インナモラートの微熱5度01



 割れたアクリル半球の代わりを作るのに、滝沢は渉がしていたように朝昼放課後と全ての時間を穴あけ作業に当てた。
 必死でその真剣な様子は誰も声をかけられない状態で、渉もただ見守るしかできなかった。
 毎日クラスでは存在を無視され、準備の手伝いを言い出しては断られる日々だ。
 清水がとりなそうとしてくれるが効果はない。
 クラスでの会話のほとんどは、清水としかしなかった。
 渉がめげずに声をかけたり学校に来れるのは、清水の存在があったからだ。
 作業はせずとも、みんなと一緒に最後まで残る渉を清水は自宅まで送る。
 さすがに初めて送られたときのように手を繋ぐのは恥ずかしいので、暗いところでは肩を掴ませてもらっていた。
 家につけば清水はすぐには帰らず、渉の部屋で少しの会話と触れ合いを繰り返す。
 それはちょっと戸惑いがあった。
 清水は巧みで渉はいつも気づけば服を脱がされてしまうのだが、時折清水が陰膿の奥に指を滑らせて来るのだ。
 大抵は手か口で愛されて渉も同じように返すのに、そのときばかりは震えて逃げ腰になっていた。
 嫌がれば無理に押し込まれることもないので、そこは安心している。
 平祐とは、その後顔を合わせても特に変わったことはない。
 何か言いたげな表情で優しくする平祐に渉も気になったが、清水のことを口にすると不機嫌になるので、あまり言わないようにしている。

 気づけば文化祭本番まで、あと三日に迫っていた。

「清水、俺実習室に行ってくる」
「......うん。帰りは待ってるから」
 名前呼びは二人でいるときにしかしない。
 清水もそれについては何も言わなかった。
 放課後、いつものようにけんもほろろに手伝いを拒否された渉は、声はかけられずとも滝沢の様子を伺おうと教室を出た。
 実習室で作業をしている人はどんどんと少なくなっている。
 作っていたものが完成しているのだ。
 ただ作った物を置く場所がないので、実習室は看板や着ぐるみなどで雑然としていた。
 その中で滝沢はただただ穴を開ける作業を繰り返している。
 渉も作っていて感じていたことだが、作業には細心の注意が必要で、かなり心身を疲労した。
 今回滝沢は最初に半球に穴を開けていた時間の半分で、それをなさねばならない。
 前日には通し練習を考えると、更に期間は短かった。
 星の数を減らせばあっさりもっと簡単に完了するのだろうが、そこは妥協したくないらしい。
 憔悴しきった滝沢はいつもよりも小さく見えた。
 それでも気迫は十分で、一心不乱にアクリル半球に穴を開けていた。
 渉は作業の邪魔にならないよう、少し離れたところで滝沢を眺めていた。
 自分の存在に滝沢が気づいているのかはわからない。
 滝沢とも半球が割れてから一度も話をしていないのだ。
 手伝いたいが手を出せずに、渉は歯がゆい思いをしていた。
 その日もただ滝沢を見ているだけで、二時間ほどが過ぎていく。
 見ているだけでも疲れるのに、ずっと作業をしている滝沢を思うと素直に凄いなと感心してしまう。
 あと一時間ほどで今日は作業を終えるだろうと携帯で時間を確認していると、三人の生徒が実習室に入ってきた。
「これ?」
「そうそう。重いから気をつけろよ」
 実習室の隅に置いてあった、当日校門を彩るモニュメントらしきものの前にその生徒たちが立って会話をしている。
 看板は当日掲げるのだろうが、前夜祭の前にはそれを設置するために運び出すのだろう。
 重いと言いながらモニュメントを持ち上げている生徒を見て、渉はがたりと立ち上がった。
 物が溢れている実習室の中をモニュメントを持って歩く生徒の進行方向に、作業している滝沢がいるのだ。
 集中力を途切れさせずに作業を続けている滝沢は背後を通ろうとしている生徒に見向きもしない。
 もしかしたら気づいていないのかもしれないが、下手に声をかけて手を滑られたら困る。
 なので、渉は飾りを運んでいる生徒に近づいた。
「おい。ふらついてんなよ」
「え、あ、ごめんなさい」
 じろりとモニュメントを運び出そうとしていた生徒を睨むと、怯えたように謝られた。
 自分の態度が悪かったかと渉は首を横に振ると、手伝うと言ってその大きな飾りを持ち上げる。
 三人で持つには、重いものだった。
 渉が手を貸してもふらつきそうになりながら、なんとか滝沢の邪魔をせずに運び出せる。
「......これ、どこまで、」
「しょ、職員玄関......」
 生徒が使う昇降口では邪魔なので、という理由で遠い職員玄関まで運ぶ。
 手を貸した手前、実習室を出たところで戻るわけにいかずに渉は最後まで運びきった。
 生徒たちと一緒に息も絶え絶えになった渉は、よれよれになりながら実習室に戻る。
 あんな人数で運び出そうとするなんて自殺行為だと、任命した生徒会の悪口をぶつぶつ呟いていた。
「アレだって、壊れたら困るだろうに」
「長谷川」
「ったく、もっと丁重に扱えって......え」
 戻ってきた渉の前に、目の据わった滝沢が立っていた。
 目の下の隈も凄い。作業を終えて帰って休んでも、休息を得られてないのだろう。
「やれ」
「ええっ」
 差し出された半球に渉は驚いた。
 しかも命令形だ。
 驚愕を浮かべる渉に滝沢はそれ以上言わずに半球を押し付けてくる。
 それは、まだ細かい星の穴の半分が開いていなかった。
 慌てて作業台に座り、小さな点にドリルを見定めて穴を開けていく。
 ずっと通っていても見向きもしなかった滝沢の心境の変化が気になったが、ぐったりと作業台に臥せっている滝沢を見ると黙々と作業をした。
「おーい。そろそろ閉めるぞ」
 鍵を手にしていた若い教師が実習室のドアを開けて中を覗く。
 その頃には渉と滝沢しか残っておらず、作業台を片付けて廊下に出る。
 滝沢は手に半球の入った箱を手にしていた。
 実習室に置いたままにしていて壊されたので、滝沢はいつもどこかに箱を持ち出していた。
 どこに持って言っているのかは知らない。
「富沢先生が、毎朝真面目に来てたって」
「え?」
「長谷川が、毎朝一番早く来て実習室の鍵を借りていってたって。僕も長谷川が作業してるの見てたけど、ちゃんと作ってたの知ってる。......あの日も富沢先生は長谷川が礼儀正しく鍵を借りに来て、半球を割るために来たようには見えなかったって言ってた」
 富沢というのは初老教諭のことらしい。
 いつも渉に鍵を貸してくれていた先生の名前を渉は知らなかった。
「さっき、僕の作業を邪魔しないようにしてくれたんでしょ。......ありがとう」
 半球が割れたとき、あれだけ強く自分をを詰った滝沢に礼を言われるとは思わなくて、渉は目を見開く。
「......それって俺が割ってないって信じてくれんのか......?」
「ううん」
 普通に拒否されて、じんわりと感動しかけていた渉は肩透かしを食らう。
「でも、一緒にいる間はちゃんと作業してくれた。それは知ってる。だから手伝って。僕だけじゃさすがに辛い」
「......ああ。手伝わせてくれ」

 嬉しい。物凄く嬉しい。

 失った信頼が戻ってきたわけではないが、少なくとも手伝わせてくれる。
 そのことが嬉しかった。


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