番外編2(パロディ)-4
-思わぬ現実-
出張というか出向の多い父は、今も離れた地で1人暮らしをしている。
時折帰ってきたときの家族での触れ合いは、子供が大きくなった今でも自慢だと近隣住民に漏らしたらしいことは知っている。
俺が28歳で弟の智昭が23歳だから、両親はもう50代も半ばだ。
老いは間違いなく寄ってきているが、まだまだ元気だと、そう思っていたある日。
父が職場で怪我をした。
足の骨を折った父の世話をしに行くと言った母が、仕事を辞めて出張先に行くことになった。
父は大丈夫だと突っぱねたが、母は不器用すぎる父を心配して強引に向かうことにしたようだ。
俺は仕事があるからもちろん家に残ったが、問題は弟。
いい歳でありながら職にも就かないで引きこもり、家に寄生している弟をどうするかという話になった時、母は一緒に連れて行くと言った。
「環境変わったら、トモくんもお外に出たくなるかもしれないしね」
そう笑った母を、俺も引き止める理由もなく、出て行く2人を見送った。
俺だけならきっと、1人でもやっていけるだろうと思われたんだろう。
一度は家を出ようとした俺だ。否定はしない。
どこかの馬鹿ニートと違って、俺は社交的だし行動的でもある。
好きな人がいたら連れてきていてもいいからねと、ひっそり言われた母の言葉を脳裏で反芻する。
今の俺は、連れ込みたいヤツはいない。
観念して家に残ったのに、これでは肩透かしだ。
生憎と、神は信じない主義だから、これは神ではなく何かの理が、俺に外れた道に手を出すなと言ってくれてるのかと思った。
仕事をして、時折同僚や友人と夜を遊んで家に帰る。
使うのは自分の部屋とバストイレ。キッチンやリビングには一切近寄らなかった。
使うところは掃除をするが、他はそのままだから埃が積もってしまうことだろう。
リビングには観葉植物があったのを思い出したが、枯れていてもしょうがないかと早々に諦める。
その日も、少し遅い時間に家に帰りついた。
取引先との接待で飲み明かし、ギリギリ最終電車に飛び乗った。
人気のない住宅街を抜けて、家に帰りつく。
明かりをつけるのも面倒で、そのまま暗がりを歩いた。
「いて」
目測を見誤り、つま先をどこかにぶつける。
痛みはあったが、悪態をつくのも面倒で、そのまま階段を上がり部屋に向かった。
まっすぐ奥の自分の部屋に向かえば良いものを、手前の弟の部屋の前で足を止めてしまったのは、単なる気の迷いだと思いたい。......この際、酔いのせいでもいい。
誰かに気遣うようにドアを開け、主のいない部屋を見回す。
俺が口うるさくしていたせいか、部屋はきちんと整頓されていた。
向こうで買うのが面倒という理由で持っていった寝具がないことを残せば、本人がいたころと変わらない風景だった。
その部屋の残された物に、俺は触れられもしない。
しばらくそこに留まり、入ったときと同じぐらいに唐突に出て自分の部屋に入る。
上着を脱いで楽な格好になった俺は、そのままベッドに倒れこんだ。
風呂に入らなければと思うが、それすら面倒だ。
不意にどうしようもなく焦がれることもあるが、会いにいけた試しはない。
時折母から近状を伝える電話があっても、弟のことを尋ねることもできなかった。
このまま想いが薄まればいいのに、という願いは叶うことなく、俺はそろそろと手を下肢に伸ばしては一度は知った身体を思い出してソコを慰め、熱を吐き出しては自分をあざ笑った。
この俺が、情けなさ過ぎて泣きそうになったなんて、一生誰にも言うつもりはない。
1人で暮らして、2ヶ月。
職場で腐っている表情を高橋に見られた上にからかわれて、イラついていた。
飲み屋を梯子して、でも思ったより酔えなかった俺は、コンビニでアイスを買ってから帰路に着いた。
馬鹿食いするつもりで買ったのは、チョコ&クッキーとストロベリーと、バニラと抹茶。
上品な甘さが有名な冷菓子で、その味を想像して心が安らいだ。
足取り軽く歩いていると、見えてきた我が家に明かりがついているのに気付いて、俺は足を止める。
「......」
無言で携帯を取り出す。
着信を確認。......仕事以外での着信はない。
母の携帯に電話することを考えたが、深夜ともいえる時間帯のせいで、コールするのは躊躇われた。
もとより、母が帰宅しているのであれば、留守電ぐらい入れているはずだ。
であれば。
じわりとした喜びが湧き上がりそうなのを堪えて、俺は家のドアを開ける。
玄関には、薄汚いスニーカーが一揃え。無論、それは今朝出るときにはなかったものだ。
