花嫁の契約(Ein Kuß)-2

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 魔族が人間界を支配するために築いた城。
 その城の厨房から、香ばしく美味しそうな香りが漂っていた。
「焼き加減もばっちり!」
 オーブンから取り出した熱々のクッキーを眺めて、ハイデマリーはそんな声を上げた。
 質素な長いスカートに。明るい茶色の長く伸ばした髪は、邪魔にならないように三角巾でまとめている。
 頬は薄っすらと赤く染まり、柔らかそうなピンクの唇はうっすらと笑みを浮かべていた。
 二重の大きな瞳は、キラキラと輝いている。
 ハイデマリーはうきうきと、ふっくらと程よい焼き目の付いたクッキーを1つ手にとり、口に運んだ。
 さくっとした歯ごたえに、口の中に広がる広がるバターの香り。
「ん、美味しい!」
 自分の作ったお菓子の出来栄えに、満足したハイデマリーは、オーブン用のトレイからクッキーを皿に移し変えながらちらりと隣を見た。
 そこには、一緒にお菓子作りに挑戦していた人物が佇んでいる。
 横顔を見たのちに、その人が凝視している手元に視線を落とした。
 厚みが少なく焦げてしまったものや、まだ生焼きのもの、生地を混ぜ切ってないまま焼いたせいで白い小麦粉がぼこぼこになった表面のクッキーが並ぶ。
 簡単に言えば、失敗作だ。
「ハイデマリー......」
「はい?」
 低い声で名前を呼ばれて、ハイデマリーはにっこりと笑みを浮かべた。
「そのクッキー寄越しやがれ」
「嫌です」
「人間のくせに俺に逆らうのか」
 じろりと睨まれたハイデマリーは、腰に手を当ててふん、と軽く鼻を鳴らした。
 それからずいっと顔を近づけ、美しい外見の口の悪い魔族を間近で見つめる。
 羽根がばさりと動いた。
「アルトゥール様」
「な、なんだよッ」
 ハイデマリーに呼ばれたアルトゥールはびくびくとしながらも、突っ張るように声を張り上げた。
「私、ちゃんと言いましたよね?分量はちゃんと測る。作る順序は守る。めんどくさがって作業を省略しないって」
「俺は頑張っただろ?!」
「その結果が、それ」
「ぐっ......」
 ぴっと細い指でクッキーモドキを指差すと、アルトゥールは眉尻を下げた。
 不満そうに唇を尖らせる。
「だって......ジークに食わせてやるって言ったんだぞ、俺は。こんなもん食わせられるかッ!」
「きゃ!」
 大事な旦那の名前を告げたアルトゥールは、癇癪を起こしたようにトレイをひっくり返した。
 作業場の台の上に散らばったクッキーを見て、ハイデマリーは肩をすくめる。
 作戦や計画を立てるのは得意なのに、こういったところは不器用だ。
「完璧な俺が、失敗するなんてことはありえないの。というわけでこれは俺が作った」
 ぷいっと顔を背けたアルトゥールは、ハイデマリーの作ったクッキーを手にして厨房を出て行ってしまった。
 その姿をあっけにとられて見送ったハイデマリーは、やがて苦笑を浮かべた。
「もう、片付けもしないで」
 散らばったままの厨房を見てため息をつく。
 それから綺麗に片付けて、小走りでアルトゥールの後を追いかけた。



