花嫁の契約-4
「......ハイデマリー?」
「ジークリード......?」
ベッドの上にいたのは、姉同然の女性、ハイデマリーだった。
彼女とは、昼間に別れたきりである。
驚いてシーツを被ったまま固まるハイデマリー。
それは、ジークリードも同様だった。
「え、え?」
「どうして?」
二人揃って、意味がわからないと顔を合わせる。
「ジーク、貴方アルトゥールさまと『初夜』でしょう?どうしてここにいるの?」
「それはこっちの台詞だ。どうしてハイデマリーがここに?」
「わたしは、昼間ベンノ様に呼ばれてお部屋に行ったら、わたしを『花嫁』に迎えてくれるとおっしゃってくれたの。それで、貴方と同じで『初夜』を過ごすためにここに......」
暗い室内でよくよく見れば、ハイデマリーは薄く肌の透ける寝衣を着ていた。
透けるたわわな胸がシーツの隙間から見え、ジークリードは視線を逸らした。
「......ともかく、これは何かの間違いだ。俺、確認してくる」
「お願い、ジーク」
ベールを掻き分けて、大股でドアに近づく。
がちゃがちゃとドアノブを動かすが、開かない。
「......どうしたの?」
「開かないんだ」
「ええ?」
背後で布の擦れる音がする。
身体にシーツを巻きつけて、ハイデマリーがベッドから降りてきたのだ。
「......くそ!」
壊してでも開けようがんと体当たりも加えるが、ドアの蝶番は揺るむ気配もない。
「ハイデマリー、下がって」
傍に置いてあった椅子の背を掴み、ハイデマリーを下がらせるとジークリードは力いっぱい、それをドアに目掛けて振り下ろした。
散らばる木の破片。椅子はあっさりと壊れたが、ドアは傷つくこともなかった。
そこまできて、ようやくジークリードはこのドアに何か魔法がかかっていることに気付く。
「夜明けまで出てきてはいけない......夜明けまで、出れない?」
「性交は、最後まですること......」
ジークリードの呟きに、ハイデマリーの呟きが重なった。
互いに再度顔を見合わせる。
「村が助かるって、言ってたぞ」
「わたしの村のことも、そう言っていたわ。夜明けまでちゃんと交われば、って、ここまで案内してくれたクレメントさま、が......」
じわっと、ハイデマリーの瞳に涙が浮かぶ。
ジークリードは強く拳を握った。
契約をする相手は、ハイデマリーではない。
アルトゥールだ。それなのに......。
怒りで目の前が眩んだ。村のことも、引き合いに出されたのが更に許せない。
「わたし、わたし......ベンノ様のことが、大好きなのに。......あの人のお嫁さんになれることが、すごくうれしかったのに......!」
顔を手で覆って、ハイデマリーは床に座り込んでしまう。
すすり泣く声が聞こえた。
「......」
村や、幼い頃に別れた両親のことはずっと大切だ。命に代えても惜しくはない。
けれど、それ以上に、ジークリードはアルトゥールが大事だった。
慈しんで守り続けたい愛しい人。大事すぎて目標が変わるほどだ。
「俺は、納得いかない!」
ジークリードはそう怒鳴ると、もう一度ドアに体当たりを始めた。
椅子の破片の拾って、ドアの蝶番を外そうと躍起になる。
どうしても、今すぐにアルトゥールの元に行きたかった。
髪は乱れ、汗が滲む。暖めた指先は怒りで冷たくなり、ドアを叩く拳には血が滲む。
しかし、ドアは少しも動くことがなかった。
ジークリードはぐっと奥歯を噛んで、泣きそうになるのを堪える。
酷く裏切られた気持ちだ。
そして、それはハイデマリーも同じだったのだろう。
「許せないわ......!」
愛しい気持ちが大きい分だけ、憎む気持ちも強くなる。
「退いてジーク!」
鋭い声に、ジークリードは反射的に振り返り、そして頬をひきつらせてドアから離れた。
暗い室内で、ハイデマリーの身体が淡い光に包まれている。
電気が漏電するように、ハイデマリーの身体から魔力が溢れ出ているのだ。
柔らかで長い髪はその溢れた魔力によって浮かび上がっている。
涙で頬を濡らしながら、ハイデマリーはボールを持つように胸の前で手を合わせた。
