番外編-9
「ちんたら歩いてんじゃねえよこのオカマ!」
「きゃっ!」
中学校の廊下で、ど真ん中でもなく端っこを歩いていた僕は、後ろから来た同級生に突き飛ばされてふらついた。
手にしていた教科書やノートが散らばる。
「『きゃっ』だって!」
「キモイ!薫ちゃーん大丈夫?」
ぎゃははと笑う幾人かのクラスメイトと、別のクラスの人間。
ちらっと周囲に視線を走らせたが、傍にいるのは生徒ばかりで、教師の姿は見当たらなかった。
くそ......ッ。
イラッとくるが、相手にしたら付け上がるだけなのを知ってるから、僕は無言で散らばった教科書に手を伸ばした。
僕の手が教科書に触れる前に、ダンッと教科書が踏みつけられる。
「やっべ!さわっちった。薫菌が移る!」
ぐりぐりと教科書を踏みつけておきながら、さも失敗したと笑う男子。
「きったねえ!近づくなよ?」
踏みつけた男子をはやし立てる周囲。
それらに混じっていない周囲は、ひっそりと見ていない振りをして通り過ぎた。
「林!新城!センセ来るぞ。お前ら日直だろう」
前からゆっくりと歩いてきた僕より小さいチビが、僕の周囲で暴言を吐く生徒に声をかけた。
野球部に入ってる目つきの悪い、坊主頭の少年。
小学校は同じ。だけど中学校になってからは、学校であまり話をした記憶はない。
「あ、そうだった」
「さんきゅな!的場」
わらわらと走ってその2人が立ち去ると、はやし立てるだけにいた他の生徒もそそくさと去って行く。
自分たちだけでは僕を虐める勇気さえ持たないやつらに、少しだけ笑った。
踏みつけられた教科書には、僕がかけた可愛らしいブックカバーがかかっている。
それにしっかりと足跡が残っていて、残念で軽くため息をついた。
「これ」
ぶっきらぼうに差し出されたノートとペン入れ。
それを差し出しているのは的場怜次だった。
話をした記憶はないのに、よく姿は見かける。
それの意味を気付けるほど大人じゃなかった僕は、怜次の差し出したそれらを奪い取るようにぶん取った。
「ばあか!お前も菌が移るぞ」
変声期もまだで、甲高い声でそう言い放って、僕は駆け出す。
「あ、おい!薫!授業......」
だっと走り出した方向は、移動先の教室とはまったく逆の方向だった。
怜次もそれを言いたかったんだろうけど、僕にはそれを聞く余裕はない。
授業開始のベルの音を聞きながら、僕はその場を逃げ出してしまう。
保健室に行けばいいのはわかってるけど、優しい養護教諭を心配させるのは忍びなくて、僕は違うところに向かっていた。
上履きをローファーに履き替えて、外に出る。
校庭からは体育をしているらしいやつらの、騒ぎ声が聞こえた。
その喧騒を避けるように裏校庭に進む。
裏側には来客用の駐車場もあるが、その脇に今は使われていない道具をしまう倉庫があった。
その裏側を覗く。
日当たりのいい、人に知られてない場所。
薄汚れた壁に寄りかかって、惰眠を貪っている少年が1人、いた。
「......」
僕は彼がいたことに頬を緩ませて、起こさないようにそっと隣に座る。
最近、金髪に染められた髪。着崩された制服。すさんで鋭くなった眼光は、今は閉じられていて幼い寝顔を晒していた。
その横顔を眺めて、僕は時間を潰す。
時折ひくっと動く鼻や、身じろぎするのを見るのは楽しかった。
飽きもしないで眺めていると、少し強い風が吹く。
すると寒いのか、彼は身を縮めた。
そして。
「はっくしゅ!!」
盛大なくしゃみをして、それがきっかけで目を覚まして何度か瞬きをする。
まだ完全に目が覚めきってないのかとろんとした眼差し。揺れる頭を見て、また寝るかな、と様子を伺っていると焦点の合っていない瞳が僕を捉えた。
茶色の、澄んだ瞳に見つめられて僕は身体を硬直させる。
目の前に他の人間がいることに気付いた彼は、やがて徐々に眉間に皺を寄せた。
「......んだよ薫。いたなら起こせって」
不機嫌というよりは不貞腐れた言い方に、僕はホッとする。
よかった。怒ってない。
「和臣良く寝てたから、起こしたら悪いかと思って」
「お前に遠慮されるなんて、気持ちわりいな」
一之瀬和臣の言葉に『キモイ』と言われた同級生の言葉がフィードバックされる。
強張った僕の顔を見た和臣は、人差し指をぴんと出して額を突っついた。
「いたっ」
「変な顔すんじゃねえよ」
じろりと睨んでも、和臣には効果はない。
気心の知れた友達だからなおさらだ。
あっさりと僕をいなすと、和臣は伸びをして立ち上がった。
ぱんと学生服のズボンを叩いて汚れを払うと、僕に手を伸ばしてくる。
「おら行くぞ」
「授業、出るの?」
たぶん、僕は物凄く嫌そうな顔をしていたに違いない。
和臣は片眉を上げて、肩をすくめた。
「決まってんだろう」
俺らの本分は勉強だぜ?そう和臣は笑った。
今までサボって寝ていた人がいう台詞じゃないよ、和臣。
うずくまったまま立ち上がらない僕の手を、和臣は無理やり掴んで引っ張った。
「俺が出るんだからお前も出ろよ」
「やだよ。......行きたくない」
突っぱねて座り込んだままの僕は、ぶんぶんと首を横に振った。
「お前な」
呆れたような和臣の声。
ぐっと手を引いて、和臣の手を払うと僕は膝を抱えて俯いた。
和臣はふーっとため息をつくと、また僕の隣に座る。
「今の時間だけだかんな」
「うん」
どうやら和臣は、僕に付き合ってサボりを続行してくれるらしい。
手持ち無沙汰なのか、僕がそのまま持ってきて地面に置いたままの教科書を手に取った。
薄汚れてしまったカバーを眺めて、一言。
「かわいいなこのウサギ」
「ウサギじゃないよ」
「............犬か」
「犬じゃない。そういう生き物なの」
「なんだそれ」
和臣はカバーに描かれた、黒と白のキャラクターを睨んで唸った。
そのまま、和臣は綺麗についた足跡を指先でなぞる。
しばらく眺めて、何かを思いついたのか、突然僕を見た。
「お揃いにするか」
「えっ」
「ブックカバー。俺もつける。放課後買いに行こうぜ」
ふわりと笑顔を浮かべる和臣。
お父さんのとある事故が元で、素行が悪くなってきた和臣だけど、その笑みは昔と変わらなかった。
......優しい、性格も。
「い、いやだよ!和臣とお揃いなんて」
「ひでえな。んじゃ色違いとか」
「もっとやだ!」
いいじゃんペアルック!とからかう和臣に、絶対嫌だと怒鳴る僕。
本当は嬉しかったのに、それが素直に言い出せなかった。
騒いでいるうちに、学校の中からチャイムが聞こえる。
「ほら薫」
「......うん」
和臣はその音を聞いて立ち上がった。
僕も嫌々ながら立ち上がる。
次の授業で、今日は終わりだ。
できれば今日はこのまま帰りたいけど、和臣が学校に足を向けたからしぶしぶ僕もついて行った。
斜め後ろを歩いて、目に入る和臣の手。
繋ぎたいなとぼんやりと思ったけど、手を伸ばす勇気はなかった。
ほんのりと持った恋心。
手を繋げない代わりにその恋心を握るように僕は軽く胸に手を当てた。