花嫁の契約(Ein Kuß)-3
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ハイデマリーの『初夜』は、悪くもあり良いものでもあった。
『花嫁の契約』の相手に、ジークリードという弟分を宛がわれたハイデマリーは、怒って部屋を飛び出した。
ベンノは自室にはおらず、次にアルトゥールの部屋に向かったところ、そこから出てきたのでハイデマリーは魔力で有無を言わさず連れ去った。
本来であれば、上級魔族のベンノが本気で抵抗すれば、自分などあっという間に吹き飛んでしまっていたはずだ。
だが、戸惑いはあれど、ベンノがハイデマリーを傷つけることはなかった。
ハイデマリーがベンノを連れてたどり着いた先は、自分の部屋ではなく、ベンノの部屋。
もしも面と向かって拒絶されたのであれば、そのままいなくなるつもりでハイデマリーは覚悟を決めて、口を開いた。
大事な大事な、私の旦那様。
私が嫌ならば、どうぞそうおっしゃってください。
もう二度と、貴方の前には現れませんから。
ハイデマリーはベンノを押し倒し、その腹に乗って胸倉をつかみながら訴えた。
ぼろぼろと涙を流し、髪や服装を乱しながら、自分の夫は貴方だけだと、それ以外を宛がうのであれば、私は自分の存在を失くしますと、訴えた。
驚いたベンノは、切々と告げる大事な少女を、自分の『花嫁』として抱き寄せた。
「人と違う外見だけど、本当に私でいいのか?」
震える声で尋ねられたことで、ベンノも悩んでいたのだと、その時初めてハイデマリーも気付く。
貴方がいいんですと泣きじゃくったハイデマリーを抱き上げると、ベンノは優しく自分のベッドに下ろした。
そこで初めて、ハイデマリーはベンノに純潔を捧げた。
ベンノは人の身体は持ってはいるが、頭は鳥のため、表情がない。
そのため、声と態度で優しくハイデマリーを気遣った。
痛みを伴う行為とともに契約を完了したのちにも、とても優しく労わったベンノに、ハイデマリーがより一層惚れたのは言うまでもない。
始まりは大変良くない展開だったが、今では笑い話だ、とハイデマリーは思っている。
契約を済ませた2人は、城では同じ部屋が宛がわれる。
仕事を終えて、部屋に戻ったハイデマリーは、寝巻きに着替えてベンノの帰りを待っていた。
「遅いな。ベンノ様」
遅い時には先に寝ろと言われてはいるが、折角の夫婦生活。
夜はその日にあったことを話しながら、一緒に眠りたい。
アルトゥールは既に部屋に戻ったようだから、ベンノもそろそろ戻るはずだと、ハイデマリーはそわそわしながら待っていた。
部屋の明かりは、薄暗くしてある。
「もしかしたら、もしかするかもしれないから......」
1人呟いて、きゃっと頬を押さえる。
最近夜はゆっくり眠れるから、たまには寝不足の夜があってもいいんじゃないかと、そう考えて身悶えた。
もじもじしていると、ドアが開き、閉じる音が聞こえる。
「!」
ハイデマリーは慌てて横になって、布団を被さった。
ベッドに入ってきたら、寝たふりをしていたことを明かすつもりで、ひっそりと笑う。
緩やかな足音は寝室の前をうろうろと通り過ぎ、やがて物音を抑えてドアを上げられた気配がする。
足音は柔らかな絨毯に吸収されて聞こえないが、ハイデマリーは頬にかかった髪をかき上げられたことでベンノが傍に来ていたことがわかった。
早く入ってきてくれないかな。そう考えて優しく自分の頬や首筋を撫でる感触を楽しんでいた。
やがて、その手の動きが止まる。
動きが止まったのに、ベッドに入ってくる気配がない。
不思議に思ったハイデマリーは、うっすらと目を開いた。
見えにくい視界の中で、誰かが自分に顔を寄せようとしている。
もちろん、この部屋に入ってくるのはベンノしかいないはずだが、なにやら雰囲気が違っていた。
「?」
