12月-3
コースのフレンチ料理に、夜景の見える窓側の席。
「綺麗な夜景ね。普段こんなところに来たことないから、たまにはいいわ」
「昼間も遠くまで見えて、綺麗ですよ。ここ、ランチが思ったより安くてお手ごろなんで、時折来るんです」
「あらそうなの?」
「1500円でデザートとコーヒーがつくんです。......毎日はちょっと無理ですけど、たまに贅沢したいときに来ます」
ほのぼのと会話が続く。
主に話すのは母と恋人さんだ。
兄はたまに合いの手をいれ、父は時折笑ったり頷いたりする程度。
背中を丸めて座る俺は、ただ黙々と運ばれてくる料理を食べていた。
あんまり、美味しくない、気がする。
これだったらうちで飯食べたい。
はあ、と無意識にため息が出たんだろう、隣に腰を下ろした兄に足を蹴られた。
ちなみに円卓に俺、兄、恋人さん、母、父の順に座っている。
チラッと視線を向けると、兄に冷ややかな眼差しで睨まれた。
もうちょっと楽しくしろってことか?......面倒だな。
なんだか食欲も落ちてきた気がして、行儀が悪いのはわかりつつ、俺はフォークをくわえた。
さらにがつんの足を蹴られて、俺は慌ててフォークを離す。と、テーブルに置くはずだったフォークがかちゃんと床に落ちた。
うあ、最悪。
手を伸ばして拾おうとすると、「待て」と兄に止められる。
兄は軽く手を挙げ、目配せしてウェイターを呼び、新しいフォークを持ってこさせた。
なんかぐだぐだじゃね俺。
若干自己嫌悪に沈みかけたところで、母たちの会話に耳を傾ける。
いつの間にか、料理の話になっていたようで、これが美味しいあれが美味しいから、手料理の話に移っていた。
「沙紀さんは料理はされる方?」
「あまり得意じゃないんですが」
少し気まずそうな表情を見せたあと、すぐに笑顔になった兄の彼女。
「最近レパートリーを増やしてるんですよ。」
その言葉は、家庭に入ることを視野に入れているような雰囲気があった。
「あら、どんなの」
母はそんなことはお構いなくずけずけと質問を重ねていく。
「ハンバーグとか、肉じゃがとか......あ、最近は昭宏さんに、煮魚をうまく作れるようになれって言われて、美味しい作り方を勉強中なんです。お母様の得意料理は......」
恋人さんの言葉が途切れた。
それはなぜか。
両親、そして俺の視線が兄に向いたからだ。
家族の視線を受けた兄は、ちっと舌打ちをして視線を逸らす。
「え、と......?」
戸惑ったように、兄の彼女が俺たち家族を見て首を傾げた。
「ええ、あ、そうね。煮魚は私得意なのよ。今度美味しい作り方教えてあげるわね」
「え、ありがとうございます」
滑らかに母が話し出したおかげで、一瞬固まった空気が動き出す。
俺は兄から視線を逸らして、がつんと兄の足を蹴った。
すぐに蹴り返されるが、負けじと蹴ってやる。
兄は。
魚はあまり好きじゃない。
骨をとるのが苦手なんだと言って、頭からばりばり食べれるししゃもとかの、小魚ぐらいしか食べない。
それは煮ても焼いても同じことだ。
煮魚が好きなのは、どちらかと言えば俺だ。
恋人さんが口にした時の、あの微妙な空気を感じ取れる人はいるんだろうか。
「智昭」
ぼそっと父に呼ばれて視線を向ける。
耳を傾けると、耳元で囁かせた。
「昭宏はお前に食べさせたいんだね。こっそりばれないように見てごらん。昭宏の耳」
促されて、目の前の料理を見る振りをしてチラッと兄に視線を走らせる。
表面上は平静を装っている兄の耳が、赤くなっていた。
「ぶっ!」
「ちょっと、智昭?」
思わず噴出してしまった俺は、手で口元を覆って笑い声を堪える。
母には行儀が悪いと窘められた。
「悪いな沙紀。コイツ変なんだ。気にしないでくれ」
ぎろっと睨んだ兄は、俺の足をぐりぐりと踏みつけてきやがった。
痛かったけど、笑いは止まらなかった。
それからの食事会は和やかに進んだ。
母は年甲斐もなく、兄の恋人と楽しそうにファッションのことで話をしているし、俺たち兄弟も、普段出張でなかなかいない父との会話を楽しんだ。
デザートの頃になると、両親と兄の彼女はかなり打ち解けていたようだった。
俺は、あいかわらずだったが。
「ん」
見るからに甘ったるそうなデザートを、俺は皿ごと兄に押し付ける。
兄は兄で、平然と受け取ると、空皿を俺に寄越してきた。
「ほんっとに昭宏は、甘いものが好きなのね」
それを見ていた恋人さんが、笑みを浮かべたまま思わずといった風情で呟く。
「......まあな」
フォークででタルトを食べながら、不機嫌そうな顔をしつつも頷く。
「じゃあこれも食べて」なんて言いながら差し出した彼女のデザートも、馬鹿兄は普通に食べていた。
......昭宏が甘党なのを認めたぞ。
普段ないことに、俺はやっぱり驚いてしまう。
基本兄は甘党なことを他の人には言いたがらない。
また、それほど親しくない人の前ではあまり食わないのだ。
それにも関わらず、認めるってことは、やっぱり彼女が好きなんだろう。
子供とかも、作るんだろうか。......え、俺おじさんとか言われるようになるの?
