8月リクエスト-6
-1人天下-
母は、会社の同僚たちと2泊3日の小旅行。
父はいつもの通り、出張で日曜日にならないと戻らない。
「お土産期待しててね」
母は、それはそれは楽しそうに出かけていった。
父も俺の頭を撫でていった。
「てめえと二人きりか、滅入るな」
兄は相変わらず性格が悪い。
これ見よがしにため息をついて出て行ったから、ムカついた俺は兄の部屋のドアに八つ当たりすることにした。
本人が居る前では出来ない分、思う存分げしげしと蹴る。
それでも、傷が出来ないように細心の注意を払って蹴る辺り、俺も小心者だと思ってしまう。
そんなわけで。
家には俺1人だった。
いや、普段から1人でいることが多いから、別段変わったことではないんだけど。
でも少し、なんだか寂しい。
どうしたんだろう俺。
今日は、コンビニ店員のバイトもない。
夏休み中に仕上げないといけないレポートがあると言っていたから、今日は会う予定もなかった。
予定もなく、1人きり。
部屋でごろごろして、ごろごろするのも飽きて、掃除をしたり洗濯したり、いい天気だから布団も干したりした。
部屋中爽やかだ。
昼は1人だからカップめんで済ませて、夜には兄が帰ってくるはずだから、たまには美味しい豪華な料理を作ってやろうかと、昼からビーフシチューに使う肉をぐつぐつ煮始める。
煮込みながら布団をしまって、風呂掃除もしてトイレ掃除なんかもしたりして。
俺って優秀じゃねえ?
自画自賛してるうちに、日が暮れた。
何かの用事で両親が居ないときは、悪魔は早く帰ってくることが多い。
シチューも美味しく出来上がった。ごはんも炊き上がって、サラダも用意して。
テレビでも眺めながら俺は兄の帰りを待った。
先に食べてもいいけど、一人って美味しくないし。
ぼんやりしてると、家の電話が鳴り響く。
三回鳴って、切れる。そしてまた三回。
家に俺しかいないとわかっているときの、家族の電話の掛け方だ。
俺は電話の前まで行って、また鳴り出すだろう電話を待つ。
プルルルル......がちゃり。
『ようニート』
電話の相手は、兄だった。
ガザガザと、声が聞き取りにくい。
「なに」
こんな時間にかけてくるなんて珍しいな。遅くなるのか?
不思議に思って声をかけると、電話の背後でフライトを知らせるアナウンスが入る。
え?空港?
『海外の工場でちっと揉め事があってな、今日は帰れん。これから中国行きの飛行機に乗る』
......嘘だろう。
兄が、時たま自分の担当している部品の関係で、海外に行ったりしているのは知っていた。
でもそれが、よりにもよって今日じゃなくてもいいじゃないか。
着替えとかどうするつもりだてめえ。
『予定じゃ明後日のフライトで帰ってくるから、それまで戸締りとか気をつけろよ』
「......」
このとき俺は、酷く不細工な顔をしていたことだろう。
『ニート、返事は?』
わかった、と答えればいいだろうに俺は突っ立ったままだ。
『智昭』
ため息交じりの、兄の声。
「嫌だ」
不満を口にすると「我侭言うんじゃねえ」と怒られた。
だって嫌なんだよ。大魔王の俺様で、性格悪いプロレス馬鹿でも、いないよりはいてほしい。
「俺も行く」
『馬鹿か。パスポートも持ってねえお前が、どうやって飛行機乗るんだよ』
「密輸」
『麻薬かなんかか、お前。......っと、そろそろ切るぞ』
背後で掛かるアナウンスに急かされるように、兄が告げる。
待てこら。俺は納得してないぞ。
口を開いたところで『ちゃんと飯食って寝て、風呂に入れよ』と兄が早口で言って、電話が切られた。
「......」
ツーツー......と音の鳴る受話器を戻し、暗記している兄のケータイに電話をかける。
コールもせずに、留守電に繋がった。
飛行機に乗るために、一度電源を落としたのだろう。
「墜落しろ!」
留守電に一言だけ怒鳴って、俺は電話を切った。
キッチンに戻り、弱火でかけていたシチューの鍋の火を消す。
食欲もなくなった俺は、お菓子を漁ってポテトを食い散らかして、兄のビールも少しだけ飲んで、歯も磨かずリビングのソファーで転がって不貞寝した。
誰も怒る人がいないと思うと、寂しかった。
翌朝も、誰もいない。
変な体勢で寝たせいで、肩が凝って痛い。
本当なら朝は忙しなく動く気配があるから、みんなと一緒に規則正しく起きていた。
けれど、今日はしんとしている。
時計に視線を走らせると11時前だった。
寝すぎで、頭が重い。
起き上がって目に入るのは、俺が汚したリビング。
