そのいち-1

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 ホームルームが終わり、クラスメイトが雑談をしながら帰路に着く。
 春樹も時間を気にしながらカバンを持ち、教室を出ようとしたときだった。
「辻本」
 呼び止められて、春樹は足を止める。
「......先生」
 振り返れば、困ったような表情で担任がそこに立っていた。
 自分より身長の低い担任の、うっすらと薄くなった頭部を無言で見下ろす。
「ちょっと、いいか」
「はい」
 そのままこの場所で話をするのかと思っていた春樹は、背を向けて歩き出した担任を見て、少し顔をしかめる。
 今日はアルバイトが入っている。すぐに済めば間に合うが、急がなければならない。
 何の用件なんだろうと春樹は時計で時間を気にしながら、担任の後に続いた。
 たどり着いたのは職員室だった。
「あー......辻本、お前のアルバイトのことなんだが」
 自分の席についた担任は、ため息をつきながら春樹を見上げる。
「はい」
 担任の改めての言葉に、春樹は不思議そうに首を傾げた。
「一部の親御さんの間から......そのな。アルバイトをしている生徒がいると連絡があったんだ」
「俺のことですか?でも、学校に申請出してますし」
 告げられた内容に、春樹は眉を寄せる。
 高校は原則アルバイト禁止ではあったが、事情がある人間には、申請を出すとその理由如何によって許可が下りる。
 春樹も高校に申請を出して、バイトをしていた。
「一部の生徒に学校が特権を与えるのかと。......まあクレームがあったもんでな」
 担任はそう言って、バツが悪そうに眉尻を下げて頭を掻く。
 ぼやかしてはっきりとは言わないが、わざわざ呼び出したことといい、要はアルバイトを辞めろと言いたいのだろう。
 一度は何か言いたげに口を開いた春樹だったが、やがて諦めたように息を吐いた。
「......、わかりました。バイト、辞めます」
「そうか」
 ホッとしたような表情を浮かべる担任に、春樹は複雑そうに視線を下げる。
 それに気付いた担任は、立ち上がったポンと春樹の肩を叩いた。
「出来るだけ先生も協力するから。な?」
「はい。......バイト先にも、事情説明しないといけないんで、すぐには辞められないんですが」
「ああ。それはしょうがない。なんなら事情は先生が説明するから」
「いえ。大丈夫です。......それじゃあ失礼します」
 緩く首を横に振った春樹は、軽く一礼をして職員室を後にする。
 しばらく歩いた後、足を止めた。
 小遣い稼ぎとは違って、春樹のバイトは生活に直結している。
 辞めろと言われると、少し生活を見直さなければならない。それを考えて春樹は憂鬱になった。
「はーるき」
 明るく名前を呼ばれて、春樹ははっとして視線を上げる。
 幼馴染の男と目が合って、春樹は表情を強張らせた。
「村瀬」
 声は震えはしなかっただろうか。
 近づいてくる男を見つめ返しながら、春樹は僅かに深く息を吐いた。
 第一ボタンを外して緩められたネクタイと、腰履きにしたスラックス。
 明るい茶色の緩いウェーブをかけた髪。後は肩につく程度で、前髪はサイドに流している。
 瞳は黒く、日焼けがしにくいらしい肌は白い。垂れ目気味だが、見た目もよく明るいので男とも女とも友人の多い。
 村瀬博也は春樹の間近に寄ると、ずいっと顔を近づけた。
 驚いた春樹は、僅かに身を引く。
 周囲を歩いていた人間が、ちらちら2人を見ながら通り過ぎた。
 博也が今時の高校生という外見を持つのに対し、春樹はきっちりと着込んだ制服と精悍な顔立ちで一目を引く。
 肌が浅黒く、彫りの深い目鼻立ち。等身の高いバランスの良い体躯。
 ストレートの黒髪は黒光りするような漆黒で、瞳の色も同様だった。
 そんな2人が廊下で会話をしていると、自然と人の視線を集める。
 春樹は居心地悪く感じながら、博也から視線を外した。
「なんか元気ねえじゃん。どしたの?」
「別、に......」
 にこやかに問われたが、春樹は博也に尻つぼみに答えるだけに留める。
