三陣-3



 しのか!!
 俺は声を張り上げたつもりだったが、鋭く甲高い鳴き声しか上がらない。そうこうしているうちに、俺は瘴気に包まれた都の中にたどり着いていた。慌てて振り返っても俺が通った穴は既に閉じていて、俺はもやに包まれる都の中に立っていた。中に広がる瘴気が濃い。
 志那都比古、今外にしのかがいた!
『にしのかがどうしたって? ダァリンと感動的再開は後にしてくれよ』
 興奮してそう告げると、志那都比古は呆れたようにわざとらしいため息を付き、そんな嫌味を口にする。そんな反応をされるとは思っていなかった俺は、身体中の血液が沸騰した気分になった。
 だっ、誰がダーリンだ誰がッ!
『何言ってんだ、最後まで盛り上がってあっついキスしてたのお前だろ』
 俺は絶句した。
 志那都比古がずっと俺と一緒にいたとしたら、俺としのかがしていたの全てを見ていたことになる。それに今初めて気づいた。
 それこそ、恥ずかしい痴態まで全部、こいつに、みら、見られ......。
『今更なに照れてんだよ。ケツん中まで大っぴろげてあんあん喘いでだくせに。......しっかし、なんつう淀んだ空気だ。俺様が居ない一週間ちょっとでこんなになるなんて......ああ、皇居に民を集めたのか、良い判断だ』
 周囲の気配を探ったらしい志那都比古は満足そうに呟いた。それから俺の中で喚く。
『ほら、歩け。べっつに知ったってどうにもなんねえよ。......おい聞いてんのか幸彦!』
 志那都比古に急かされて、俺はようやく脚を前に出して歩き始めた。結構ダメージがキツいが、都の中を歩いて行くうちに、そんなことを気にしていられなくなる。
 酷い......。
 俺は中で広がった惨状に小さく呻いた。俺が通りすぎてきた廃墟のように、建物はいくつも朽ち果て、いくつもの瘴気の溜りが建物の影や、落ちている道具にこびりついている。
 何人もがうつろな表情のまま、道に倒れていた。一部からは明らかな死臭がしていて、近づかなくても既に命がないことがわかる。
『寿命なら俺様も気にしねえけどよ......可哀想に。後で送ってやるからなァ......』
 志那都比古の呟きを聞きながら、後ろ髪引かれるよう前に進んだ。昼間だというのにどこも薄暗く人気がない。
 どうすればいいんだ?
『この瘴気の元を絶てば、まだ生きてる人間は助けられる。元凶を探せ』
 その言葉に、俺も意識を集中して淀んだ気配の元を探す。だがあまりに瘴気が濃すぎて、どこが元なのかが掴めない。注意深く辺りを見回しながら歩いていると、大きな地響きが鳴った。
 ......なんだ?
『なんだじゃねえよ、どうにかしろよあのクソガキ。これじゃ助かっても都が再建できねぇ』
 志那都比古がぼやいた途端、少し離れた空中できらりと何かが輝いた。
「コンジェラルスィ!」
 声とともに、頭上から氷の塊が落ちてきた。俺は驚いて既のところでその塊を避けた。よくよく見ると、落ちてきたのは人の顔を持った大きな鳥で、それがカチカチの氷漬けになっている。
「ディアマンテッ!!」
 さらには落ちてきたのは一つだけじゃなく複数だった。俺を狙って落としてるわけじゃないらしく、木造の建物にもいくつも穴が出来ていく。
 ......そしてこの声には聞き覚えがある。声の主が怒鳴っている内容もだ。
 単なる横文字と勘違いしそうだが、これはつい最近発売になったゲームに出てくる攻撃呪文だった。確か知春が寝っ転がってゲームしてるところ、俺が邪魔したよなー......。
 それほど昔のことではないことに思いを馳せていると、声の主は程なく現れた。
 白と金で模様が刻まれた紫色の着物。動きやすくするためか下肢には裾の窄まった袴を着ている。俺より明るい茶色の髪に、大きくくりくりとした瞳。小さな唇をきりっと結んでいる男。......というより少年。
 お前、何やってんだよ......。
