれた相手を玄関でさようなら、とすることは出来ず、今こうしてもてなしをしている最中だ。
2DKというマンションの一室としては標準的な渉の家の、リビングのソファに腰を下ろした清水は、行儀悪く周囲を見回すことをせずに姿勢よく座っている。
ひょっとして清水の背は曲がらないように出来ているのか、と普段猫背の渉はふと思った。
紅茶と茶請けとして家にあった煎餅を出し、渉は未だに不機嫌そうなまま清水の前に腰を下ろした。
「後で、渉の部屋も拝見してもいい?」
「いいけど......面白いもんなんてねーぞ?」
首を傾げた渉に、何がおかしかったのか清水は小さく笑った。
「好きな人の部屋は見たいものだろ」
「ぶっ」
自分に入れた紅茶を飲んでいた渉は、清水の言葉に噴出してしまった。咽る渉を気遣いつつも、笑みを絶やさない清水に怒ればいいのか喜んで良いのかわからない。
「そっ、その件だけどな」
「うん?」
「前に買出しに行ったときに会った男とは、付き合ってないのか?」
そこははっきりさせておかなくてはいけない。
このままいい雰囲気になっても、常に別の男の影がちらついて見えては気持ちが悪い。
「は......僕があの男と?ありえない」
驚いた清水は、嫌悪を滲ませながらきっぱりと言い切った。
「僕はバイだけど、付き合う相手は一貫してる。みんな性格が可愛い子だ。あんなヤリチンは何があっても選ばない」
「やり......」
そうか男も女もいけるのかとか、そうか過去に付き合った相手がいるのかなど、気にかかる部分はあったのだが、品行方正な男が言い放った言葉に渉は頬を引きつらせた。
目を白黒させている渉に気づくと、清水は失言だと気づいたのか「ごめん」と小さく謝る。
「でも本当に有馬さんとはなんでもないんだ」
「でもあの人、清水にキスマークつけてたぜ?」
「え?」
「気づいてないと思ったけど、首の後ろ」
渉の指摘にうなじに手を伸ばした清水は苦々しく舌打ちをした。
「あの野郎」と小さく呟いた気がするのは気のせいと思うことにする。
渉もなんとなくだが、清水が単なる優等生ではないことは気づき始めていた。
「俺、前にも見たんだ。清水にはそんなところにキスするような恋人がいるんだなって」
「もう絶対あの男には近づかない。家から追い出すことにするよ」
家にいたら?
その部分が引っかかった渉は顔をしかめる。
「......清水、あの人とどういう関係なの?」
渉の困惑を含んだ問いに大きくため息をついた。
「有馬さんと知り合いというだけでも嫌なんだけど......身内が付き合ってるんだ。だからうちにもよく泊まりに来てる。それで顔見知りになっただけだよ」
「へえ......」
「あんな複数と関係を持つような男は止めろと言ってるのに聞かないんだ。趣味が悪い」
有馬と付き合っているのが姉か妹かはわからなかったが、憂鬱そうな表情で吐き捨てる清水に、ひとまず疑いを捨てた渉は手を伸ばした。
テーブル上にあった清水の手を握りこむ。
「疑って、悪い」
「......いや、いい。もう君はわかってくれただろう?」
逆に手を握りこまれて、渉は小さく頷いた。
あの場できちんと事実を確認しておけばよかったのだ。
でなければ清水と仲違いすることも、文化祭の準備で揉めることもなかった。
「そろそろ部屋を見せてくれるかな」
しばらくそのまま手を握り合っていると、清水が唐突に誘った。
「いいけど......でも俺の部屋狭いしあんま綺麗じゃないぜ?」
きょとんとした渉に、男はまた笑う。
「渉は可愛いね」
「へ?」
今の会話に愛らしさなど欠片もなかったように思える。
不思議に思いながら立ち上がり部屋へと案内すると、中に入った瞬間清水に抱きすくめられた。
「あっ」
急に身近になった温もりに、渉の心臓が大忙しになる。
「わたる......」
情感たっぷりに名を呼ばれ唇を奪われた。
それと同時にカチと音が聞こえる。
見れば清水が後ろ手にドアの鍵をかけていた。
「ご両親は、何時ごろ帰ってくるの......?」
「ん......最近、ずっと遅いから......二人とも十時過ぎると思う、けど......」
なんで、そんなことを聞く。
渉が身じろぎしても清水は意に介さない。
「清水、なんで鍵......ひあっ?!」
服の中に入り込んできた手に大きく反応してしまう。
渉の動揺を察していたのか、清水はそこで手を止めると宥めるようにキスを落とした。
口付けを受けるとふわんと緊張がほぐれるのだが、手が動くと身体が強張る。
そのたびに清水はキスを仕掛け......の繰り返しだ。
首筋にも唇を寄せられて何度も吸い付かれる。
犬がじゃれあっているようでそこは微笑ましかったが、服を脱がし始めるとそんなことを思う余裕もなくなった。
「しみ、清水っ」
カーディガンを脱がされ、シャツのボタンを全て外された。
ベルトに手を伸ばした清水に、渉は泣きそうになる。
もしや、あれか。え、えっち、すんのか。
病気のせいで夜の外出は控えており、その影響で深い仲になる相手などいなかった。
一人で性欲を晴らすことはあっても、他人と体温を分かち合ったことなど一度もない。
童貞、と平祐に冷やかされた声が頭にがんがんと響く。
「怖い?」
清水はほんのりと頬を上気させながら、渉の素肌に指を滑らせている。
恥も外聞もなくこくこくと頷いたが、清水はベルトを外してしまった。
ジジジ......とジッパーを下げる音がやけに大きく聞こえる。
「僕とするのは、嫌?」
「い、いやってわけじゃあ......」
「じゃあいいね」
清水は強引だった。
スラックスが落ちるのを片手で防ぎながら、渉は後ずさる。
ずり下がったスラックスの合間から灰色のボクサーパンツが覗いて少し恥ずかしかった。
「お、俺、こーゆうのしたことないからっ、その......っ」
「大丈夫。僕上手いから」
何が。と問いたい。
「ち、ちがくて......や、いやじゃないんだけど、もっと、その......」
状況に慣れるまで待って欲しいと言いたいのだが、女じゃあるまいし......と拒絶するのはなんとなく躊躇われる。
「僕のこと嫌い?」
「......嫌いじゃ、ねえ、けど......」
そういう聞き方は卑怯だと思った。
ドキドキして、指先が震えて、勝手に涙が浮かぶ。
展開の速さに脳が追いついていないのだ。
昨晩まで清水と仲直りしようと考えていた部屋で、いつのまにか服を脱がされている。
怯える様子を見せる渉に、清水はすっと目を細めた。
眩しいものでも見るような眼差しを向けられて、渉は縋るように清水の腕を掴む。
が、優しくも強く胸板を押されて渉は倒れこんだ。