フェティシスト2
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あんまり広くない部屋に、似つかわしくないほどの大きさのベッド。
さっき使用した浴室も、一人よりは二人で入るのを想定した広さだった。
なるほど。ラブホテルというのはこんな構造になっているのか。
久雅がシャワーを浴びている間に、僕はきょろきょろと興味心からあちこちを見て回った。
ベッドヘッドには三枚のコンドームと使い切り用のローションのパック。
同じくベッドヘッドにはライトの電源があり、そこで調節すれば部屋の明るさやライトの色が変わったりとおもしろい。
そしてベッドに寝転んでも見れるようにか、足側の壁には大きな液晶テレビが設置されていた。
リモコンを探して電源を入れると、すぐさまアダルトビデオが流れ始めた。
「......ラブホまで来て、なんでAVなんだ?」
首を傾げながらいろいろとチャンネルを弄っていると、パタンと浴室からドアの閉じる音が聞こえた。
「!」
僕はいそいでテレビを消すと、逸る心を抑えるようにきゅっと唇を真一文字に結び、ベッドの上で正座して久雅が来るのを待つ。
「紡」
ああ、湯上りの耳もいい......。
僕はうっとりと彼の耳に見惚れる。
そんな僕をよそに腰にタオルを巻いて出てきた久雅は、僕の姿を見て僅かに眉をしかめた。
「なんで服着てるんだ」
「だって風邪引くじゃないか」
久雅とは入れ替わりで浴室から出てきた僕は、当初ここに来た時と同じ格好だ。
ストレッチの効いた黒のスラックスとチェック柄の半そでシャツ。
「それは脱がして欲しいってことか」
近づいてきた久雅が、僕の顎に手をかけて持ち上げる。
そのまま唇が重ねられた。
「ん......」
僕が見ているのは、彼の耳だけ。
あ、あ、まだ水滴付いてる。......なるほど!ここは僕が拭ってあげるべきだな!
耳朶が濡れているのを見た僕は、俄然やる気になって彼の耳を拭こうと手を上げた。
その手がしっかりと久雅に掴まれる。え?と思ってる間に僕は押し倒されていた。
「本当に、いいんだな」
僕の腕を押さえた久雅が上からじっと見下ろしてくる。
そしてそのまま、またキスをしようと覆いかぶさってきたところで。
ゴンッ。
僕は遠慮なく、久雅の額に頭突きを食らわせた。
声にならない悲鳴を上げて久雅がひっくり返った。
額に当たったと僕は思ったが、どうやら頭突きは彼の鼻に当たったらしい。
鼻の頭を押さえて僕を睨む久雅は涙目だ。
「な、な、なにすんだよ!」
「うるさい。君が悪い」
僕が悪びれずふんと鼻を鳴らすと、久雅はぐっと何かを堪えるような表情になった。
「嫌なら!最初ッからついてくんじゃねえよ!何度も確認しただろうが!」
「誰も嫌だなんて言ってない」
耳が赤くなってる。......可愛い!
「言ってなくたって、嫌なんだろうが!」
泣き声半分の怒鳴り声だった。
耳ばかり見ていた僕は、久雅がくるりと背を向けたのを見て、顔をしかめた。
その角度じゃ耳ちょっとしか見えないじゃないか。
もそもそと動いてベッドを降りようとしている久雅を背後から羽交い絞めする。
「順序を守らない君が悪い」
「何言ってんだお前。俺はちゃんと......」
別にセックスの順序を言ってるわけじゃないんだよ、僕は。
「風呂上りには耳掻きでしょッ?!」
涙声の抗議を僕は力いっぱい否定した。
久雅からの返事はない。
さすがの僕も不思議に思って、しょうがなく耳から視線を外すと、久雅の唖然とした顔が目に入った。
「......は?」
「だから、お風呂上がったら耳掻き。これ鉄則だよ」
「耳掻き......」
「うん、そう。僕さ、君の耳のために、新しい耳掻き買ったんだ!スコープ付きだから、取り忘れなんか絶対ないよ」
ああ......理想耳の中まで見れる機会があるなんて、こんなに嬉しいことはない。
うっとりとその至福の時間を想像していると、久雅の冷ややかな視線が突き刺さった。
「お前って、本当の俺の耳しか興味ないのな......」
「うん」
「......」
どこか傷ついた顔でゆらりと立ち上がってベッドから降りようとするから、僕は久雅の腰に抱きついて阻む。
「ちょっと、どこ行くんだよ」
「もーいい......お前の気持ちは良くわかった。......別れよう」
急に言い出すから、僕もびっくりしてしまった。
「嫌だ。なんでそんな話になるの。耳掻き終わったら、君は君で、僕のチンチンとかケツの穴とか好きなところ触ればいいよ」
僕の言葉に、盛大にため息を吐かれた。
「俺は別にお前の身体が好きで、好きになったんじゃない」
ぷいっと顔を逸らすから、ちょっと僕も意地になる。
「は?じゃあなに僕の何が好きなの」
「一緒にいて楽しいところとか、気兼ねしねえとことか。触れ合うとドキドキするし、お前の笑顔が見れると嬉しい。俺の好きはそういう好きなんだよ。けどお前は俺の耳『だけ』が好きなんだろ」
しらっとした表情。さっきまで赤くなっていた耳も普段通りに戻ってる。
ほんのり赤い耳が一番好きだけど、この状態だって十分魅力的だ。
