2月-10


 俺は、満面の笑顔を兄に向けた。
「うん。ありがとう。難しいかもしれないけど、俺頑張るから」
「そうか......」
 兄が、俺の顔を見て少し虚を突かれたような表情になった。
「何その顔、変だぞ。......あ」
 兄の変顔に突っ込み入れてる場合じゃねえ。
 帰ってきたら頼みたいことがあったんだ。
 俺はあまり足音を立てずに、急いで自分の部屋に向かい、一つの箱を手にした。
 俺の宝物が詰まってる缶箱。
「......」
 べこべこに歪んだ箱の蓋を、俺はそっと開く。
 蝉の抜け殻。大事な映画の半券。何枚かの名刺。大好きな腕時計。......黒い、ケイタイ。
 見なきゃ、良かった。
 俺は名刺類だけ引き抜いて、慌てて蓋を閉じた。
 ケイタイは、兄から貰ったやつがあるし。腕時計は、ケイタイがあるから付けなくていい。
 バチンと頬を叩いて余分な水分が目に集まるのを邪魔して、俺は兄の元に戻った。
「これ、代わりに捨ててくれる?」
 差し出した箱を受け取った兄は、若干微妙な表情になった。
「いいのか」
「俺捨てられねえの。向こうだって、渡されても処分しにくいだろうし。よろしく」
 兄を見上げて笑う俺に、何か悟るものがあったんだろう。
 神妙な顔で頷いてくれた。
「じゃあおやすみなさい、昭宏」
 これでさっぱりした、と俺は自分の部屋に向かう。
 そして早々とベッドに潜った。

 でも。
 その日は、うっかり寝れなかった。
 はは。駄目じゃん俺。



「ごめんね智昭くん手伝ってもらっちゃって」
「いえ。みんなで作った方が早いし」
 にっこり。
 俺は明るく答えて、最近ようやく板についてきた笑顔を浮かべた。
 つーか、顔筋っての?笑うと頬が筋肉痛。今までどれだけ表情がなかったのかって話だ、俺。
 家のキッチンに不慣れに立つのは、ロングヘアが似合う長身の美人。
 兄の恋人の、沙紀さん。
 俺の就職祝いに来てくれた沙紀さんは、本当に慣れてなさそうに包丁を握った。
 得意じゃないっての、嘘じゃないんだなあと12月に会ったときに、母と話していた内容を思い出す。
 そばで見てる俺の方がひやひやした。
 母は、わざわざこのためだけに帰ってきてくれる父を迎えに行っていた。
 なので、家にいるのは3人。
 俺と、沙紀さんと兄だ。
「お前、器用だから料理もすぐに上手くなるって」
 兄が俺の頭に乗っかって、茶々を入れてくる。
 普段なら、用もなければ近づかないキッチンスペースにいる兄。
 今日は沙紀さんがいるからか。
「昭宏も手伝ってくれる?」
「いや、俺は食い専門」
「なにそれ。少しは手伝ってね」
 しょうがないなという表情で笑う沙紀さん。
 兄はそんな沙紀さんに手を伸ばして、ぐしぐしと頭を撫でている。
 髪が乱れるのを気にしていたようだったが、沙紀さんは嬉しそうだった。
 けっ。いちゃついてんじゃねえぞこら。
「俺、邪魔なら向こう行ってるけど」
 にやっと笑って、俺の頭に腕を乗せる兄を見やる。
「いや!行っちゃ駄目よ智昭くん。ホント、見捨てないで!」
 沙紀さんに思いっきり却下された。
 まあ俺もキッチンがどうなるか考えると、一緒に料理した方がいいに決まってる。
「と、いうわけで、父さんと母さんが帰ってくる前に準備したいから、昭宏向こう行って」
「......ああ」
 邪魔だからと追いやると、眉間に皺を寄せて変な顔になって立ち去る昭宏。
 最近、多い。
 何か言いたいことがあるなら言えっつうんだよボケ。
「ね、これはどうするといいの?」
「ああ、じゃがいもの芽は、こう包丁の角で......」
 芽のとり方を教えて皮剥いて、まず1個を1口サイズに刻んでみせる。
「上手ね智昭くん」
「これぐらいしか、出来ることなかったんで、覚えました」
 褒められて、俺だって悪い気はしない。
 調子に乗ってじゃがいもを2、3個切ってから、俺は沙紀さんに包丁より剥きやすい皮むき機を渡した。
「そっか。私にも教えてね」
「もちろんです」
 嬉しそうに微笑む沙紀さん。......が持つ皮むき機の持ち方が変だ。
 ドキドキしながら彼女の手元を見守った。
 ほっそい指に、切り傷でも作ったら俺が殺されそうだ。
 今だってほら。
 ちらっとダイニングに視線を向けると、兄と視線が合った。
 どうしてもキッチンが気になるらしい。いや、気になるのは彼女か。
「でも、よかったあ」
「え?」
 沙紀さんの呟きにしては大きな声に、俺は兄から視線を外した。
「智昭くん、12月に会ったときすぐに席外しちゃったし、正月はあんまりお話できなかったから」
 そうだ。正月。
 昭宏は沙紀さんちのご両親にご挨拶に行ったらしい。
 そのあと、沙紀さんと一緒にうちに来たが、俺は部屋に引きこもっていた。
 ......メール、楽しかった、し。
 ズキ、と痛みかけた心を追いやって、俺は沙紀さんの言葉に耳を傾けた。
「打ち解けるの、時間がかかるかなって思ってたの。今日は智昭くんと料理できて、嬉しいよ」
 沙紀さんはふわっと愛らしい微笑みを浮かべた。
 幸せそうだな。
 俺もにっこりと微笑み返す。
「兄、意外に偏食なところあるんで、直してやってくださいね。きっと沙紀さんの手料理なら食うと思うし」
「だといいけど。意外に昭宏頑固なんだもの」
「......頑固ですね」
 頑固で俺様で、プロレスばかだけどね。
 くだらないことを話しながら、俺と沙紀さんは料理を仕上げていった。
 しばらくし両親が帰ってきたので、母にから揚げを揚げてもらう。
 沙紀さんと一緒に作ったのは、カレー味の肉じゃが。カレーにしなかったところがミソだ。
 他にもこまごまと俺の好きな料理が並んで、食卓は乗り切らないぐらいだ。
 4人用のテーブルに5人で着席。

 楽しい食事だったと思う。うん。


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