小話詰め合わせ-11


-アルバイト-

本編4月より前のお話です。ともあきと和臣が仲良くなる前。和臣視点。





 コンビニでのバイト中。
 胸ポケットに入れてあった携帯が、メールの着信を知らせてぶるぶると震える。
「ありがとうございました」
 夕食らしい弁当を購入して立ち去ったOLを見送って、雑誌コーナーで立ち読みをする男性客を横目に捕らえつつ、俺はポケットから携帯を取り出して内容を確認する。
『今、家を出た』
 送信者とその内容に、俺は思わず期待と喜びでにやけてしまった口元を押さえる。
 『彼』が、来る。
 三日ぶりだ。
 そわそわと落ち着かないままレジをこなしていると、メールから10分弱でコンビニのドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
 明るく声をかける俺に、その人物はびくっと細い肩を揺らす。
 ボサボサの髪。型の古いダッフルコート。使い古したジーンズ。
 半目でぼんやりとしていた瞳は、俺の姿を捕らえると大きくはっきりと見開かれた。
 形のよい二重の目が俺を凝視していることに気分をよくして、親しみを込めた笑みを向ける。
「こんばんは」
「!」
 きょろきょろと周囲を見回し、かけられた声が自分に向けてのものだと気づいたその青年は、細い首をすくめてわずかに頭を下げる。それからそそくさと雑誌コーナーに歩いていった。
 ......ようやく、俺を覚えてもらえた。
 じーんと喜びが広がり俺はぎゅっと拳を握る。
 明らかにおびえた様子を見せてはいるが、覚えられていないよりはましだ。
 何度素知らぬ人に声をかけられたような、不審な眼差しを向けられたことか。
 根気強く声をかけた俺、偉い。
 ひっそりと自分を誉めた俺は、もう一方のレジに入っていた高校生のバイトの肩を叩いた。
 人気がほとんどないこの時間。暇を持て余していたそいつはあくびをしながら俺を見る。
「なんすか小野サン」
 やる気のなさが顔に出ている。
 高校生ってこんなに馬鹿っぽかったか?
「お前これから休憩行ってこい。15分」
「え?」
「いいから、裏行けよ。俺が呼ぶまで出てくんな」
 若干低い声で脅すように声を出すと、戸惑いつつも高校生は俺の言うとおりに裏に下がる。
 さて。
 周囲を見回せば、あの人は一番奥にいた。その付近には冷凍食品や冷菓がおいてある棚がある。
 ドアを開けて、いつものように指定されたアイスを手に取っているのだろう。
 もう少しすればここに来るはずだ。
 その時を今か今かと待ち望んでいると、一度レジまで商品を持ってきた彼は、俺以外に店員がいないことに気づくと困惑したように眉尻を下げた。
 しつこく声をかけた結果、俺の姿を見るとささっと違うレジに流れて会計していたのだが、俺しかいなければ俺の元に来るしかない。

 早くおいで、ともあきさん。

 愛しい気持ちをいっぱいに、俺に警戒しているその青年を見やる。
 また目が合うと、レジまで持ちかけていた商品を手にしたまま、今度はお菓子コーナーに歩いていってしまった。
 毎回不要な物を購入しないのは知っている。見る必要がないのにそこに行ったのは、ほかのバイトがレジに戻ってくるまでの時間稼ぎだろう。
 そこまで苦手意識を持たれたのは正直ショックだが、少しでも強引に声をかけなければ、あの人は俺を見てくれない。......いや、他の物をなにも見ようとしない。

 話によれば、家から出てくるのも三日ぶりのはずだ。
 根暗なニート。心優しいあの人の兄は、あの人をそう呼んだ。
 卒論を仕上げ、単位もぎりぎりでついこの間卒業を迎えたともあきさんは、卒業式にも姿を見せなかったらしい。
 そんなに嫌だったのか。......同じ大学だったから姿だけはいつも見ていたけど、どんなときも無表情でいたから内心はまったくわからなかった。
 ただ、ほとんど一人きりで過ごしている大学生活は寂しそうだった。
 声をかけたかったけど、引け目のある俺は在学中に近づくことはできなかった。