 頭痛を感じる。俺が今人だったら生ぬるい笑みを浮かべながら半目で見ていたことだろう。
 現れたのは間違いなく知春、俺の大事な甥だった。知春も俺、というか白鹿に気づいて歩みを止める。警戒したように腰にぶら下げた刀を抜いて構えたところをみると、敵だと思われているらしい。
「なんだお前!」
 気配を探るとか、そういうことは......出来なさそうだ。何しろ修行もしたことなければ、気の使い方もろくに知らないで育ったんだから。その割に攻撃に神通力を使えるのは志那都比古の言うとおり、才能なのかもしれない。
『人化しろ。切られるぞ』
 でも俺、こっちで人になると服着てないんだけど。
『揉めてる時間がないって言ってんだ。俺様の声は巫子とお前にしか聞こえねえし、さっさと敵じゃないことを示せ』
 はいはい......。
 仕方なく俺は、身体に自分の気を巡らせた。自分の姿を思い浮かべると、すぐに変化が現れる。
 淡い光に身体を包み込まれた俺は、姿を取り戻すと情けない気持ちで股間を手で覆った。鹿が俺に変わったことで、知春の目が驚きに開かれる。
「ゆ、幸兄?! なんでここにいるの?!」
「よう......ははは」
 なんとも情けない登場の仕方だ。知春がぱっと笑顔を浮かべて俺に駆け寄ろうとしたところで、脇から出てきた誰かが知春の後ろから細腰を抱きとめる。
「知春。物の怪が幻術を使っているのかもしれない。迂闊に近寄るな」
 長身の男だった。切れ長の一重で、長い黒髪をサイドは流し、後ろは結い上げている。知春が着ている着物と似た色合いのものを身につけているが、男の着物の方が色に深みがあった。額には、青い染料で太陽を示す印が描かれている。
「そ、そうだよな経親! サンキュ!」
 男の言うことにすんなりと頷いた知春は、改めて俺に刀を向け直した。その警戒は確かに大事だけど、今はなくてよかったのにと思いたくなる。
『おい、さっさとなんとかしろよ』
 わかってるって。
 頭の中に響く声に催促され、俺は素っ裸の寒さを感じながら肩を落とした。改めて知春を見て口を開く。
「知春、俺を疑ってんのか?」
「うっさい! 俺の名前呼ぶな! 幸兄は真っ裸で出てくる変態じゃねえんだよっ!」
 へんた......別に俺はなりたくて裸なわけじゃねえんだけど。そうこうしているうちに、周囲に嫌な気配が集まってくる。瘴気も濃くなって、少し息苦しさを感じるぐらいだ。
 知春と経親とかいういけ好かない男は、柔らかそうな結界を纏っているのが見える。そのおかげで、この瘴気の中でも平然と動き回れたんだろう。
『幸彦』
「だからわかってるって。......いいのか知春、俺はお前の秘密を知ってるぞ。ここでそれを言いふらしていいのか?」
 俺の言葉に知春の表情に動揺が走る。戸惑って長身の男を見上げると、男は知春を庇うように前に一歩進みでた。
「戯言で知春を惑わすのはやめていただこう」
 鋭い視線を向けられて、俺は背筋に冷たいものを感じた。......何だこいつ。
 しかし、ここで引いていられない。俺は息を吸った。
「三科知春は13歳の時にぃ、怖いテレビを見すぎてトイレに行けなくてぇ」
「っ、ぎゃ! ぎゃあ! つねちか聞かないでッ!!」
「ち、知春?」
 俺から出た言葉に、知春が飛び跳ねて男の耳を塞ごうとする。急にそんなことをされた男は俺から気が逸れた。その隙に俺が知春の恥ずかしい過去を暴露する。
「盛大なおねしょをかましてお母さんに怒られましたっと。......もっとあるけど、言う?」
「......う、うぅ......ひどい、絶対に人に言わないって、約束したのに......」
 食らったダメージに知春はがっくりと膝を付いた。男が素早くそれを支える。
 知春ぐらい小さければ、そのぐらいでもおねしょしてしまうのは、しょうがないことだとかなんとか......。男はフォロー入れようとして、自分のあまり大きくない身体のことを、密かに気にしている知春に逆にとどめを刺していた。