 城の警邏をしていたジークリードをアルトゥールが呼び寄せ、仕事をサボる上司を探していたベンノも混じってハイデマリーは4人でティータイムを取っていた。
 場所は誰からも文句のでない、アルトゥールの部屋である。
「アルトゥール様、これが終わったら仕事ですからね」
 鳥頭のベンノはソファーに座りため息をつきながら、目の前に用意されたクッキーと、ハイデマリーが入れてくれる紅茶を口に運ぶ。
 くちばしがあるベンノは、通常では紅茶を飲むことができない。
 冷ました紅茶をストローで少しずつ飲んでいく。
 ハイデマリーはその隣に座って、ベンノに寄り添う。
 昼間の時間には、自分もベンノも仕事があるために、傍にいれる時間は少ない。
 今日はアルトゥールがお菓子作りをしたいと言い出したので、いつもの仕事を放り出して付き合った。
 こうしたサプライズなら何度あってもいいのにな、とハイデマリーは紅茶を飲みながら考えた。
 ベンノとハイデマリーの向かい側に座るのは、ジークリードとアルトゥール。
 アルトゥールはなぜかジークリードと少し離れて座っている。
 ジークリードが動くたびに、意識しまくってそわそわしていた。
「ほら、約束どおりに作ったぞ。......ありがたがって食え」
 アルトゥールが偉そうに薦めるのは、ハイデマリーが作ったクッキーだ。
「本当に作ってくれたんですか?ありがとうございます」
 素直に喜んだジークリードは、早速手を付ける。
 1つを口に運んで食べたあと、ジークリードは「美味しいです」と柔らかな微笑みを向けた。
 微笑まれたアルトゥールは、最初は照れたような笑顔を浮かべていたものの、だんだんと表情が暗くなってくる。
「......なんか、嬉しくない」
「は?」
「ベンノ行くぞ」
「え、よろしいので?」
 ベンノも軽く首を捻りながらアルトゥールを見た。
 実際は、自分が作ったものではないものを褒められても、素直に喜べないと気付いたのだろう。
 事情を知っているハイデマリーだけが、意味ありげな笑みを浮かべた。
 アルトゥールはむすっとしたまま席を立ち、部下であるベンノを連れて部屋を去ろうとする。
 慌てて立ち上がったジークリードは、アルトゥールの腕を掴んで引き止めた。
「待ってアル」
「仕事中だジークリード。様をつけて呼べよ」
「すいませんアルトゥール様。......お仕事、頑張ってくださいね」
 そう告げると、ジークリードはそっとアルトゥールの額にキスをした。
 それを見たハイデマリーは『まあ』と口を押さえ、ベンノは殆ど表情のない鳥の頭をゆっくりと巡らす。
 伴侶からのその行為に、一度はきょとんとしたアルトゥール。
 だが、みるみるうちに赤くなる。
「ッばーかばーか!!行くぞベンノ!」
 次の瞬間にはドアを壊すような勢いで、部屋の外に飛び出していった。
 引きずられたベンノが、ドアの縁に頭をぶつけてたのが哀れである。
「ベンノ様大丈夫かしら......」
 しっかり一部始終をを目撃してしまったハイデマリーは、困ったようにため息をついた。
 それからのほほんと紅茶を口に運びながら、ちらりとジークリードに視線を向ける。
「あいかわらずねアルトゥール様」
 ソファーに戻ってきたジークリードは、座り込むと胸の前で手を組んだ。
「ああ。なんか拒まれるんだよなあ」
 参ったとぼやくのは、自分の可愛い弟分ではなく、1人の恋する男だ。
「『初夜』以降は触らせてくれないし、二人きりになると妙な雰囲気になるし。でも、こうして俺のことを喜ばせようとしてくれる。......ハイデマリー」
「なあに?」
「クッキー、あるだろ」
「ふふ。気付いてた?」
 ハイデマリーは、エプロンのポケットから布に包んだクッキーを取り出した。
 それはアルトゥールがトレイをひっくり返した、彼が作ったもの。
 形もいびつで、色も悪い。
「おかしいと思ったんだよな。アル、こういうの不器用だから」
 ハイデマリーが手渡すと、ジークリードはそれらの1つを摘んだ。
「まずい」
 食べて一言呟くが、それきり無言で食べていく。
「お腹壊したら、アルトゥール様に介抱してもらいなさい」
「そうする」
 食べきったジークリードは、次に紅茶を飲みきると立ち上がった。
「俺も戻るけど、ハイデマリーは?」
「ここを片付けてから、私も仕事に戻る」
「じゃ、頼んだ」
 出て行ったジークリードを見送ると、ハイデマリーは残った卓上のクッキーを眺めた。
「ベンノ様、食べてくれなかったなあ」
 アルトゥールの作ったものと誤解されていても、食べてもらいたかったと1つ摘む。
「やっぱ、焼き立てほどおいしくなーい......」
 残りを食べ切ってしまうと、ハイデマリーは食器を片付け、自分も仕事に戻った。


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