 そして、今に至る。

「あの、」
 ぼんやりと考えていたところで、レジに来た男性が訝しそうに雑誌を差し出した。
「あ、すいません。360円になります」
 ぴっと会計を済ませて雑誌を渡す。それから、俺はともあきさんの姿を探した。意識を飛ばしていたせいで、見失っていた。
 狭い店内だから、すぐに見つかるだろうと思ったのに姿が見えない。店内に残った客は、これでともあきさんだけになったはずだ。
 もしかして、買うのを諦めて帰った?
 ......十分ありうる。
 俺は数秒間でも意識をそらしていた自分を罵った。
 あの髪の跳ねた頭が見あたらないと言うことはそういうことなのだろうと、意気消沈してレジから出る。
 前は別のコンビニでアイスを買ったらしく、何やってるんだとともあきさんの兄、俺の家庭教師をしてくれた昭宏センセに怒鳴られた。
 ともあきさんが違う店舗に行くのは不可抗力だと返したら、何をどうしたのかともあきさんを俺のいるコンビニに向かわせるように、センセは手を回したらしい。
 ......ほんと、何をどうしたのか知りたいけど、センセは教えてくれなかった。
「あーあ」
 未練がましく、いないことを確認しよう陳列棚の中を歩いていると。
 ......いた。
 レジからは見えない陳列棚の死角。
 ともあきさんはそこにしゃがみこんでいた。
 手に取っているのは最近売り出したばかりの新製品。
 玩具のついた幼児向けのお菓子だ。それを手にとってカタカタと振っている。
 しばらく振っていると思ったら、棚に戻し、また同じ商品の別の箱を振っている。
 ......なにしてるんだろうこの人。
 かなり夢中になっているらしく、俺がそばにいることにも気づかない。
 しばらく同じ行動を繰り返した後に、商品を並べ変えると満足したようにふっと笑った。
「っ」
 思わず漏れかけた声を手で塞いで殺す。
 なにしてんだかわかんないけど、すっげかわいい......!
 昔見た笑顔とほとんど変わらない気がする。っていっても、笑った顔なんてほとんど見たことないが。
 絵画を見ていたときは、楽しそうに笑みを浮かべていた。
 ともあきさんの笑顔になんというか心がざわついて、よく突っかかっていたことを覚えている。
 ほんと、あのときはしょうもないガキだったな俺。
「その玩具、買うの?」
 懐かしい記憶を伴って、俺はつい普通に声をかけてしまった。
 とたんに向けられたのは驚愕の表情。
 ただでさえ大きな丸い目で俺を驚いたように見ているその表情も、愛しく思える。
「っ......ごめ、」
 だけどともあきさんは、俺に怒られると思ったのか、小さく謝罪を口にしながら自動ドアに向かって走り出した。
 俺はとっさにそのともあきさんの腕を掴む。
 コートの上からでもわかる華奢な細い腕だ。
「なっ」
 ともあきさんが怯えているのがよくわかった。
 ......ああこれでまた印象悪くなる。
 わかってはいたが、声をかけない訳には行かなかった。
「ごめん。そっちは買うんだよね?」
 できるだけ穏やかに声をかけたつもりだったが、さあっとともあきさんの顔が青ざめた。
「っ、あ、別に......盗る、つもり、じゃ」
 声に涙が滲んでいる。
 ともあきさんが持ったままのアイス。たぶんしばらく常温にあったから多少溶けているはずだ。
 俺がレジにいたが為に、会計に来るのを迷っていたんだろう。
 で、玩具をいじっているうちに夢中になってしまった。そこに俺が声をかけて、動揺したともあきさんは持っていたアイスの存在を忘れてしまっていたのだ。
 ともあきさんは悪くない。うっかり話しかけた俺が悪い。
 掴んだ腕が震えているのがわかる。
 ああほんと、ごめんなさい。俺が悪いんだ。ほんと、ごめん。
 排他的なこの人に、このアクションはまだ早かった。
「わかってる。いつも買ってくれてるよね、ありがとう」
 年上なのは知っているけど、まずは気安く。それでいてコンビニの店員らしく顔を覚えているというように、にっこりと微笑む。
 もっと親しくなるのは後でいい。でないと怯えきって逃げられそうだ。
「......」
 訝しそうに俺を見ていたともあきさんだったが、手を離しても逃げなかった。
 なので、俺は先にレジに戻って、ともあきさんが会計に来るのを待つ。
 しばらく立ち尽くした様子のともあきさんだったが、商品を棚に戻すのもどうかと思ったらしく、気落ちしたような足取りで近づいてきた。
 カウンターに置かれた商品のバーコートを読み取り金額を告げる。
「882円です」
 現金を乗せるためのトレイはあるけど、俺が手を差し出すとともあきさんは俺の手の上に小さく折り畳んだ千円札を置いた。
 指先が俺の手のひらに触れる。少し、冷たい。
 こんな時でもないと、ともあきさんはコンビニ店員になんて触ったりなんてしないから、ついいつもこの手を使ってしまっていた。
 このときの俺は、ともあきさんはこの行為も嫌がっていたことを気づく由もない。
「118円のお返しです」
 俺の声に次はともあきさんが手を差し出す。俺は手の下に手を添え、優しく手のひらに硬貨を置いた。
「手、冷たいね。外寒かった?アイスでお腹を冷やさないように気をつけてください」
 親しげに声をかけても、ともあきさんからの返答はほとんどない。まあ、これはいつものことなので突っ込まない。
 会計を済ませると、ともあきさんはそそくさと自動ドアに向かう。
「ありがとうございました」
 見送るためにそう声をかけたが、ともあきさんはそれをきっかけにまるで逃げ出すように走り去ってしまった。
「また、逃げられた......」
 
 センセにともあきさんを今より外に出るようにするって啖呵切ったけど、これじゃいつまで経っても親しくなりうる要素がない気がする。
 どうするかな。
 大きくため息をつきながら、俺はレジの金額合わせを始めた。


 『アイス溶けてたぞボケ。あと智昭になにしたんだ殺すぞ』とセンセが俺をなじるメールを送ってきたのは、それから30分後。
 家に戻ったともあきさんは、ちょっと様子がおかしかったらしい。
『ちょっと深く会話しただけです。大丈夫ですから俺にまかせてください』
 そう返事はしたものの、その後、4月に入るまでともあきさんが俺の前に現れることはなかった。


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