さっさと先の未来を想像してなんとなくショックを受ける。
子供か、俺は子供生めないしなあ............って。
「......」
「どうした?顔赤いぞ」
ぼんやりとしていた俺が、急に赤くなったので、兄が訝しげに尋ねてくる。
なんでもない、というように、俺は首を横に振った。
そして席を立つ。
「トイレ」
「......お前って、そういう言わなくていいところ言うよな」
デリカシーがないと、兄にため息を付かれた。
そんなぼやきなんか聞いてられなくて、俺はさっさと席を離れる。
俺、ば、馬鹿じゃねえの?いくら和臣と身体の関係があったって俺は、男、だし。
トイレの洗面所で、水で顔を洗う。
顔のほてりを冷水でおさめたところで、じっと鏡に映る自分を見つめた。
冴えない顔。こんな俺の、どこがいいんだか。
今日のように、完璧なカップルを見た後だと、なおさらそう思う。
ヤツは俺を可愛いというけれど、そんな要素は俺が見た限り一つもない。
はあ、とため息が出た。
早くヤツに会いたい。今日は無理だろうけど......。
「......ぅあ!」
やばい、今日は会えなくなったって連絡してないぞ俺。
食事会自体忘れてたから、そんな連絡することすら忘れてた。
ごそごそとポケットに突っ込んだままの腕時計を見る。
誕生日に和臣にプレゼントした腕時計と、同じデザインの俺の古い時計。
腕につけるのはなんとなくはばかれるけど、こうして同じものを持っているだけで心があったかくなる気がするから、最近は持ち運ぶようにしていた。
時計の短針は9時を示していた。
ヤツのバイトは10時に終わるが、今から食事会が終わって急いで帰っても、時間には間に合わない。
バイトが終わる頃に、連絡しておこう。
俺はそんなことを考えながら、テーブルに戻った。
テーブルには食後のコーヒーが並んでいる。
俺が席に着くのと同時のタイミングで、兄が立った。
あれ、こいつもトイレに立つんじゃねえか。
じっと不審そうに見つめると、軽く小突かれる。
「俺はタバコ」
箱を見せてそのままレストランを出て行く。
そんぐらい我慢すればいいのに。
背を見送った後、席に付くと、兄の彼女と目が合った。
「智昭くんって、呼んでいいかな?」
綺麗な声で名前を呼ばれて、思わず俺は背筋を伸ばす。
それからぎこちなく頷いた。
「智昭くんは、昭宏さんといくつ年が離れてるの?」
「よっつ、です」
ぼそぼそと答える。
俺はあまり会話をしたくないのに、こんなときに限って母は、父と話をしていた。
「少し離れてるんだね。でも兄弟って羨ましいなあ。私、一人っ子だから」
にっこりと微笑まれて、俺は身を縮める。
どう反応してよいかわからない。もしかしたら家族になるのかと思うと、なおさらだ。
反応の鈍い俺に、恋人さんは少しだけ困ったように首を傾げる。
若干の沈黙。隣で両親が会話をしているのが聞こえてくるから、そっちに混じってくれればいいのにと思うが、恋人さんは俺を見たままだ。
と、そんな気まずい雰囲気の中、不意に小さなケイタイのバイブ音が聞こえてきた。
なんだ、近いぞ。
音の元を探し出した俺に釣られて、恋人さんもきょろきょろと周囲を見る。
「昭宏のバッグからだわ」
椅子にぽつんと置かれたセカンドバッグから、小さなバイブ音が聞こえてくる。
俺はそのバッグを手に取った。
「俺、届けてきます」
仕事の電話だといけないしな。うん。
渡りに船とばかりに、会話を切り上げてしまう。
「あ、」
恋人さんは俺を呼びとめようとしたが、そんなことは構わずに俺はバッグを持ってその場を後にした。