片付けようかと手を伸ばすが、面倒になってやめた。
どうせ、今日も俺1人だ。
昨日の張り切りが嘘のように、俺は脱力していた。
家族が居ないと、誰とも話さない。
公園にでも行こうか。
近所のじいちゃんとのんびり木陰で日光浴。
よし、それがいい。とがばっと起き上がった俺。
服を着替えて歯を磨き、靴を履いて外に出る。
しかし、ぽつぽつと降り始めた雨に、出鼻を挫かれた。
リビングに戻って、テレビをつける。
天気予報では、今日は一日中不安定な天気、らしい。
これでは公園行っても誰も居ない。
寂しい。
なんか寂しいぞ俺。
母に電話をかけようかと思って電話の前まで行くが、思いとどまる。
俺が電話を掛けたせいで、旅行が楽しめなかったらどうするのだ。
父も然りだ。両親に迷惑は掛けられない。
となると。
俺は兄の電話番号を押した。
『忙しいんだ。通話料もかかるし掛けて来るな』
一刀両断。
兄は不機嫌そうに言い放って、俺が何か言う前に切ってしまった。
酷い。少しぐらい、弟に情けをかけてくれたっていいのに。
切れた電話を戻し、俺はため息をついた。
世界中で、俺だけ取り残されたような、そんな感覚。
気分が沈んでいく。
寂しくて仕方ないから、寝て過ごそうかと思ったそのとき。
ヤツのバイトが、今日は入っていることを思い出した。
そうだ。あいつがいる。
夜になれば、あいつが俺の相手をしてくれる。
そう思うと、俄然元気が出た。
人間、1人では生きていけないものだ。
今日はあいつと、どこをふら付こう。
元気になった俺は、シャワーを浴びて身綺麗にしてから、夜を待った。
夜には、雨が止んでいた。
どうせなら、昼間も降らないでくれればいいのに。
空気の読めない空だ。
「あれ、ともあきさんどうしたの?」
ダサいサンバイザーと制服を着たコンビニ店員。最近は、ヤツがバイト中にコンビニに入ることは殆どなかったけど、今日は別だ。
暗くなった外で、リビングの明かりをつけているのが妙に侘しく感じられて、いつもより早く家を飛び出してきた。
早めに着いて、クーラーの付いた店内をうろつく。
金を持ってないから、単なる冷やかしだ。
うろつく俺の後を、ヤツが追ってくる。
「仕事しろ」
「いいでしょ、息抜き息抜き」
コンビニ店員はそういって笑う。
ヤツが構ってくれるのが嬉しくて、俺も笑った。
「すいませーん」
「あ、はい!」
客が来たらしく、ヤツがレジに戻る。
そうなると、俺は放って置かれた。
まあ、仕方がない。ヤツは仕事で、俺はただの冷やかしだ。
夜のこの時間は、駅から家に帰るまでに寄る客で、コンビニは結構繁盛しているようだった。
ときおり、ヤツが俺に視線を向けてくれるが、客が途切れないために近づいてくることはない。
ここでもちょっと疎外感を感じながら、俺はヤツがバイトを終わるのを待った。
「じゃあ、お疲れ様です」
「お疲れ様~」
10時を過ぎて客も少なくなり、夜勤のバイトと交換でヤツが奥に引っ込む。
それを見てから俺はコンビニを出て、いつもの定位置でぼんやり立っていた。
「お待たせ、ともあきさん。いこっか」
すぐにコンビニを飛び出してきた男。
俺のことを気にかけてくれていたらしい。
するっと手を繋いでくる。
「......」
最近だと、この手を俺はすぐに払っていた。
だって、友達なら手を繋いでてもそう言い訳立つけど、恋人じゃごまかしが効かない。
俺はニートでもう社会脱落者だから何を言われてもいいけど、こいつは将来のある身だし、俺なんかのせいで差別されたら悪いだろう。
だから、手は繋がない。つもりだった。
「ともあきさん?」
ヤツが、俺の顔を覗いてきた。
いつの間にか、指を交互に絡ませる手の繋ぎ方になっている。
コンビニ店員の手の暖かさが嬉しくて、思ってしまった。
今日ぐらいはいいよな。って。
何も言わずに歩き出すと、男が身体を寄せてきた。
「ともあきさん、なんか今日は違うね」
どこがだ。
視線を向けると、含み笑いをされた。
そして暗い夜道を歩きながら、ひそひそと俺の耳元で囁いてくる。
「いつもに増して、可愛い」
ふざけたこと言うな。
俺は男の手の甲に、爪を立ててやる。
「いた!ともあきさんやめて」
ヤツは騒ぐが、俺の手を離そうとしない。
野郎に可愛いなんて、お前相変わらず腐った脳みそしてるな。
離れて歩こうとするが、繋いだ手があるから、離れられる範囲なんて高が知れている。
男の足が、商店街を抜ける道に向かおうとした。
ので、俺は手を引っ張って足を止める。
「こっち」
公園通って帰ろうぜ。こっちの方が遠回りだ。