8月-4
嫌だ言いたくない。あいつとのことは。
大事な、記憶だから。
俺だけの大事な。
「......っは...げほ...!」
意識がなくなりそうになったところで、兄が手を離す。
急に入ってきた空気にむせる俺。
ひゅーひゅー喉を鳴らしていると、兄がまた締め技をかけてきた。
こいつの技の力加減は絶妙だ。子供の頃に、俺に何度も技をかけて、どこまでやれば人は意識を失うか知っている。
ああ、また、意識が切れる。
と、その寸前にまた、呼吸が出来るようになる。
兄がかける技の嫌なところだ。
いっそ意識を失えば楽になるのに、それができない。
「言う気になったか」
見下ろす兄の眼差しは、鋭くて怖い。
それなのに、声だけが柔らかくなる。
「母さんも父さんも待ってる。ほら、今は頷くだけでもいいぞ」
誘惑の声だ。
嫌だ。言わない。
唇を噛んで、ぎゅっと目を閉じる。
負けるもんか。俺は言わないったら、言わないぞ。
「智昭」
髪を掴んで、兄は俺の顔を上に上げさせる。
引っ張られた部分の頭皮が痛い。
けっ。別に俺は、お前の暴力には慣れてんだ。
てめえのことだから、理由を知ったらあいつに何かするだろう?
あいつに手を出したら。
俺が許さない。
薄目を開いて兄を見る。
眉間に刻まれた皺は深い。
「嫌」
きっぱりと告げると、兄の殺気が増した。
もしかしたら殺されるかもしれない俺。
けど、死んでもいい。絶対言わない。
そう俺が決意していると、家の電話が鳴った。
何度目かのコールで、途切れる。
母が電話に出たらしい。階段の下から声が聞こえた。
「トモくーん」
母の呼び声に、兄が振り返る。
もちろん、俺も視線を階段に向けた。
「お友達から電話よー」
なにい?よりにもよってこのタイミング......!
兄が、俺の首から手を離した。
俺をベッドに突き飛ばして、部屋を出て行く。
駄目だ!それは俺に来た電話だぞてめえ。
俺は慌てて追いかけた。
「お兄ちゃん?」
どたどたと降りてきた兄に、母は驚いたようだった。
「俺が出るから、受話器貸して」
俺の電話だってば!
母から受話器を受け取った兄の背に、俺は飛びつく。
「邪魔すんな」
頭を捕まれて、ぐいぐい押しのけられたが、俺は必死になってしがみついた。
「もしもし」
低く機嫌の悪い兄の声が、電話の相手を詰る。
「こいつの様子が変なのはてめえの......」
途中で、言葉が途切れた。
「え、ああ......ああ、俺は智昭の兄で......え?」
あれ、なんか戸惑ってる?
木にしがみつくコアラよろしく、兄にしがみついていた俺は、ひっそり様子を伺った。
なにやら兄は、毒気が抜けた表情になっている。
「おいニート」
なんだよ大魔王。
視線を向けられて、俺は毛を逆立てて応じる。
「電話」
あれほどに、俺から遠ざけていた受話器を手渡された。
180度違う態度に、俺は驚いてしまう。
「それが終わったら飯だからな」
そう告げると、兄は心配そうな母と一緒にダイニングに入ってしまった。
なんなんだ?
疑問に思いながら電話を耳にくっつける。
「もしもし?」
『やっほぅ!あきちゃん元気ぃ?』
きらきらした、テンションの高い声。
「......志穂、ちゃん?」
俺は目を見開いた。