番外編-6

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「やりすぎだ」

 低い声が聞こえたと思ったら、足首に感じていた圧力がなくなった。
 と、すぐに腕を引かれて慌ててしまう。
「触んないでよッ!」
「いっ......」
 夢中になって抵抗したら、ふわりと馴染みあるフレグランスが香って、私は動きを止めた。
 暗がりで目を開けても、目の前にいるのが誰なのかは見えない。
 けれど。
「お化け役のしちまったから、逃げるぞ」
「あ、あきひろ......?」
 声は、そう。香りも一緒。
 でもどうしてここにいるかわからない。
 呆然としていると更に腕を引っ張られた。
 けれど、腰が抜けているせいですぐに立ち上がることができない。
「私......腰が抜けちゃって」
「わかった」
 それを訴えると昭宏はすぐさま私を抱き上げた。
「!」
 抱き上げられるのも初めてで、驚いてしまう。
 昭宏は暗い中をずんずんと歩いて、非常口の緑の明かりがある襖戸を引く。
 すると、途端に明るい光に包まれて、私は眩んだ目を細めた。
 外に出て、昭宏はドアを閉める。
 出入り口は、建物の側面に出るようになっていたようで、あまり人気がなかった。
 すぐそばにあったベンチに座らされて、私はそこでようやく昭宏の顔を見上げる。
 少し不機嫌そうな顔、頬には、中で暴れた時についたのか、引っかき傷があった。
 目が合うと、深くため息を付かれる。
「こういうところは、途中で断念しても大丈夫なように、いくつか出入り口が設置されてんだよ。無理してねえで、さっさと出て来い」
「ほっといてよ」
 呆れたように告げられて、私もついむっとしてしまう。
「ていうか、どうして場所わかったの?」
「和臣が、智昭の悲鳴を聞きつけて、さっきの非常口から入っていったんだ」
 ありえねえ聴力しやがって馬鹿犬が、と昭宏はイラついたように舌打ちをする。
 そういえば、智昭くんは結構声を上げていた。
 途中でいなくなってしまったのも、小野くんが連れて行ったのなら頷ける。
「私のこと、置いてくことないじゃない......」
 少しだけ小野くんを恨めしく思って、私はため息をついた。
「......まあ、邪魔されたくないから、わざとだろうな」
「え?」
「アイツ、俺がお前のとこ行くのわかってて、智昭を連れてったんだ。おかげで2人に逃げられた」
 低く唸って悔しそうに告げた昭宏は、どかっと私の隣に腰を下ろす。
「2人きりにしてやるつもりなんかねえのに、くそ」
「......だったら、私のことなんか、ほっとけばよかったじゃない」
 愚痴る昭宏に、思わず心情が漏れた。
 俯いて、ぎゅっと膝の上で拳を作る。
 悔しくて悔しくて、感情が高ぶりすぎて、目の前が潤んだ。
「なんでお前をほっとくんだよ。お前が俺の傍にいるなら別にほっといてもいいが、いないのに探さねえわけねえじゃねえか」
 隣から伸びてきた手が、私の乱れた髪を優しく撫でた。
 言われた内容に、瞬間脳が動きを止める。
「どうやら物凄く不本意だが、弟が俺のアイデンティティーに深く影響してるんだ。アイツがいたから今の俺がいる。......だから、沙紀」
「え、あ......はい」
「お前が離れると、俺はお前のことまで心配しなきゃいけない。だから傍にいろ。俺はアイツの、智昭の世話で精一杯だ」
 昭宏は、至極真面目な顔で、言い切りやがった。
「なにそれ?!」
 偉そうな口ぶりに、悔しさよりも怒りが込み上げる。
 怒鳴っても、それに堪えた様子はない。
「別れたいと言われたらどうなるか考えたが、今の俺にはお前のいない未来は考えられん。よってその選択肢はないから」
「昭宏が好き勝手にするために、私は傍にいろって?」
 踏み台か何かなの、私って。
 考えていけばいくほど、なんだか不愉快になっていく。
 だけど昭宏は平然としていた。
「違う。お前が傍にいるから、好きにできるんだ。いなかったら俺はどうしたらいい。気になって何もできないじゃないか」
 そんなことを、昭宏は堂々と告げる。
「......」
 私の方が、絶句してしまった。
 当たり前のことを、当たり前に言ってるような顔をしている昭宏に、肩の力が抜ける。
「というわけで、2人を探しに行くぞ。立てるか」
 話は終わったとばかりに立ち上がった昭宏に手を引かれた。
 引かれるまま立ち上がって、歩く昭宏に手を繋がれる。
「観覧車にでも乗るか。絶対見つけてやる。沙紀も探せよ」
 歩き出してすぐ、大きな輪を見つけた昭宏はそちらの方向に足を向けた。
 引っ張られる私も、そのままついて行く。
 すらりとした背を眺めて、見た目とは相反するようなさっきの言動に、私は少し笑ってしまった。
 ブラコンで俺様で子供みたいにわがままで、自己中な男だけど。
 ......やっぱり好きになって、よかったなあ。
 この先も絶対ぶつかることは想像がつくけど、でもだからって別れたいとは思わない。
 ぶつかっても、一緒に生きて行ける人なんて貴重だと思う。
 ぎゅっと軽く手を握り返すと、昭宏は一瞬だけ私を見て、微笑む。
 しょうがないから、頑張って探してやるよ!
 家族連れや恋人たちが並ぶ観覧車の列に、私たちも並ぶ。
 他の人たちは楽しそうに会話をしているけど、昭宏は弟くんを探すことに夢中で、私には目もくれない。
 そんな昭宏を見て、そっと列から離れてみる。
