8月-3


 引き止めるあいつを振り切って家に駆け込んで、部屋に引きこもった俺は、ずっと考えてた。
 けど、やっぱりわかんねえ。
 どうして、俺?
 そりゃ、前からあそこのコンビニはそれなりに利用してたし、よく話しかけられるようになる前から、ヤツの存在は知ってた。
 話しかけられてもろくに返事もしなかったし、5月で公園で会うまで、まともに会話らしい会話もしたことがなかった。
 それなのに、あの男は、俺のことが......す、好きだって言った。
 いったい、いつから?
 それもわからない。
 海で、キスしたときに唐突に?それとももっと前?前って言っても、ここ数ヶ月だ。一緒に遊ぶようになったのは。
 まだ、記憶も新しいし、回数だって数えられるほど。
 俺の、どこに?
 はっきり言って、俺には誰かに惚れるような要素がない。
 顔立ちだって良く見て普通。悪く言えば地味だ。
 服を脱いで裸になってみたって、貧相な身体が見えるだけだった。
 わからないことばかりだ。
 なんで、どうして、とずっと布団に潜って考えていると、いきなり誰かに布団を剥ぎ取られた。
 誰?ってか、俺の部屋には一応鍵が......。
 鍵をかけて篭ってたのにも関わらず、急に現れた人の気配に驚いた。
 振り返ると、そこには仁王立ちした兄がいる。
 腕を組み、じっと俺を見下ろしていた。
 眉間の皺が、深い。
「なに」
 言葉短く問いかけると、兄は深く、ため息をついた。
「なんでもねえよ。飯だ。来い」
 言葉に、俺は首を横に振る。
 腹、空いてねえよ。飯なんて食ってられるか。
「いいから、食え」
 低く腹の底から出たような声。
 俺の身体を掴むと、兄は肩に担いで部屋を出る。
 ドアを通る際に、俺は頭をドアの縁にぶつけた。
 あて。ちょ......今思いっきり頭打ったんだけど!
 嫌がらせのつもりで、俺は兄の髪を掴む。
 が、兄は微動だにしない。
 リビングダイニングに入ると、母も父もいた。
 俺の顔を見て、安堵の表情を浮かべる。
 兄は、俺を下ろすとさっさと自分の席に座った。
 珍しいな。今日のごはん、みんなで一緒か。
 それなら食べないわけにいかないなと、自分の席に座る。
「よかった......トモくん無事だったのね」
「お腹空いただろう、さ。食べなさい」
 目の前の食卓には俺の好物ばかり並ぶ。
 ......今日、何かの記念日だっけ?
 思わず、そんなことを考えてしまうくらいの豪華さだ。
「これ食べたら寝ろよ。てめえの酷い顔が、更に酷くなってるぞ」
 兄がそう言って俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
 なに言ってやがる。てめえの方が、目の下に酷い隈出来てるじゃねえか。
 俺は眠くなんてないぞ。
 なんで兄がそう言うかわからなくて、俺はじっと見つめた。
 隣に座っている兄も、俺を見つめ返す。
 しばらく見合って、眉間に皺を寄せた兄が口を開いた。
「おいニート。今日は何曜日だ」
 今日?えーっと、ヤツのバイトがあって平日でゴミ出したのが、昨日だから...。
「木曜日」
 曜日感覚もなくなるなんて可哀想なヤツだ、と俺は自信満々に答えた。
 そしたら、兄にかなり本気で殴られた。
「この、馬鹿。お前本気でそれ言ってんのか?」
 目の前の両親は、ため息をついたりこめかみを押さえたりしている。
「トモくんあのね、今日は土曜日よ」
 母が、苦笑しながら答えた。
 え?
「木曜日と、金曜日は?」
 水曜日の次が、何で土曜なんだ?
「一昨日と、昨日ね。もうとっくに過ぎたわよ」
 は?
「てめえはずっと部屋に篭ってたんだよニート。......呼んでも返事がなかった」
 兄が苦々しい表情で呟く。
 え、嘘だ。俺は誰にも呼ばれてなかったぞ。
 きょとんとしていると、兄が卓上にあった鳥のから揚げを箸で摘んだ。
「口開けろ。おら」
 ぐいぐい頬に押し当ててくるから、仕方なしに口を開く。
 むぐむぐ噛んで、飲み込む。
 すると急に、物凄い空腹感を感じた。
 俺は箸を手に取る。
「いただきます」
 手の平を合わせると、それこそ欠食児童のように、ごはんをかき込んだ。
 時間間隔が狂っていたのは俺のほうだった。
 ヤツのことで悩みすぎて、約2日間程、脳みそがどこか行っていたみたいだ。
 腹いっぱいごはんを食べた後は、それこそ夢を見る暇も、ヤツを思い出す暇もないほど深く眠った。
 兄に壊された部屋の鍵は、しばらく直されなかった。




 脳内の旅行により二日ほど身体を留守にしていた俺は、コンビニ店員のバイト終わりの見送りがてらの散歩も、綺麗さっぱりすっぽかしていた。
 一度行きそこなうと、再度行くタイミングを見失う。
 しかも、あんなことがあった後だ。
 姿の見せない俺を、ヤツはどう思っただろう。
 ......あきらめたのだろうか。
 コンビニに行けないから、どんな様子かもわからない。
 兄に様子を見てもらうか?いや、あの察しのいい悪魔のことだ、俺が心の旅に行くきっかけになった人物だと見抜いてしまうかもしれない。
 母や父にも、もちろん頼めない。
 頼み方もわからない。
 ああ、どうしよう。こんなことで、もう会えなくなるなんて......。
「おい」
 低い声とともに、パチンと部屋の電気が灯された。
 ハッとしてドアを見れば、壁によりかかった兄がいる。
「ニート、飯だ」
 もうそんな時間?
 ベッドに座ってぼんやりしていた俺は、慌てて時計を見た。
 夜八時。
 うちのいつもの夕飯の時間には少し、遅い。
 ......また、俺はプチ旅行をしていたようだった。
 自分でもこんな状態が歯がゆくて、ため息をついてしまう。
 もどかしい。嫌だ、こんなの。
「智昭」
 間近で聞こえた兄の声にびくっとなる。
 ひどく真面目な顔をしていた。
「お前、何悩んでんだ。聞いてやってもいいぞ」
 上から目線の尊大な王様。
 うるせえ。お前に俺の気持ちがわかるもんか。
 俺は首を横に振って立ち上がる。
 ごはんが俺を待っている。
 兄の脇を通り過ぎようとしたところで、胸倉を捕まれて壁に押し付けられた。
 いっ......て。頭またぶつけたぞ。
「この俺が、聞いてんだぞ。答えろ」
 ぎらっとした兄の眼。
 俺は蛇に睨まれた蛙だ。
 ゲコゲコと洗いざらい喋りたくなる。
 今までは、そうだった。全て話してきた。兄だけじゃなく、母や父にも隠し事はしたことがなかった。
 だけど。
「......ほお、いい度胸じゃねえか」
 視線を逸らした俺に、兄が悪魔の笑みを浮かべる。
「兄ちゃんは嬉しいぞ。男はそんぐらいの反骨精神がねえとな」
 うぐっ。首しま、ってるぞこのボケ!
 俺は兄の手を掴んで睨む。
 だが、ヤツは力を緩めようとしない。
 力で俺を屈服させようとしているのだ。


←Novel↑Top