12月-2

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 金曜日。
 今日は今年でもっとも寒い日らしい。
 毛糸の帽子を被り、手袋をつけて完全防備しながら、バイトの帰りにほくほくと楽しい気分で俺は電車に揺られる。
 今働いているバイト先では、二週間に一度、給料の支払いがある。
 今回初めて、俺の給料が振り込まれた。
 前回の目的を持ったバイトとは、また一味違う嬉しさだ。
 このまま定期的に働ければ、家に金を入れられる日も近いに違いない。
 そうすれば、あの兄の横暴な要求に耐えることもなくなるわけだ。
 ニートと苛められもしないだろう。
 それに......。
 浮き足だった俺は、最寄の駅に着くと駅前にある商店街の中にあるケイタイショップを目指す。
 うちの家族は、みんなキノコがシンボルマークのケイタイを使っている。
 だが、和臣は白い犬が良くCMに出ている会社のケイタイだ。
 俺は迷うことなく、和臣の持っている携帯と同じユーザーのケイタイを見に行った。
「パンフ、ください」
 外でケイタイを見ていると、また店員に声を掛けられる。
 それなら先手必勝だ。
 先に声をかけて、パンフレットを貰い、俺はそそくさとその場所を離れた。
 その足で薄暗くなりつつある公園に向かい、明かりがともった街灯の傍のベンチに座る。
 それからさっそくパンフレットを開いた。
 なにがいいかな。
 家で見てもよかったが、帰れば夕食の時間も近い。
 夜になってヤツのバイト帰りに会うときに、明日ケイタイを買いに行こうと誘いたい。
 誘うためには、ある程度欲しいケイタイを決めておいた方がいいだろう。
 驚くかな。金がない俺がケイタイ欲しいって言ったら。
 そのときになったら、バイトをしていることを打ち明けてやろう。
 いろいろ自分の中で計画を決めて、俺はパンフレットとにらめっこをした。
「......」
 ワンセグってなに。......タッチパネル?え、画面触って動くの?
 よくわからない言葉が飛び交うケイタイのパンフレット。
 しばらくうなりながら眺めていたが、結局どんなのがいいかわからなかった。
 本当なら和臣と同じケイタイが欲しいところだが、結構使い込んでいるらしいあのケイタイとは同じものは、パンフレットには載っていない。
 とりあえず、黒で地味っぽいケイタイに辺りをつけて、俺はパンフレットを丸めた。
 公園内の時計に視線を向けると、そろそろ7時を迎える。
 やば。もう母さん帰ってきてるかも。
 俺は慌てて家へと走り帰った。



「トモくん、どこ行ってたの?」
 家には。
 母だけじゃなく、父も、そして兄も戻ってきていた。
 しかもなんだ。
 リビングでみんなそろいも揃って小綺麗な格好をしている。
 兄がスーツを着ているのは普通だが、母もスカートスーツ姿だし、技術職の父にいたっては着慣れてないスーツにがちがちになっていた。
 何々?なにがあんの?
 俺がぽかんとしていると、チッと盛大に舌打ちした兄に、部屋に引きずり込まれた。
「お前の脳みそは猿並か。今日の飯は外に出かけるといっただろうが」
 言いながら、兄は苛々と俺の服を脱がしていく。
 そんなのいつだよ!覚えてねえぞ俺。
 などと言えるはずもなく、俺はすっぽんぽんに脱がされてしまった。
 パンツ一枚じゃ、寒すぎる。
「あ、昭宏?」
「着ろ」
 そう言って投げつけられたのは、ぱりっと糊が効いてるシャツと、入学式のときに着た黒いスーツ。
 わたわたと慌てて着込んでいく。
「タイ着用の店だからな。てめえはいつも通り大人しく飯食ってろ」
 低い声で脅されて、俺は引きずられるように部屋から連れ出された。
 ね、ネクタイなんか結べねえよ。どうやるんだ?
 俺は手にネクタイを持って、ずんずんと進む兄を追いかけた。
 リビングにつくと、母が着崩れた俺の格好を直してくれる。
 それから大きくため息をついた。
「......お兄ちゃん、もしかしてちゃんとトモくんに、事情説明してないんでしょう」
「した。飯食うって言った」
 憮然とした表情の兄に、母はこめかみを押さえる。
「それはしたって言わないの。......トモくん。今日はね、外でごはんなんだけど、1人お嬢さんが一緒に食べるの」
 へ?
「お兄ちゃんの恋人なんですって。......それで、今日はお食事会がてら家族に紹介してくれるのよ」

 なんだと?!

