11月リクエスト-3

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-塞翁が馬-


 夏の暑い時期には、クーラーの効いた場所はいいと思う。
 ただし、あまり効きすぎるのはよくない。
 その点美術館は静かだし、薄着でも暑くもなく、寒くもないぐらいの温度で、丁度良かった。
「......何度言えばわかるんだよあんた。邪魔なんだけど」
 この、いまいましそうに舌打ちしてくるガキさえいなければ。
 俺は黙って視線を向ける。
 脱色しすぎてぱさぱさになった金髪。眉尻は剃られてより凶悪な表情を演出している。
 スラックスを緩く履き、裾は引き摺るように歩いていた。
 背中を丸めているものだから、小さい背がより小さく見える。
 俺が見下ろすと、そのガキは「な、なんだよ」と睨み返してきた。
「別に」
 絵を見るのを邪魔しないで欲しい。ここは俺の心のオアシス。ヘブンだ。
 視線を前の微笑む女性の絵に戻し、俺は1人ため息を付いた。
 高校初めての夏休み。
 一学期でそれなりにグループが出来上がっていく中、中学でもそうだったように、俺は1人外れていた。
 声をかけてくる人がいなかったわけではないけど、シャイで無口な俺と付き合える人間はそうそういない。
 なもんで夏休みは宿題が終われば、毎日暇なもんだった。
 大学生の兄は、夏休みでも俺とは違って予定があるらしく、殆ど家にいない。
 母と父は仕事だ。人気のない家で、1人で朝から晩までいるのが耐えられなくなった俺は、毎日無駄に美術館に通っていた。
 そこは新しく建てられたばかりで、フロアも受付も展示室も、どこか真新しい匂いがする。
 バイトもしていない上に、少しのお小遣いしかもらっていない俺は、日がな一日この美術館でぼんやりと絵を眺めていた。
 女性が微笑む絵画、動物が溶け込む風景画。おもちゃに夢中になっている表情の幼児の絵。
「絵ばっか見てんじゃねえよ。さっさとどっか行けって」
 チッと舌打ちしつつ、俺の周りをうろうろする金髪の雛。
 160cmを越えた俺より小さいガキは、たぶんまだ中学生。
 俺がこの美術館に通うようになってからしばらく、ひょっこり顔を出しては悪態をつくようになっていた。
 何がこのガキの癇に障るのかわからないが、俺がこの無料展示スペースにいるだけでわざわざ近づいて文句を言ってくる。
 他の客がいたらやっぱりガン付けして追い出していたから、いくら言ってもただ絵を眺める俺が気に食わないんだろう。
 それ以来、他に客がいても、まず俺に纏わり付くようになった。
 係員はどこか困った表情でガキを見ていたが、注意することはほとんどなかった。
 ......めんどくさい。
 ふっと視線を時計に向ける。
 短針は12時を指していた。
 なるほど。この腹の減り具合は、飯の時間を指している。
 軽く腹を擦って、俺はガキを見た。
「昼飯」
「......」
 そう声をかけて先に外に出る。



 暑い。とろける。干からびる。
 無言でショルダーバックを肩に掛け直し、木陰のベンチに向かった。
 ここは風通しが良くて、涼しい。
 他にもっといい場所もあるけど、あそこにガキは連れて行きたくない。
 俺が無言でベンチに腰を下ろし、ごそごそとショルダーバックの中を漁る。
 すると、離れて付いてきていたガキが、同じようにベンチに腰を下ろした。
 人一人分の間隔を空けて座る、その根性が憎い。
 俺はショルダーバックの中からおにぎりを取り出して、ガキに手渡した。
 ばしっと手を叩かれる勢いでおにぎりが奪われる。
 がつがつと俺のおにぎりを食べるガキを横目に、俺もおにぎりを取り出して食べ出した。
 このガキと一緒に昼飯を食うようになったのは、出会ったときがきっかけだ。
 初めて会ったとき、散々悪態をついてくるこのガキに、俺も意地を張って一歩も動かず絵を見ていた。
 その時腹を鳴らしたのはガキの方で、俺は今日と同じように持参していた昼ごはんのおにぎりを手渡した。
 なのにガキは。
「こんなもんいらねえよ!」
 などとほざいて、俺の大事な食料をバシッと振り払ったのだ。
 落ちるおにぎりがスローモーションで見えたのは、俺がショックを受けすぎたからに違いないだろう。
 が、床を転がるおにぎりを見て、
「食べ物を粗末にするな!」
 弾かれた手でそのままの勢いをもってガキを殴りつけた。
 グーで殴ったのはご愛嬌だ。
 顔を殴られて呆然とするガキに、おにぎり(ラップに包まれていたから、まだ良かった)を拾わせ、外まで連れ出して責任持って食わせた。
 その日以来、ガキは俺を見つけると絡み、そしてなぜか昼飯を一緒に食べる仲になった。
「......これ中身なんなの」
 普段煩い割りに、食べてるときは静かなガキがぽつりと呟いた。
「辛子明太子」
 おにぎりの中身を思い出して、俺は答える。
 そう言えば今まで入れたことは無かったかもしれない。
「つぶつぶしてるし、辛い」
 ガキの動きが止まった。
 見れば、半分食べたところで止まっている。
 なんだ、嫌いなのか。
 俺がガキに手を伸ばすと、ガキはびくっと身体を震わせ俺を見た。
「交換」
 こっち昆布だからお前平気だろう。
 おにぎりを受け取り、自分が食べていたおにぎりを手渡す。
「また殴るかと思った」
 しねえよ。好き嫌いはしょうがねえもんな。俺も嫌いなのあるし。
 後はミンミンとうるさい木の下で、俺はガキと2人で黙々とおにぎりを平らげた。
 辛子明太子をおにぎりの具には入れなくなって、早3日。
 相変わらずガキは、俺や来館者を無料展示スペースから追い出そうと躍起になっている。
 ちょっとイッちゃったおこちゃまなのかとも思ったが、どうも理由があるようだった。
 ......その理由は知らねえけども。
「から揚げと焼きたらこ」
 俺が呟くと、ガキはわざとらしく腕を組んで考える。
 それから「から揚げ」と答えた。

