インナモラートの微熱5度08

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「お前な......整頓されてんのに、その椅子だけ出てたら変だろう」
 隠れてんのバレバレだった。とこの場に渉を呼び出した平祐は渋い顔をしていた。
 見れば確かに渉が入り込むために出した椅子が、不自然に放置されている。
「そ、そんなの先に言えよッ」
 十分隠れていたつもりなのに、平祐だけでなく清水にもあっさりばれていたのはショックだ。
 複雑な心境で立っている渉に寄り添った清水は、どこか楽しそうにしている。
 平祐がいる前でその距離は近く、はっとした渉が離れようとすると清水の手がそれを阻止した。
「僕から離れないで」
 やんわりと、それでいてどこか拒否を許さない強さのある口調に、渉は清水を見つめた。
「......半球壊したんだ?」
「だって君、したくなかったんだろう? あの日の前日、滝沢に啖呵切って帰ったそうじゃないか。だからしないでいいようにしたのに」
「だからってなにも壊さなくったって」
 悪びれる様子のない清水に、渉も強く言えない。
 すると清水は渉の少し長めの後ろ髪に指を絡ませる。
 そしてそのまま引っ張った。
「馬鹿だなあ君は」
「いっ」
「おい、渉を放せよ」
 黙って様子を伺っていた平祐は、顔をしかめた渉を見て清水にけん制をかける。
 だが清水はそんな平祐を見てより力を込めてみせた。
「さっきも言っただろう。渉は少し乱暴にされるのが好きなんだ」
「す、好きじゃねえよ!」
 自分が特殊な性癖を持ってるようなことを言わないで欲しい。
 痛いのも苦しいのも嫌だ。
 渉が否定すると清水は肩を竦めてみせる。
「大丈夫。どんな渉でも受け入れるから」
「だから好きじゃねえって......」
「嘘をつくな。喉の奥までアレ突っ込まれて、気持ちよくなってただろう」
 がっくりと肩を落とした渉に、清水は笑みを深めるとそっと耳元に囁いた。
「んなこと......」
 かあっと瞬時に赤くなった渉は顔を逸らす。
 平祐の存在が気になった。
 この幼馴染の前で、情事の話を出されたくない。
「ああ、そういえば吉岡は渉のことが好きなんだってね。どうする渉。僕と別れて彼と付き合う?」
「わかれ......え?」
 面白そうに目を細めて告げられた。
 濡れ衣を被せられても、拒否しにくい苦痛を与えられても、別れるなんて考えは微塵も浮かばなかった。
 そんな自分にも驚く。
「渉、俺を選べなんて言わない。だけど、そいつは止めておけ」
 話の引き合いに出された平祐がそう苦言を呈した。
「どう考えても、お前を不幸にしかしないだろ。一人になるよう追い込まれた状態が今じゃねえか。どうも前から気に食わなかったんだ」
 平祐の言うことは間違っていないだろう。
 清水と一緒では人並みの幸福を得られない。
 追い込まれて孤独になって、清水に縋るしかないのだ。
「平祐」
 渉は緊張した面持ちで大事な幼馴染を見つめた。
「来いよ」
 平祐は手を差し出して渉を呼ぶ。
 それを見て清水は渉から離れた。
 それどころか、背中を強く押して渉を平祐に押し出すようなことさえしてみせたのだ。
 つんのめるように前に歩いた渉に、咄嗟に平祐の手が伸びる。
「っ」
 ぱん、と乾いた音が実習室に響いた。
 手を叩かれた平祐は驚いたように目を見開き、叩いた渉も呆然としてしまう。
 清水だけが楽しそうに微笑んでいた。

 手を取ってはいけないような気がしたのだ。
 平祐の手を握った時点で、清水は渉が別れることを望んでいると取るだろうと。

「あ、あの......さ......俺、マゾ、かも......」
 渉は乾いた声で笑った。勝手に喋る口に、思考がついていかない。
「俺、その......い、嫌じゃないんだ。そりゃ無視されたり、嫌味言われんのは、やっぱ辛いけど......俺が他の人の手を握らなきゃ、睦が握ってくれるから」
「わたる......」
「俺、馬鹿だよな。平祐優しいし、全然間違ったこと言ってねえのに......そっち、選べねえ」
 笑いたいのか泣きたいのかわからない。
 いつの間にここまで入り込んでいたのだろう。
 半球を壊した犯人にされ、動揺していたところに付け込まれたとしか言いようがなかった。
 信じてる、という言葉のメッキははがれてしまったのに、まだ清水は渉の中で特別なままでいる。
 渉は平祐を見ずに、そっと清水に近づいた。
 俯きがちに寄り添う渉に、その男は顎を掴んで持ち上げる。
「僕を見て」
 弾んだ声に従う。真面目そうな外見なのに、内に潜む軽薄さが透けて見える。
「好きって言って」
「......好き」
「愛してるって言って。僕がいればいいって」
「あい、してる。俺には、睦がいればいい......」
 告白を聞いている平祐は、渉が無理やりに言わされているように聞こえるかもしれないが、これは渉の本心だ。
 溢れそうになる気持ちを堪えるように浅く息を吐く渉を、清水は抱き寄せる。
「これは僕のものだ」
 平祐に背を向けている渉は、幼馴染がどんな感情を抱いているかわからなかった。
 ただ、盗み見た清水が満足そうに微笑んで背後に視線を向けている。
 それを見ただけで、渉は平祐に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 清水が軽く右手を振るう。すると、背後で足音が遠ざかるのが聞こえた。
 もう平祐とは今までどおりに一緒にはいられないだろう。そう思うと酷く胸が苦しい。

 それでも。

「渉、好きだよ」
 清水が歌うように囁く。
「......俺も」
 不幸で幸福すぎる自分に、渉は泣きたい気分で囁き返した。





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