ただいま、とも声を掛けずに中に入る。
明かりはリビングから漏れていた。
そっとドアを開けて覗けば、テレビの前にあるソファーに座る、小さな影が見える。
その影は恋焦がれていたものには、違いなかった。
なんだあの野郎勝手に帰ってきやがって。一言連絡寄越しやがれそのぐらい出来ないのかボケ。いっぺん死んで来い。
そう思うが、罵る言葉は口から出ない。
無言でリビングに入り、ソファーに座った智昭の背後に回る。
テレビは消音にされたままで、弟は目を閉じていた。
寝ているのだろう。起きないのであれば、と思ってそっと手を伸ばし、頬を撫でる。
とたんに、びくんと大きく身体が跳ねた。
それに驚いたのは俺だ。
手を引いて弟の様子を見やる。
寝入りばなだったのか智昭は何度か瞬きをし、きょろきょろと周囲を見回した後、背後に立つ俺に気付かぬままに、また目を閉じようとし......。
ゴス。
思わず、ゲンコツで殴っていた。
「ッ」
小さく息を飲んだ声。
ややあって、涙を浮かべて見上げてくる黒い瞳。
わずかに、口元に笑みが浮かんだ。
くそ、嬉しそうな顔してんじゃねえよ。
「......おかえりなさい」
「ただいま」
いつも、家にいたときのように両手を伸ばされたから、つい抱き返してしまった。
家にいたときのような、あまり大きくない身体での抱擁、そして、その体臭。
コイツの匂いに、どうしても脳の一部が高ぶる。
「......汗くせえよてめえ」
「リビング、掃除してなかった。......から、した」
俺がどつくと、そういい訳じみたことを言いながら、智昭は唇を尖らせた。
「風呂入ればいいだろうが」
もう一度手加減なく殴り、手にしていたアイスを冷凍庫に仕舞い込む。
仕舞いながら俺は、今日梯子した飲み屋の件数と数量を反芻していた。
中ジョッキビール3杯。焼酎のウーロン割2杯。ウィスキーは......3杯は飲んだ。カクテルもいくつか飲んだ気がする。
酔いは感じないが、これだけアルコールが入っていればたぶん。
くそ。......きっと勃たねえ。
がん、と冷蔵庫を叩くと、智昭が驚いたように俺を見上げた。
いつものように膝を抱えてソファーに座ったままの弟は、俺の視線を受けて軽く首を斜めに傾げる。
ああムカつく。......あの肌に俺の跡を刻み付けてやりたい。
「風呂入ってこい」
ネクタイを緩めながら告げると、智昭はゆっくりと立ち上がった。
俺の隣を通り過ぎる寸前、スーツの裾を捕まれる。
「昭宏は、酒臭い。......風呂入ってこい」
得意げに俺の口真似をした弟を、つい思わずぶん殴ってしまった。
いつもより暴力が多いのは、......2ヵ月ぶりに会ったからと思いたい。
照れ隠しでは、けしてない。
どちらが先に入浴するかで、俺は智昭と軽く言い合いになり、結局一緒に入浴と相成った。
飢えた肉食動物の前に、餌が置かれた気分だ。
どうして自宅に帰ってきているかは聞きそびれ、髪の毛を洗ってやって、浴槽に弟を押し込んだ。
冷え性な弟は、気をつけてやらないとよく寒がる。
「肩まで浸かって10数えろ。それまで出るなよ」
「ガキじゃあ、あるまいし......」
「ああ?なんか言ったか?」
言いつけた上でにらみつけると、不満げな表情を浮かべた弟は、黙って湯船に浸かった。
俺は手早くシャワーを浴びて、身体と髪を洗う。
身体が温まってアルコールが回ったせいか、それとも熱い眼差しで見られているせいか、少しだけ足元がおぼつかなかった。
「きゅう、じゅーう」
「あと10我慢しろ」
律儀に数えて、ざばっと湯船から立ち上がった弟の肩を押さえて、浴槽に押し込む。
出来れば俺が出るまで我慢しろ。というか少しは察して欲しい。
まあ鈍い弟には無理な話だ。
というわけで、さっさと俺はバスルームを出る。
不満を口にする声は聞こえなかったが、きっと本人はぶつぶつと心の中で呟いていることだろう。
あの馬鹿の目は、口ほどにモノを言う。
どういう意思で帰ってきたかは知らないが、あきらかに挑発していた。
でなければ、.........俺と風呂に入るようなことは言わない、筈だ。
いや、でも智昭だ。
あのニートの頭は動いてないに等しい。もしかしたら何の考えもないかもしれない。
考えながらリビングに向かう。
2ヵ月放っておいたリビングは、埃もなく前に見たときと同じだった。
智昭が綺麗にしたんだろう。
冷凍庫から先ほどしまったカップアイスの1つを取り出し、ソファーに座って食べていると、ぺたぺたと足音が聞こえた。