ただし、今は耳に見惚れている時間はなかった。
久雅は僕と別れたいと言っている。別れたら、もう二度とこの近い距離で耳を見ることができない。
同じ大学で、同じ授業を取っているけど、きっと久雅は僕を避けるだろう。
大学卒業したら、二度と見る機会はなくなるに違いない。
そう考えたら......なんだか泣けてきた。
「ひ、ひさまさ、っだって......ぼく、のっこと......好きじゃない、じゃないか......!」
僕のことが好きなら、僕の一番好きなものを取り上げないで欲しい......。
「つむぐ?」
ぼろぼろと泣き出した僕に、久雅は驚いたようだった。
おろおろと戸惑う雰囲気が感じられる。
「僕は、確かに君の耳が一番好きだよ?けど、耳だって......っきみの一部だろ......。別に耳だけ切り取って愛でたいとか、んなキモイこと言ってないし......!君の感情に合わせて、赤くなったり、する、耳が好きなだけじゃん!」
どうしよう。もしかしたら最後の見納めになるかもしれないのに、目の前が涙に歪んで良く見えない。
見れないのは嫌だ。
横隔膜が勝手に跳ねるのを感じながら、僕は目頭に力を入れて涙を堪える。
「僕は......一番君の耳が好き。それは嘘じゃない。でも、それは君が僕を好きな気持ちより、ずっと強い。僕は、君とセックスする覚悟だってちゃんとあって、ここに来たんだ」
泣かないために、なんて思ってたら目つきが悪くなった気がする。
「......嫌々抱かれる気だったんだろ」
苦々しい表情で呟かれたけど、そんなことない。
僕にあんなことやこんなことをしている間の耳は赤くなってるのかなーとか、あわよくば抱き合ってる最中は、キスじゃなくて耳をしゃぶらせてくれないかなとか、思うぐらいには僕も乗り気だった。
「......とりあえず耳掻きさせてくれればいいだけなのに......」
潤んだ眼差しで立っている久雅を見上げると、一気に顔が赤くなった。
あ、僕の大事な耳も真っ赤だ。可愛い。触りたい。舐めたい。だけど今は耳掻きしたい。
久雅の大きな手がそっと下りてきて、僕の頬や額を撫で回した。
涙を指にふき取られ、僕は瞬きをする。
「してもいいけど、一つだけ条件がある」
「......何?別れる代わりに耳掻きさせてやるっていうなら、やだよ」
一時の幸福のために、これからあるだろう至福な時間をなくされるのは堪らない。
「俺の耳が好きでいいけど、これからは耳ってつけんな。俺が好きって言え」
「........................」
久雅の耳が好き、じゃなくて久雅が好きって?
......み、耳なら好き好き連呼しててもいいけど、その対象が一気に『人』になると、途端に気恥ずかしい気がするのはなんでだろう。
「ほら」
僕の戸惑いをよそに、久雅は僕に催促してくる。
顔を撫で回していた指が僕の唇をなぞって、口を割られた。
「......」
「......」
「俺、やっぱかえ」
「好き!好きだよ!ひ、久雅が好き!」
ちくしょう......やっぱり、恥ずかしいじゃないか!
無駄に心拍数が上がって目がちかちかする。耳を愛でてるときとは全然違う。
やけっぱちに怒鳴った僕に久雅はどう思ったのか。
無言でしゃがみこむと僕の頬を手で包んだ。
間近過ぎて......彼の目しか見えない。
黒い瞳に見つめられるとドキドキしてしまう。早く耳が見たい。安心したい。
「ひさ......近いって」
目を伏せながら訴えると、ちゅっとキスされた。ますます胸が跳ねて、変な感じ。
久雅はキスを何度か繰り返すと、そのままごろんと僕の膝に横になった。
キスで熱に浮かされたような状態になっていた僕は、久雅のその行動に少し驚いてしまう。
「いいぜ。ほら」
「本当に?いいの?別れないよね?」
「泣くほど、好きなんだろ俺が」
にやっと笑った横顔が見えた。
そうだよ。さっさと気づけばいいんだよ。僕はなにより君の......君が、好きなんだから。
嬉々として僕は彼の耳を掃除した。皮膚には傷つけないように丁寧に垢を取り払って、仕上げは綿棒で細かい垢を取り払って。
そのあとに続いたのは、甘くてとびきりに濃厚な時間だった。
普段は僕に耳を触れれるのが嫌いな彼も、このときは存分に触ることを許してくれた。......まあ僕も隅から隅まで久雅に触られたけど。
惜しむべきことといえば、散々時間をかけて中を拡げられた僕が、久雅の性器で揺さ振られて、舐めていた耳朶に噛み付いてしまったことだろうか。
綺麗な耳朶に残った、僕の歯型。
食いちぎるつもりだったろう、なんて久雅はからかうけど、僕は完璧なフォルムを誇っている状態が好きなのであって食耳嗜好はない。
でも困った。歯型を見るとそのときの光景を思い出して、僕なのに彼の耳を見れない。
単なる耳だっていうのに、や、僕の大好きな耳だけど、でも耳なのに、久雅の耳だと思うとエロく見える。
耳でシコらせてください。なんてお願いしたら怒られるだろう。
うっかり口走らないよう堪えるのが、僕の中での緊急課題となっていた。