誰かが自分に顔を寄せている。けれど、ベンノではない。
ベンノであれば、まず特徴のある大きなくちばしが見えるはずだ。
途端にハイデマリーは、大きく目を見開いた。
そこにいたのは、見知らぬ人間。
短めの黒髪に目尻や口元にうすく皺のある、40代前半と思しき男性。
整った顔立ちはしているが、無表情な顔でハイデマリーを見下ろしていた。
「き、きゃあああああ!誰あなた!!」
「ぐはッ?!」
驚いたハイデマリーはそこにいた男性を殴り飛ばして、ハイデマリーは寝室を飛び出した。
素足のまま廊下を駆け、すぐそばにあるアルトゥールの部屋のドアを叩く。
「アル様!ジーク!ふ、不審者!!不審者がいるんだけどッ?!」
ドンドンドン。
開かないドアを何度も叩く。
普段であれば、冷静に対処できるハイデマリーも、自分たちの部屋に現れた得体の知れぬ人物に顔を寄せられてパニクっていた。
「うわあん!ベンノ様どこよーッ?!」
わめきながらドアを叩き続ける。
「ハイデマリー?何が......」
ようやく部屋の中からジークリードが顔を出した。
そのジークリードの格好を見て、ハイデマリーは動きを止める。
肌蹴た胸元。手は下半身に伸びて、脱ぎかけていたらしいズボンを戻している。
「......あら」
出そうになっていた涙が引っ込んだ。
「せっかく、今日はいいところまで行ったのに......で?」
額に手を当ててぼやきかけたジークリードだったが、ハイデマリーの様子から緊急性のある話と察したらしく、先を促してきた。
「え、ああうん。うちの部屋に変質者が来て......ベンノ様戻ってこないし、どうしようって、私......」
小さな声で事情を説明すると、「変質者?」とジークリードは眉根を潜めた。
「そっか、まだいるかもしれないし、俺部屋見に行くよ。......アル、俺ちょっと行っ」
振り返って部屋の奥に声を掛けたジークリードは、白いものを投げつけられてひっくり返った。
「え」
驚いたハイデマリーが部屋の中を覗き込むと、枕を顔に受けたジークリードが床に寝転がっていた。
枕が通ってきた軌道を目で辿ると、その先にいるのはシーツに身体を包んだアルトゥール。
その胸元や首筋には、昼間はなかった赤い跡が散らばっている。
アルトゥールはその格好のままずりずりシーツを引きずり、傍に来るとジークリードを踏みつけた。
そしてハイデマリーを見つめる。
「マリー。そいつは、不審者じゃない。ベンノだ」
うそ、とハイデマリーが目を見開いて呟いたのを聞いたアルトゥールは、ふんと鼻を鳴らす。
「何を思ったか知らないが、人化したいと言って書物を調べていた」
「え、でも、なんで?」
「知らんと言っただろう。この城のセキュリティーは万全だ。不審者の侵入などあるはずがない。ほら帰れ」
ぐいっと背中を押された。
自分よりも背の小さいアルトゥールを見下ろして、ハイデマリーは戸惑う。
「マリーに、こいつはやんないから」
小さくそっけない言葉だったが、そこに滲む嫉妬に気付いて、ハイデマリーは笑った。
ようやく素直になったのかと、なんだか微笑ましくなる。
「早く戻ってやれ。あいついじけると長いぞ」
そう告げると、パタンとドアが閉じられる。
ベンノと付き合いの長い、アルトゥールからの助言を受けたハイデマリーは、むっとして頬を膨らませた。
「なによ。そんなの言われなくても知ってるもん」
妻なんだから。とアルトゥールに嫉妬しながら、ハイデマリーは部屋に戻った。
「......」
音を立てさせぬように、ひっそりとドアを開けて中を覗く。
......いた。
ベッドに腰をかけて、頭を抱えている。
その頭部は、見慣れた鳥の頭。
大きな身体を、小さく丸めて存在を小さくしようとしているように見えた。
その姿を見たハイデマリーは、慌てて近づいて目の前に膝をつく。
それからそっと、ベンノの手に自分の手を重ねた。
