7月-3

 翌日から俺は、いつものように自宅に引きこもっていた。
 ごろごろ転がり、たまに思い出したように部屋の掃除をしたり、忙しい家族に食事を用意したりする。

 今まで、家にいてもほとんど家事を手伝うことのなかった俺の行動に、父と兄は驚き、母は喜んだ。
 なんてことはない。
 何かしていないと、落ち着かなくてしょうがないのだ。
 漫画を読んだり、インターネットしたり、テレビを見たりしながら時間を過ごすのもよかったが、どうしても違うことが頭をよぎって、いつの間にかずっと考え込んでしまう。
 あいつは、俺に何が言いたかったんだろう。
 俺が帰ってくると、兄が荒々しく電話を切っていた。
 その前に、「智昭はいないっつってんだろうが!二度とかけてくんな!」と怒鳴り声が、外まで響いていた。
 もう真夜中なのに近所迷惑な馬鹿だと思ったが、それより電話の内容が聞き捨てならなかった。
 俺に電話なんて、それこそ一人ぐらいしか心当たりがない。
 帰ってきた俺と目が合った兄の、バツの悪そうな顔。
 俺は何も言わなかったが、なんとなくもやもやしていたので、兄の大事なプロレス録画DVDについうっかり、深夜アニメを重ね撮りしておいた。
 兄はそれに気づいたようだったが、何も言ってこなかった。
 つまりまあ、そういうことだろう。
 そんなことがあって、何をしていても思考が逸れてしまっていた。
 もしかしたら昼間にかかってくるかもしれないと、俺にしては珍しく電話に出た。
 「お父さんかお母さん、大人の人はいるかな?」なんて子供に言い聞かせるような喋り方をされて、速攻切ったが。
 何度か頑張ったが、どれも俺が欲しい電話じゃなかった。
 そのうち、諦めた。
 兄の言葉通り、もう二度とかけてくるつもりがないのだろうと思うと、なんだか心がギュッと締め付けられた。
 バイト時に会いに行こうかとも考えたが、俺から距離を置こうとしておきながら会いに行くなんてムシが良すぎる。
 もやもやな思考の雲は、俺の脳の視界を阻んで邪魔をしていた。
 今日は、父がこっそり楽しみ育てていた庭の花を、雑草と一緒に引き抜いてしまった。
 口からため息が滑り落ちる。
 慌てて埋め直したが、捻れた幹を見る限りでは再生は難しいだろう。
 ごめんなさい父よ。
 ひっそり職場の父へ思いを馳せ、なむなむと花の冥福を祈ると、俺は立ち上がった。
 ......顔を見れば、少しは気が晴れるだろうか。
 家に入って時計を見る。
 正午前。
 今から家を出て大学に行けば、顔ぐらい見れるかもしれない。
 思い立ったが吉日と、昔から言うじゃないか。
 ヤツがバイトの最中に見に行けばいいものを、俺は無計画に鍵を持って家を出た。