「昭宏に、恋人?!」
 思わず俺は叫んでしまった。
「ああ?なんだてめえ。言いたいことでもあんのかよ」
 がしっと頭を捕まれて、俺は口を手で覆い、ふるふると首を横に振る。
 だって、だってこんな暴君に恋人が出来るなんて信じられない。
 そりゃ見た目はいい。だが人間中身だ。
 この兄と比べたら、どう考えたって俺の方が魅力的......ぐえ。
「なーんか変なこと考えてるだろうお前」
 ぐっと首を腕でホールドされた。
 気道を締められて、慌てて腕を三度叩く。
「ケッ。騒ぐんじゃねえぞ。......ほら、母さん、父さん行こう」
 俺を放した兄は、さっさと外に出て行く。
「ったくもう......お兄ちゃんったら」
「亜希子、昭宏は照れてるだけだろう。智昭、大丈夫かい?」
 父が咽る俺の背中を撫でてくれる。
 少しして落ち着いたところで、俺は両親と一緒に家を出た。
 移動は父の車だ。
 母は助手席に乗り、兄と俺は後部座席。
「おら、ネクタイ寄越せ」
 車に乗り込んでもネクタイを結べないでいる俺に、兄の手が伸びる。
 鮮やかな手つきで、俺のネクタイは結ばれた。
 息苦しく感じるネクタイに顔をしかめていると、ぐいっと下にネクタイが引っ張られた。
 何?
 じろっと昭宏を見ると、なんともいえない表情で俺を見返している。
「......本当に粗相だけはするなよ」
 失礼なヤツだな。しつこいぞ。
 ふんっと鼻を慣らして視線を外すと、軽く小突かれた。
 付いたのは、地域では結構有名なホテル。
 そこのホテルにある展望レストランで夕食会らしい。
 俺、テーブルマナーとかわかんねえんだけど。
 高くそびえ立つビルを眺めて、俺はため息をついた。
 待ち合わせは、ホテルのロビーだった。
「早川沙紀と申します。本日は家族水入らずのところ、お邪魔してしまって申し訳ありません」
 すらりとした美人が、兄の隣に立って頭を下げる。
 その動きに合わせて、長い髪がさらさらと流れた。
 細い首筋、華奢な体躯。そして笑顔はとても親しみを込めた優しいものだった。
「......」
 両親共々、俺は兄の彼女を見て固まってしまった。
 なんというか、完璧なカップルというのを見たような気がする。
 兄も性格はアレだが、見た目は格好良いし、外面だけはいい。
 ......この彼女は兄の本性を知ってるんだろうか?それとも同じぐらい性格悪かったりして......。
 二面性のある兄を知っているため、穿った見方しかできない俺はじっと、兄の恋人を見つめた。
「ま、まあまあ。素敵なお嬢さんね」
 家族の中で一番に立ち直ったのは母だった。
 満面の笑みを浮かべて、恋人さんがしたように頭を下げる。
「昭宏がお世話になっているようで......母の亜希子です」
「いえいえこちらこそ」
 などと、差しさわりのない挨拶をし始めた。
 俺と父は、まだぼんやりとしたままだ。
「こっちが俺の父」
「......え、あ、昭二です。どうも......」
 がちがちになっていた父は、兄の紹介に慌てて頭を下げた。
 「よろしくお願いします」と恋人さんは笑顔で応じている。
「で、これが弟の智昭」
「......」
 おまけといわんばかりの紹介の仕方だった。
 これってなんだこれって。
 文句を言いたくて口を開くが、恋人さんと目が合ったために俺は口を閉じた。
 どうも。
 ぺこっと軽く頭を下げる。
 兄にはじろっと睨まれたが、どうせ裏返った声が出るだけだろうから喋りたくなかった。
「待たせて悪かったな、沙紀。鈍間が1人いてよ」
「そんなことないわ。私も少し落ち着く時間が出来たもの」
 緊張しちゃって、と笑う表情はとても好感が持てるものだ。
 それを見て「やっぱり女の子はいいわねえ。可愛いわ」などと呟く母。
「じゃ、行こうぜ。もう予約時間が過ぎてる」
 ブランド物の腕時計で時間を確認して、兄は恋人さんをエスコートしながら歩き出した。
 そのあとを続く母と父。
 積極的な母は、ちょくちょく恋人さんにも声をかけているが、俺と似た父はあまり会話に混ざることなく、微笑ましそうに見守っている。
 最後に俺、みそっかすがとぼとぼと付いていった。
 昭宏、結婚すんのかなあ。
 家族にまで紹介して、こんなところで食事会をするなんて、結構本気なのか。
 高校時代も大学時代も、それなりに兄の姿を見て来た。恋人の影はあったのは知っていたけど、家に連れていたり、こうして紹介したりということは今までなかった。
 ......結婚すんのか。
 じっと後ろから兄を見つめたが、暴君は恋人を見つめていて、俺の視線には気付かなかった。


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