番外編-24



 大魔王は、リビングで寛いでいる。
 うがいしてビールを出した俺は、冷蔵庫を覗いて今日の夕飯の余りもので簡単な夜食を用意していた。
 当の部屋の主は、なにやら兄に噛み付いている。
「センセ!ちょっといい加減にしろよ!ビジネスホテルにでも泊まればいいだろ?!稼いでるんだから!」
「なんだ?俺がいたら邪魔か?」
「邪魔だっての!」
 毛を逆立てて威嚇するようなかずに対し、昭宏はふんと鼻であしらうだけだ。
「昭宏」
 カレーがあったけどご飯がないから、カレーうどんを作ってみた俺は、それを持ってリビングに戻る。
 ローテーブルに置くと、兄と目が合った。
 ......?
 何か言いたげ、というかちょっとした違和感。
 考える俺。
 ..............................あ、あああああ、あー。
 そうだ、いつものハグを忘れていた。動揺してたな俺も。
「お帰り」
 ビールを片手に持ったままの兄に、横から軽く抱きつく。
 にやっと笑った兄と、目をまんまるにするかずの顔が見えた。
「ただいま」
 軽く肩を叩かれて、食事の邪魔にならないように離れる。すると、かずが駆け寄ってきて俺の身体をきつく抱き締めた。
「かず?」
 何、どした?
「ああああああもう!習慣なのはわかってんだけどさあ!なんかこう嫌なんだよ!!」
「器量が狭いヤツは嫌われるぞ」
「うっせ!......ね、ともあきさん、俺もぎゅってして?ね?」
「いやだ」
 2人だけならまだしも、昭宏いんだぞてめえ。恥ずかしいじゃねえか。つか離せ。
 俺が突き放すような素振りを見せると、かずはショックを受けた表情になった。
「ともあきさぁん......」
 ぺたんと垂れたしっぽと耳が見える。
「お前ら邪魔だ。キモイからべたべたしてんじゃねえよボケ」
 兄に、心底嫌そうに顔をしかめられる。
 心の中ではやっぱり歓迎してないのがその表情からは見て取れて、俺は複雑な心境になった。
 俺の眉間によった皺でそれを理解したのか、かずも表情を曇らせてちょっと離れる。
 奇妙な空気だ。やな感じ。
「智昭、ビール」
 そんな中でも変わらぬ態度の昭宏は、泡だけ残ったグラスを見せてくる。
「明日、早いんだろ。飲みすぎ、じゃね?」
「いいから持ってこい」
 俺は肩を竦めると、冷蔵庫からもう一本の缶ビールを取り出して渡した。
 さて、気分を変えて風呂でも入れてこよう。それで入ってるうちにリビング片付けて、寝床作らなきゃな。
 バスルームに行こうとする俺の腕を、かずが掴んだ。
「どこいくの?」
「風呂入れてくる」
「......俺やるよ。ともあきさんいいから座ってな」
 そういうと、かずはそのままリビングを出て行った。
 テレビ画面を見ながらずるずるカレーうどんを啜る兄は、ソファーから少し離れたところに腰を下ろした俺などいないかのように振舞う。
 全部食べ切って、それからビールも飲み干すと、ようやく落ち着いたようにソファーの背も垂れに寄りかかった。
 かずが、戻ってこない。お湯だけ出せばあとは時間見計らって止めればいいだけなのに。
 不思議に思ってドアを見ていると、「智昭」と呼ばれた。
「何?」
 視線を兄に向ける。
 なんだか眉間に皺を寄せていた。
 考えてみればこうして2人でいることなんて、本当に久々だ。
 普段家にいないし、帰ってくれば兄は二児の父親で、家族サービスに努めてるから俺のことは殆ど構わない。
 電話だって殆ど俺にはしないし、たまにメールで指示もらって、子供の写真送ったりなんなりする程度だ。
 そう思うと、なんだか緊張してきた。
 じっと見つめるが、呼びかけた癖に兄は何も言わない。
「来い」
 短く呼ばれて、俺は兄の側に近づいた。
 2人掛けのソファーの真ん中にふんぞり返ってる兄は、場所を空けてやろうという気はさらさらない。そういう性格だと知っている俺は、兄の足元に膝をついて見上げた。
 側で見る兄は、少し不機嫌そうな......いや、なんだか困ったような表情だ。
 どうしたってんだ?