 纏わり付くガキを連れての昼飯。

 聞いたのは今日のおにぎりの具材だ。
 俺たちは2種類のおにぎりを2人で1つずつ食べる。
 通常サイズのおにぎりに、成長盛りらしいガキは、一つだと足りないと騒ぐようになった。
 食べさせてもらっていながら、図々しい。
 まあ、兄に鍛えられている俺は、条件を出した。
 どちらか一つのおにぎりはでかくしてやる、けどもう一つは小さいままだから、どっちか選択して当たった方を文句を言わずに食え、と。
「......ちっせ」
 差し出したおにぎりは、通常サイズだった。
 ガキはぼやいたが、それでもおにぎりを受け取り黙々と食べる。
 両手でおにぎりを持って食べるガキは、身長も相まって金髪の不良モドキだが愛らしく見える。
 兄のお友達には喧嘩っ早く、カラフルな髪の毛やタトゥー済みの人など多かったから、このぐらいは可愛いもんだった。
「ん」
 半分食べたところで、俺は自分のおにぎりを差し出す。
 元々、俺は通常サイズが1個あれば十分なのだ。
 大きいのを食べようとすると腹が苦しいし、飽きる。
「......」
 ガキは黙って受け取ると、両手に持って食べ出した。
 暇な俺は、ぼんやりと空を見る。
 入道雲が大きく形作っていて、夕立でもあるのかと考えていた。
「あんたさあ。なんであんな絵見てンの」
 あともう少しで食べ終わるというところで、ガキに尋ねられた。
「面白いから。童話、読んでるみたい」
 絵にあるストーリーを想像するのが面白い。
 今日は風景画に、新しくフクロウっぽい動物が隠れていることに気付いた。
 同じものを見ていても、新たな発見があるというのは楽しいものだ。
「しらねえの、あれ描いてるの、殺人者なんだぜ」
 ガキがぽつんと口にした穏やかではない言葉に、俺は視線を隣に移した。
 俯いていて表情はうかがい知れない。
「あの絵だって、売れないから美術館がもらってったんだ。捨てればいいのに」
 ズズッと鼻を啜るような音が聞こえる。
 俺は前を向きなおした。
 背丈の低い芝生に、わけのわからない形のモニュメントが見える。
 それを眺めながら口を開く。

「そんなの、俺には関係ない」

 低く呟いた俺の言葉に、ガキが顔を上げたのがわかった。
 横顔に、視線が刺さる。
「......かえる」
 すっくとガキが立ち上がった。
 手には、大分小さくなったが、おにぎりが握られている。
「食べてからにしろ」
 歩きながら食べるのは、行儀が悪い。
 そう兄に教え込まれた俺は、ガキの肩に手を置いた。
 と、その手をバシッと叩き落とされる。
「ばーか!しね!」
 ガキはそれだけ告げると、走り去ってしまった。
「......」
 叩かれた手を見て、俺はため息をつく。
 またやってしまった。
 言葉足らずと思慮なしで、相手に不快な思いをさせるときがあることを、俺は自覚している。
 なんであんなことを口にしたんだろうか。
 あの子は、どんな言葉をかけてもらいたかったんだろう。
 考えてもわからなかった。
 結局、気付いたときにはとっくに日も暮れていて、慌てて家に帰った。
 先に帰っていた母に、酷く怒られた。


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