そのさん-8
放課後。
春樹は担任のところに向かっていた。
ホームルームの時間が終わった直後に、職員室に来るように呼び出された春樹は、昼休みに呼ばれていたことを思い出す。
博也とのことで、春樹はすっかり失念していた。
放課後は、博也のクラスに迎えに行かねばならないが、少しの時間なら寄り道しても構わないだろうと、春樹はカバンを持って職員室のドアをノックする。
「失礼します」
「辻村」
職員室の入り口で担任を探していた春樹は、ついたてのある簡易応接室から顔を覗かせた担任を見て、僅かに目を細める。
そこにはソファーがあり、打ち合わせなどに使っているのを見かける。
周囲に聞かれたくないような話なのだろうか。
普段であれば職員室の担任の机のところで話していたために、春樹はそんなことを思った。
呼ばれるままに中に入り、担任に促されてソファーに座る。
無表情で相対する春樹に担任は眉をハの字にしていた。
「昼休み、どうしてこなかったんだ」
「すいません。外せない用事がありまして」
春樹が素直に謝ると、困ったように担任は頭を掻く。
それから軽く息を吐くと、膝の上で手を組んだ。
「E組の、村瀬のところにいたらしいな」
「......はい」
口外に外せない用事とは何かを聞かれているような気がして、春樹はひやりとしたものを感じる。
担任に呼び出されても外せないような用事......よもや、いやらしい行為に耽っていたとは言いがたい。
どう誤魔化そうかと考えていると、担任は重そうに口を開いた。
「昨晩も、彼らと遅くまで繁華街に居たようじゃないか。......連絡があったぞ」
「......」
ぱちりと春樹は瞬きをする。
「最近、あいつらと一緒にいるようだが、何かあったのか」
「いえ、何もありません」
「そうか......」
言いにくそうに、担任は視線を下に落とした。
「勉強は出来ているのか?」
「はい。今のところは、わからないところもありません」
「わかった。......何か嫌な事があったら相談するんだぞ。先生は辻村の味方だからな」
その言葉に、四六時中博也と一緒にいるようになって、色々な人の目を惹いていることに気づく。
今までは夜遊びもしなかった春樹だ。
博也と付き合うようになって素行の悪さが目立ち始めたのだろうと、春樹は思い至った。
「......はい」
春樹が頷くと「もう行っていい」と促される。
立ち上がった春樹は、その場を離れようとして、少しだけ思いとどまった。
「辻村?」
担任が訝しげに長身の春樹を見上げる。
「ひろ......村瀬、最近きちんと学校に来ていますよね」
「そういえばそうだな」
「きっと、成績も上がります。一緒に勉強します」
「......その意気込みもいいが、無理につき合わされているようなら......」
「失礼します」
言いかけた担任の言葉を遮り、春樹は一礼をして立ち去る。
担任はそんな春樹の背中を、ため息を付いて見送った。
職員室を出た春樹は、早足で博也の教室に向かう。
少しだけ気分が高揚していた。
無理につき合わされているのは間違いないのに、それを言うことをしなかった。
「どうして、俺は庇ったんだ」
庇ったという意識がある自分にも更に驚く。
博也の報復が怖いから?
......違う。
上手く言えない。わからない。
ふ、と春樹はため息をついた。
早足だった歩調を緩め、博也の教室を覗き込む。
中には、博也と関谷がいた。桜庭はいなく、残っていたらしい他のクラスメイトは、春樹が教室の後のドアに手を掛ける前に、前から出て行ってしまった。
春樹はそっと中を覗く。
背を向けるように座っている博也。その前の机に寄りかかり笑顔を浮かべている関谷。
博也の表情はわからないが、関谷の様子から見てもくだらないことを話して笑い合っているのだろうと想像が出来た。
夕日が入り込む教室で、会話する2人を少しの間見つめる。
すると、関谷と目が合った。
にやっと唇を歪ませる関谷。
「ひろ、」
着いたのに声を掛けずにいたことを、博也に知られてはまた騒がれると思った春樹は、教室の引き戸を引いた。
そんな春樹の目の前で。
関谷が博也の頬を両手で挟み込み、顔を寄せる。
春樹の位置からは、博也の頭しか見えない。
顔が、重なった。と春樹は思った。
「おせえよ春樹!とっとと来いよなッ!」
すっと関谷が身を引くと、ドアの開く音を聞いていたのか、博也が愚痴りながら駆け寄ってくる。
昼休みのときの、博也の不機嫌なオーラは払拭されているようだ。
「博也、今」
「あ?なんだよ、言い訳なんて聞かねえぞ!」
「......」
キスをしていたか?と尋ねそうになって、春樹は口を閉じた。
無意識に拳を握る。
「なんだよ春樹、そんな顔したって俺怖くないからな!」
いつの間にか、眉根を寄せていたらしい。
じろりと博也に睨まれて、春樹は目を伏せる。
「博也ぁ、わんこちゃん来たし、早く帰ろうぜ」
関谷が背後から博也の首に腕を絡ませて、春樹に微笑みかける。
密着していても、博也は特に違和感を感じないらしい。
「重いって」
寄りかかられてうざそうに顔を顰めてはいるが、無理に振り払おうとはしない。
それを見た春樹は、すっと背を向けた。
何も言わずに教室を出て行く春樹に、博也は目を見開く。
「はる、春樹!待てよこら!......重いっつってんだろうが真吾ッ!」
「いってえ!」
抱きついたままだった関谷のわき腹に肘うちを入れて引き離すと、博也は春樹を追いかけた。
早足の春樹になかなか追いつけず、ようやく昇降口で博也は春樹の腕を掴む。
「急にどうしたんだよ!」
「なんでもない」
むすっとした表情の博也を見下ろし、春樹は簡潔に答えて靴箱に視線を移す。
「ふざけんなよてめえ!」
博也の手を払って革靴を取り出したところで、春樹は胸倉を掴んでガンと靴箱に押し付けられた。
「きゃ!」
小さく悲鳴が上がる。
近くに居た女子が音に驚き、春樹と博也を見て、廊下を走っていった。
春樹を睨みつけている博也は気づかない。
女子の行き先は、たぶん職員室だ。
もしかしたら担任が来るかもしれない。
この状況では、明らかに何か問題があると思われてしまう。
「春樹の癖にその態度......ッ?!」
怒鳴りかけた博也の手を、春樹は強く握った。
その手を見下ろした博也は、急な春樹の行動に着いていけてない。
頬を赤らめて口をぱくぱくさせている。
「話は、後で聞く」
今はこの場から離れようと、春樹は博也の手を引いて、学校を飛び出した。