『お前のずっこんばっこんと、言われるのどっちが恥ずかしいかなこれ』
 ......だから言うなそれを。
 俺まで余計なダメージを食らってぐったりしてしまった。
『さぁさ、甥っ子は俺様が見つけてやったんだ。今度は御使らしく俺様の民を救えよ』
 見つけたっていうか、お前がここに落としたんだろ。
 調子のいいことばかり言う志那都比古の言うことを聞くのはなんだか癪だが、その言葉には異論はなかった。この状態で知春だけ連れ出すのは難しいし、俺が出来ることなら何とかしてやりたかった。
『甥っ子の神通力は水だ。神通力を使った雨なら瘴気を払える。この都全体に雨を降らせろ。瘴気がなくなりゃ、物の怪どもも多少は散るはずだ』
「知春、都全体に雨を降らせろ。お前の雨ならこの瘴気を払える」
 俺は志那都比古に言われた言葉をそのまま知春に伝えた。途端に知春は目を丸くする。
「え......?」
「俺は大元を叩きに行くから、頼むな」
 言うだけ言うと、俺は姿を白鹿に変えると走りだした。それを見て男は声を張り上げる。
「志那都比古神の御使よ、彼の者は既にもう人では在らざるものに落ちている故、お気をつけ召されよ!」
 え? 俺が御使だって知ってたのあいつ?
 走りながら疑問を浮かべていると、志那都比古が笑いを含みながら教えてくれた。
『俺様の当代の御使が白鹿だってのは、皇族の中なら常識だからなァ。あいつは藤原経親。うちの皇子の一人だから、それぐらい知ってて当然』
 皇子! あれが?!
 俺は驚いてしまった。しかも男の名前には聞き覚えがある。
 西埜女に前に聞いたときは、物凄く優秀な男だと聞いてたけど......。
 なんかものすごく性格悪そうだったぞ? 俺が御使だって知ってたんなら、なんで知春に俺を疑わせるようなこと言うんだよ。
『単にお前に抱きつかせたくなかったんだろ? 嫉妬が糸のようにガキに巻き付いてやがった。しっかしまぁうず煮まで使って......お前といい甥といい、野郎ばっかり引っ掛けるもんだなァ』
 にやにやと笑われて俺は言い返したかったが、広範囲に雨が降り始めたことで脚を止める。まるで雨の一つ一つが宝石のように輝いて見えた。
 空中を黒く染めていた霧が、その雨によってだんだんと洗い流されていく。あちこちから聞こえる怨念の篭った声は、物の怪のものだろう。雨に浄化されて徐々に少なくなっていく。
『ひゅー! マジでやったのかあのガキ』
 なんだよお前がしろって言ったんじゃないか。
 興奮したように騒ぐ志那都比古に俺が訝しげに問いかけると、まくし立てられた。
『お前じゃ絶対できねえもん。やっぱ神通力のキャパシティでかいやつはいい。ああほんっと惜しい! 俺様の御使あいつだったら良かったのになァ』
 ......俺で悪かったな。
『いやん嫉妬? でも愛してるのはダァリンだけだからッ! ......つーのは置いといて、これだけの広範囲に浄化の雨を降らせ続けさせるのはかなり辛いはずだ。急ぐぞ』
 一言余計なんだよお前。
 闊達な男に少し言い聞かせたい気持ちもあったが、今はそんな余裕はない。
 事が終わったら一回とことん話してみようと思いつつ、俺は風を使って地面を蹴り上がり、周囲が見やすいように屋根の上を走る。すると見通しがよくなった中で、一部黒い瘴気が残った場所があった。明らかに禍々しい。
 それを見て志那都比古が呻いた。
『あそこは俺様の神体がある......社だ』
 近づいても社の形は全く見えなかった。あるのは黒く覆いつくす霧だけだ。
 ここに社が? お前に影響ないのかよ。
『今はお前の中に宿ってるから問題ねぇよ。ただ......』
 ただ?
『なんでもねぇ、行くぞ』
 風を巻き起こすと、霧が歪んで中の様子がうっすらと見える。俺は地面を蹴って、霧の中に飛び込んだ。


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