 不思議に思ってぼんやり見つめていると、身をかがめた兄が俺の頬を軽く撫でた。
「昭宏?」
 普段ない素振りに、俺は本気で戸惑ってしまう。すると兄はちっと舌打ちした。
「もういい。風呂入ってくる」
「でもまだ」
「うるぜえよ」
 ぐえ。
 足蹴にされた俺はまるで潰れた蛙のようにべたっとリビングのカーペットに倒れこむ。
 そんな俺の頭を軽く踏みつけて鼻をならした昭宏は、そのままリビングを出て行った。
 あいっかわらず......俺の扱いひでえ。
 バスルームから怒鳴り声が聞こえてくるのを聞きながら身体を起こすと、おそらく追い出されてきたのだろうかずが、奇妙な顔で戻ってきた。
「かず、どした?」
「センセのブラコン直ってねーな」
「え?」
「ともあきさん痩せたからちゃんと食わせろって。俺わかんなかったけど少し痩せた?」
「......さあ?痩せてたとしても、そんな気に、するほどじゃねえ、よ」
 そうそう俺だって体重乗るわけではないからわからないが、兄がそういうのなら痩せたのかもしれない。
 もしかしてそれの確認で俺の頬を撫でたのか?
 じゃあ最後に踏んだのは?.........踏んだのは単に邪魔だっただけか。
「ぅわ!」
 首を傾げていると、かずが俺を抱き上げた。
「ん。確かにちょっと軽い。くそ......センセに言われて気づくなんて......」
 悔しそうに顔を歪めるかず。
 いやいやいや。それ言ったらお前、抱き上げてわかるもんなのかよ。
 つーか、俺が俺の体重把握してねえのに、どうしてお前らそんなに気づくんだよ。
「下ろして」
「うん」
 頷いた割に、かずは俺を下ろしてくれない。良く見れば、ちらちらと欲情が灯っているのが表情から読み取れる。
「しないぞ。今日は」
「わかってる」
 ふーっと息を吐いた。さっきまでやる気満々だった分、お預けを食らって苦しいらしい。
 それをいったら煽られた俺だってきついが、さすがに兄がいるのに出来ない。
 かずはちゅっと俺の額にキスをして、しぶしぶ離してくれた。
 兄が出てくる前に急いでテーブルを片付けて出した布団をリビングに敷く。
「俺たち、もう寝るから。明日、何時に起こす?」
 ほかほかと湯気をまとって出てきた兄にそう声をかけると、眉間の皺が更に深くなった。
 ずんずんとリビングを通り過ぎて奥の部屋、寝室を覗く。
 それから兄が振り返った。
「智昭」
「何」
「お前ここで寝ろ」
「はぁ?」
 ここ、とリビングに敷いた布団を指差され、かずは目をぱちりとまたたかせた。
「布団もう一式ぐらいあるだろ。敷け」
「あるにはあるけど......なんで?」
 かずの問いかけに、兄は腕を組んで嫌そうな表情だ。
「男同士で一つの布団に寝るなんて気持ち悪いだろうが」
「......」
 ああ、やっぱり。
 認めてくれはしたけど、やっぱり兄は俺とかずの関係、嫌で仕方ないのか。
 ぐっと奥歯を噛み締めて俺は俯く。
「ともあきさん......」
「ほら、さっさと用意しろよ」
 俺に手を伸ばそうとしたかずは、昭宏に蹴られてよろめいた。
「っ、てめ!さっきからなんなんだよ!嫌なら出てけ!!」
「かず」
 怒鳴るかずの腕を掴んで、俺はそっと首を横に振る。
 そんな怒鳴るな。近所迷惑だし、......一日ぐらい一緒に寝なくたって平気だろ。な?
 そういう問題ではないけど、俺は笑みを浮かべてみせた。
 俺の表情を見たかずは、何にも言えなくなって顔を逸らす。
「最低だなあんた......」
 兄に悪態をつくと、かずは寝室に一度消え、それから来客用の布団を取り出して戻ってくる。ここには薫さんや怜次君志穂ちゃんがたまに泊まりに来るから布団はあるのだ。
 面積の関係上、兄の布団と並ぶように敷かれた布団が、かずはすごく嫌なようだ。
 いらいらしてるのがわかって、俺は歯磨きしに洗面台に向かったかずを追いかけた。
「ごめん」
 俺が謝ると、かずはゆっくり首を振る。
「ともあきさんのせいじゃないから謝んないで」
 でも、ごめん。俺の兄のせいで、不愉快な気持ちにさせて、すげえ申し訳ない気がする。


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