「ベンノ様、ごめんなさい。私......」
言いかけたハイデマリーの口に、手がそっと当てられる。
頭を上げたベンノは、緩く首を振った。
「君は謝らなくていい。私が、驚かせた」
沈んだ声に、ハイデマリーは胸が苦しくなって、そっとベンノの頭を抱きこむように手を伸ばす。
胸下に硬いくちばしが当たるのを感じながら、そっと頭を撫でた。
「急にどうなさったんですか。まだ、異種族の結婚を後悔されてるんですか?私は、全然気にしてません。ベンノ様のお顔だって大好きで」
「......違うんだ。私の可愛いハイデマリー」
結婚することで、見た目を気にしたベンノだから、今でもそれを気にしているのかと思ったハイデマリーは、否定されて首を傾げた。
「笑わないで、聞いてくれるか」
「はい。ベンノ様」
頷くとベンノは、ハイデマリーの胸から顔を上げた。
鳥の丸い瞳が、ハイデマリーを見つめる。
「キスが、したかったんだ」
「え?」
ベンノの口から漏れた、可愛らしい理由に、ハイデマリーは目を丸くした。
そんなハイデマリーに言いにくそうに、ベンノは続ける。
「ジークリードが、アルトゥール様がし合うように、その......」
「私とキス......?」
「くちばしでは、君が痛いだろう。それに」
口を重ねたいんだ、と小さく告げられた。
途端に、ハイデマリーは顔を赤くさせる。
身体を重ねることは何度かあったが、口付けをもらったことはない。
「でも、君が嫌なら」
「あ、全然!全然嫌じゃないです!でもベンノ様、そういうことはちゃんと言ってくださいよ。私、本当に驚いたんですから」
力いっぱい否定したハイデマリーは、拗ねたような表情になってベンノに訴える。
ベンノは、困ったというように頭を掻いた。
「術式が上手くいったものだから、つい......。魔力を持たないものを人化させるのは得意なんだが、自分を変化させるのは、魔族はあまり上手くないんだよ」
「へえ......魔族にも得て不得手があるのですね」
感心したように呟いたハイデマリーは、ベンノの隣に座って腕に抱きついた。
それからベンノを見上げる。
「次は逃げませんから。キスしてください」
「え?」
ハイデマリーが目を閉じて顔を上げると、ベンノからは戸惑ったような気配が感じられた。
それでもハイデマリーは目を開けずに待つ。
しばらくたって、小さなさえずりのような呪文を読み上げる声が聞こえた。
すると。
頬に手を添えられ、ゆっくりと柔らかい感触がハイデマリーの唇に押し当てられる。
一度強く押し当てられて、その後は軽く何度も。
ゆっくりと瞳を開くと、皺のある目元が見える。
ベンノは緊張した空気を纏いながら、ハイデマリーをゆっくりベッドに押し倒した。
改めて見るベンノの人の顔は、無表情で少し怖い。
でもかっこいいおじさまだわ。私の旦那様かっこいい、とうっとりと見惚れた。
その後額や頬に優しい口付けをもらうが、ベンノの表情は変わらないままだ。
「ベンノ様、笑ってください」
少し怖いですよ、とそれをハイデマリーが指摘すると、ベンノは首を横に振った。
「表情筋の動かし方が、わからない」
「ああ......」
そうですよね鳥は笑わないですもんね、と納得したハイデマリーは、ベンノの頬を優しく撫でた。
「じゃあ、それはこれから勉強していきましょ。ベンノ様」
「そうだな」
「じゃあ、今は今まで分、たくさんたくさんキスしてください」
照れたように微笑んだハイデマリーに、ベンノの動きが止まる。
手は優しく髪を梳き、ゆっくりと身をかがめた。
「......愛しているよ、私の花嫁」
可愛いリクエストを受けたベンノは、自分の伴侶に優しい口付けを繰り返した。
後日。
アルトゥールの身体にある鬱血は、唇で付けられることを知ったベンノが、付け方をよりにもよって付けられた本人に尋ねたことで、ひと悶着があったのはまた別の話。