 しばらく見てるとそばに私がいないことに気付いたのか、焦って更にきょろきょろし出した。
 そして、列の外の柵に寄りかかってる私を見つけて、むっとした表情になる。
 後もう少しで観覧車に乗れるところまで進んでいたにも関わらず、昭宏は列を離れて私の元に駆け寄ってきた。
「なんで離れるんだよ」
 不機嫌で眉間に皺が寄ってる。
「一緒に探すより、ばらばらの方が効率的だと思って」
 携帯もあるしね、と見せると、昭宏はますますひねくれる。
「俺に電話をかける手間をさせるつもりか。ほら、お前のせいで最初から並び直しじゃないか」
 なんて、怒られた。
 今度はしっかりと二の腕を掴まれてまた列に並ぶ。
 大きな観覧車は、遠目で見たときよりも大分早く動いているようだった。
 2人で乗り込んで、向かい合うように席に座る。
「俺こっち見るから、お前そっちな」
 見る方向まで、指定された。
 少し暗くなってきた外の景色。
 高くなるに連れて、人の顔も判別しにくくなる。
「ねえ、これ見つけても見失ったらどうするの?向こうも移動してるだろうし」
 こっちは観覧車に乗ってるから動けないし。
 そう思って尋ねたが、返事はなかった。
 ......そこまで考えてないっぽいなあ。
 笑いたくなるのを堪えて、目を凝らす。
 昭宏よりも軽い気持ちで探していたのが、良かったのかもしれない。
「あ!いた!!」
 智昭くんと、小野くん。
 遠目で見難いけど、しっかり手を繋いで歩いているのが見える。
 男の子同士で手を繋ぐなんて、変わってるなあ。
 見つけたときは、そう思っただけだった。
 私の声に、昭宏がすぐさま反応する。
「どこだ」
 昭宏が隣に来たせいで、少し観覧車が傾いた。
「ポップコーン屋さんから向かって右に少し離れた、三本の木が立ってるところのそば」
 説明すると、目を凝らした昭宏はちっと舌打ちをする。
「あの野郎......」
 ガラス窓に置かれた昭宏の手が、ぎゅっと拳を作った。
 斜め上から見ることで、2人の表情はどうにか読み取れた。
 声はもちろん聞こえないけど、寄り添って歩く2人はとても楽しそう。
 身長の低い智昭くんに、小野くんは少し屈めて何か耳元で囁く。
 笑って軽く首を振った智昭くん。その顔に、小野君の手が掛かる。
 そして......。
「ええええええっ?!」
 瞬きぐらいの瞬間だったけど、しっかり見てしまった。
 き、キス、してた......?!
 2人の周囲の人は、全然気付いた様子もない。
 暗くなってきているし、顔を近づけたのも一瞬だから、だろうけど......。
 キスされた智昭くんは小野くんを凄い勢いで蹴っていた。......だけど、手は繋いだまま。
 暴行を受けても嬉しそうな小野くん。
 まるで恋人同士のような2人だった。
「......いつか必ず、逆さまで埋めてやる......ッ!」
 呆然としていると、昭宏の低く怨念の篭もった声が聞こえた。
「ああああもう付き合い認めるんじゃなかった!なんで血迷ったんだあの時の俺!!」
 突然頭を抱え出す昭宏に、私は慰めより先に、聞いていた。
「ええっ!あの2人って付き合ってるの?!」
「智昭もっと拒否しろ!キンタマ狙え!一生不能にしちまえ!!」
 下品な言葉で怒鳴った昭宏が、がんっと強く窓を殴る。
 そのせいで、観覧車がぐわんと揺れた。
「......」
 しーん。
 急に、怒鳴っていた昭宏が静かになる。
 頂上近くに達したせいか、2人の姿は殆ど見えない。
「別れないからな俺は」
 どう言葉をかけるか考えあぐねていると、唐突に昭宏は私に視線を向けた。
 きゅっと、結ばれた唇。
「......今朝ここに来る時、最後に意見を聞くと言ったが、俺は意見を『聞く』だけだからな。お前がどう思っても別れない。俺と、俺の家族と一緒に、後ろ指指されろ」
 少しだけ苦しそうな表情をする昭宏に、きっぱりと宣言された。
 だから私も、きっぱりと思ったことを口にする。
「究極のブラコンよりホモの方がマシよ」
 少なくとも、相手は血縁者じゃないし。
 知って驚いたけど、別にいいんじゃないのかな。好き合う気持ちがあるのなら。
 ......どちらかというと、昭宏の智昭くんに対しての過度の執着心の方がいや。
 そう思っての即答だったけど、昭宏にはダメージがキツ過ぎたみたいだった。
「あまり、それ言うな......」
「ブラコン?」
「......お前わざとだろう」
「でも、そうでしょ」
 認めたくないのか、複雑そうにため息をつく。
 力なく隣に座る昭宏の腕に、私は腕を絡ませた。
「結婚したら、その性格もう少し直してもらうから」
 わずかに見開いた目が、私を捉える。
 にっこり微笑むと、昭宏はふっと笑みを浮かべた。
「考慮する」
「考えるだけじゃだめだからね」
「......とりあえず今は、2人を捕まえに行ってもいいか」
 観覧車は、あともう少しで地上だった。
 2人の位置を把握はしたから、地面に降り立てば捕まえることも出来ると思う。
 智昭くん、ホラーハウスの時に私のことちゃん付けで呼んでたなあ。......仲良くしたいと思ってくれてるのかな。
 今まで全然話せてないから、話したい。
 仲良くなりたい。
「そうね。とりあえずは」
 ......とりあえずは、智昭くんを味方につけて、昭宏を脱ブラコンさせよう。
 なんて、私はひっそりと考えていた。


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