 ヤツが、どこの学部に所属しているのか、俺は知らない。
 何の授業を選択して、何時間目に空きがあって、何時に帰るのかすら予測もつけない。
 大学についてから、少しだけ途方に暮れた。
 今日ちゃんとヤツが来ていれば、正門で駅に向かう時にでも会えるだろう。
 ......いや、会っちゃ駄目だ。顔、顔だ。顔だけ見れればいいんだ。
 正門にいたら会ってしまうと気づいた俺は、どこか、正門を見張りやすい場所を探した。
 きょろきょろと周辺を見回す。
 視界の良い正門に、俺は眉間に皺を寄せた。
 どうしてこう、隠れやすそうな場所がないんだ。
 ポストでも立たせておけ。もしくは中身の見えないテレフォンボックス。
 もし今の瞬間ヤツに会ったらお前のせいだぞ大学め。
 無機物にまで八つ当たりしながら敷地内に入り、うろうろしていると、目の端にきらりと光るものが入った。
 チラ、チラとしつこく光が瞬くから、俺の機嫌は急降下。
 光の元を辿れば、正門近くのビルの中。
 目を凝らしてよくよく見れば、女がコンパクトを持って二階の教室で化粧をしていた。
 そのコンパクトの光が、ちらちらと俺に当たっていたのだ。 その前には男が女に背を向けるようにして座っている。
 前を見たり、手元を見たり、どうやら授業中のようだ。
 ......授業中に化粧すんなよ。集中しろ集中。
 まったく近頃の若いもんは...と、古めかしいことを考えて、俺はまた、場所を探そうと背を向けた。
 しかし、思い直してまた女を見る。
 明るい外から、室内は見にくい。
 今だって、コンパクトの光が反射してなければ、正門に近い建物の中に教室があるなんて知らなかった。
 あそこにしよう。
 いい見張り場を見つけたと、俺はビルに入った。
 ビルは、法学部の棟だった。
 大学の裏手側にある文学部だった俺とは縁も縁もない施設。
 女がいた教室はこのあたり?と目測つけて部屋を覗き込めば、大教室が目に入った。
 やった。これなら後ろから入ってもバレにくい。
 音もなくドアを空けて、そっと忍び込んだ。
 中は空調が効いている。
 炎天下の下で、ヤツを待つよりよほど快適だ。
 窓際の空いている席に座って、俺は外を見た。
 出入りをする学生に視線を巡らせる。
 この授業をしている教授に指されないようにだけ気をつけながら、俺はあの男を待った。
 昼が過ぎ、午後になり、日も傾く。
 授業も終了して、人気がなくなっても、俺はヤツを見つけることが出来なかった。
 今日は、いないのかもしれないな。
 クーラーの切れた教室でぼんやりとそう思う。
 あとはもうしばらく授業もないらしく、時間をつぶす学生たちが、俺と同じように座っていたり寝ていたりしていた。
 近くに座る女どもの声が耳障りだ。
 俺はずっと肘を机について、頭を手により掛からせて、ただ眺めていた。
 いないかもと思っても、席を立つタイミングが掴めなかった。
 室内に電気が点り、外には街灯が点く。
 大学に入る人はほとんどいなくなって、出ていく人ばかりになっていた。
 楽しそうな学生。
 在学時は、俺は楽しくなかった。つまらなかった。行きたくなかった。
 でもそんなこと家族に言えなくて、惰性で通ってた。
 その反動で、今じゃ立派な社会不適合者だ。
 あのやろうが俺に付き合ってくれたおかげで、もしかしたら俺も普通の人みたいになれるかと思った。
 ......結局、かわんねぇままストーカーまがいのことしてるけど。
 人の顔も、もう少ししたら判別しにくくなるだろう。
 そうなったら諦めて帰ろうと、ため息を付いて目を擦った。
 ずっと目を凝らしているせいで疲れた。目の奥に鈍痛もある。
 まばたきを繰り返して瞳に潤いを与えていると、見知った人影が目に入った。
 あの頭、鋭い眼光は間違いない。
 俺を捕まえようとした店員の男友達だ。
 視線を僅かにずらせば、小さい茶髪の女の姿も確認できる。
 黒髪はいないようだった。
 ......ついでに、コンビニ店員もいない。
 一度跳ねかけた心臓は、姿を目撃出来なかったことで正常に脈を刻み出す。
 腕を組んで歩く二人をぼんやりと見やっていると、女がぱっと男の腕を放した。
 おや?と思う暇なく、坊主は背後から誰かにのしかかられて潰れていた。
 女はそれを指を指して笑い、坊主は背後から乗ってきた人物に文句を言っている。
「......」

 ああ。

 怒鳴る坊主に手を合わせて謝りながら、笑う男がいた。
 コンビニで働く姿や、俺と一緒に遊ぶときの姿とは、また違う。
 ヤツは満面の笑みだった。俺に見せているような笑みとは、全然違っていた。
 とても仲が良いのだろう。坊主頭をぐしぐしなで回して、ヤツは女に何かを言っている。
 三人で、揃って笑った。
 なんだ。俺の心配が杞憂で良かった。
 もしかしたら、泣いて暗くなってるかもしれないなんて、考えなくても良かったんだ。
 俺と一緒にいるより、全然生き生きしてる。
 やっぱり、大事だろ友達。
 次の水曜日.........行かなくても、いいよな。
 俺といるよりきっと、そっちにいた方が良い。
 楽しかった。ありがとう。
 ヤツとその友達は、俺には気づかないまま、建物の脇を通り過ぎて正門に近づく。
 せめて、見えなくなるまで見送ってやろうと、その背中を眺めた。
 俺は満足だった。
 笑みを浮かべて、見送れるほどに。
 小さくなるヤツの姿を、ただ見つめていた。

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