光の塊がその手の中に現れ、ばちばちと火花を散らして大きくなっていく。
「絶対許さないんだから......!」
涙声でそう怒鳴ると、ハイデマリーはドアに目掛けて光の球体を投げつけた。
「今頃、儀式は滞りなく進んでいるだろうか」
「......まだ、始まったばかりですよ。ジークリードが部屋に入った報告は、先ほど受けたばかりでしょう」
「ふん」
アルトゥールはソファーにうつ伏せに横になり、行儀悪く肘掛に足を乗せていた。
物憂げにベンノが入れた紅茶を口に運ぶ。
一口飲んで、眉を潜めた。
「お前、紅茶入れんの下手になったんじゃねえ?」
「まさか、100年前も今も変わりませんよ。アルトゥール様の味覚が変わったんでしょう」
肩を竦められて、アルトゥールはますます顔をしかめる。
味が薄い。無意識にジークリードが入れた紅茶を欲して、アルトゥールはため息をついた。
「そうそうため息をつくのは、やめて下さい。こっちまで気が滅入ります」
「てめえこそ、無駄に紅茶をかき回すのやめろよ。目障りなんだよ」
アルトゥールの向かいに座った鳥頭の魔族は、ただただ自分で入れた紅茶をスプーンでかき回していた。口には一度も運んでいない。
「可愛い私のハイデマリー......」
どこか虚ろな目で呟いて、ベンノはぼとぼとと砂糖を紅茶に投入した。
砂糖の入れすぎで、もはや飽和状態である。
「嫌なら俺の提案に乗ってんじゃねえよ」
「いえ......彼女のことを考えるなら、こうしてよかったんです。ジークと彼女はとても仲が良い。私のような、人間には醜いと取られる外見の魔物の『花嫁』にはもったいない」
言いながら、また紅茶をかき回している。
普段は冷静沈着で、常に頼りになる自分の腹心のあまりの憔悴っぷりに、見ていられなくなったアルトゥールは視線を逸らした。
ベンノほど酷くはないが、アルトゥールだって内心同じぐらいにぼろぼろだ。
花嫁と呼ぶには憚られるほど小さいころから、育ててきた養い子だ。
いつのまにか、目が離せなくなっていた。
幼かった頃の愛らしさもとても好ましかったが、今の青年となったジークリードの凛々しさには心を奪われた。
性根が優しく、意地悪なことをし続ける自分にめげず、村のために『花嫁』になることを目指した人間の子。
そろそろ、開放してやってもいいはずだ。
ジークリードがハイデマリーを好きなのは知っていた。
今日だって、ようやく『搾取の契約』が完了して村が救われたことを、ハイデマリーに抱きついて報告していたのだ。
魔力でつい覗いてしまったジークリードとハイデマリーの笑顔を、アルトゥールは脳内から打ち消す。
「......魔界に帰って、結婚するかな」
魔界は世襲制ではない。それなのに現在の王の子である自分に対して行われた、酷いほどの求婚に嫌気が差し、人間界を征服するという叔父についてきたのだ。
もうそろそろほとぼりが冷めた頃だろう。
戻ってさっさと結婚してしまえば、騒がれることもないはずだ。
ジークリードがいなければ、もはや誰と契約を交わそうがアルトゥールは構わなかった。
「「はあ......」」
量らずとも、ベンノとアルトゥールのため息が重なる。
冷めて、自分好みではない紅茶を飲もうと、アルトゥールがカップに口をつけた、丁度そのときだった。
ドーン。
城全体がわずかに揺らぐほどの、大きな低い音が響いた。
それから暫くして部屋の外が騒がしくなる。
「何だ?」
「見てきますね」
ふらふらと立ち上がって様子を見に行くベンノを、アルトゥールはただ見送る。
魔力を使って確認しても良かったが、それすらもはやめんどくさい。
ベンノとて同じだろう。頭が回転していないから魔力を使うことを忘れて、自らの足で確認しに行ったのだ。
ドーン。
鈍い低音が再度響く。
「......」
間違いなく、魔力でなにかを吹き飛ばしたような音だ。
「ベンノ?」
様子を見に行ったベンノが戻ってこない。
さすがに何があったのかと、立ち上がってドアに手をかけた。
ドアノブが、何もせずに回って勝手に開く。
「ベン、」
「ベンノ様なら、ハイデマリーが連れて行きました」