 すると、下から覗き込まれた。
「ふーん?」
 形の良い瞳に見つめられた春樹は、ぐっと奥歯を噛み締める。
 春樹よりも若干身長の低い博也に下から覗き込まれると、まるで睨みつけられているような感覚があって身が竦んでしまう。
 無口で、あまり協調性のない自分。
 博也は唯一の友人として周囲に認識されているようだが、春樹自身は博也を友人と思ったことは、一度もなかった。
 どちらかといえば、苦手な部類に入る。
「俺、もう行かないと」
 じりじり下がりながら、春樹が呟く。
 すると博也はきょとんとした表情で軽く首を傾げた。
「お前なんか用事あったの?」
 気兼ねないような言葉に思えるが、そんなことを言われるほど博也とは親しくない。
「ちょっと......」
 春樹がバイトがあることは言えずに言葉を濁すと、博也はわざとらしく考え込む仕草をした。
 それからゆっくりと唇を歪める。
 他の人間には、笑っているように見えるだろう。
 だが、春樹にはそれが猛獣が舌なめずりしているようにしか見えなかった。
「あっれー?お前バイト辞めたんだろ?なら暇じゃん」
 朗らかに笑いながら告げられる。
 春樹はとうとう沈黙し、そっと博也の視線から逃れるように目を伏せた。
 なぜこいつが知っている。と疑問がわきあがる。
「残念だったよなーうるせえヤツに見つかったみたいで」
 同情するような、口ぶり。
 だが、春樹が受け取るのは違う印象だ。
 もしかして、村瀬が気付いてクレームをつけさせたのか。
 でなければ教えてもいなかったバイトを辞めるということも、村瀬は知らないはずだ。
 ちらりと視線を向けると、鋭い眼光にぶつかる。
 苛立ちと怒りが湧き上がったが、瞬時にその眼差しの強さに消された。
「なあカラオケ行こうぜーカラオケ」
 博也は春樹に親しげに肩を組んで、誘ってくる。
「俺はいい」
 頭を振って離れようとするが、しっかり肩を組まれて動けない。
 無理に引き剥がそうとすれば離れるだろうが、春樹にはそれが出来なかった。
「いいじゃんたまには。行こうぜ春樹」
 春樹に寄りかかり、近いぐらいの位置で博也は更に誘う。
 自分の耳に息が掛かって、春樹はそのくすぐったさに眉根を寄せた。
 昇降口に向かうように歩き出されて、肩を組まれた春樹も足を進める。
 博也はもう行くことを決めているらしく、歩みは淀みない。
 行きたくない春樹は、更に口を開いた。
「金、ないし......」
「女が辻本くんとカラオケ行きたいって。そいつらに出させりゃいいじゃん」
「俺は、行きたくない」
 きっぱりと告げると、ぐっと髪を掴まれた。
 肩を組まれた、人から見えない影の部分。
 隣を他の生徒が追い越していくが、誰も春樹がされていることには気付かない。
 痛い、という言葉を飲み込んで、春樹は博也に視線を向けた。
 にこやかに微笑まれていることが、逆に怖くて仕方がない。
「俺と行くだろ」
「けど......今日、バイトがあって......」
 まだ辞めていないバイトのことを持ち出そうとすると、目を細められた。
 その眼差しに、ぞくりとした寒気を感じて春樹は口を噤む。
「どうせ辞めるんだから、サボれよ。なあ春樹」
「ッ」
 耳元で、甘い声と女に評されるような声色で囁かれる。
 髪を引く手も、それに応じて強くなった。
「わ、かった」
 掠れた声で答えると、ぐしゃぐしゃと春樹の髪を乱して博也が離れる。
「やっりぃ!春樹歌うまいからさー自慢なんだ俺!」
 するっとさりげない仕草で持っていたカバンを奪われ、前を歩かれる。
 おそらくは自分が逃げ出さないための保険なのだろう。
 博也が考えていることを察して、春樹は肩を落とす。
「春樹、並べ」
 半歩ほど後を歩く春樹に、博也が低い声を出した。
 他の人には聞かれぬ程度の声色。それにぴくんと反応した春樹は足を踏み出す。
 そうして春樹は半ば強制的に、博也に学校から連れ出された。


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