そのいち-5
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人通りの少ない。けれど外。
もうそれなりに遅い時間。だけど、時折どこからともなく喧騒が聞こえる。
こんなところで、俺は何をやっている。
春樹は真っ白になりながら、動きを止めて博也を見つめた。
博也は春樹の驚いた表情を見ると、『してやったり』というように楽しそうに口の端を上げる。
「ひゃひひて......」
「おあえ、なはいひ」
舌を噛まれる春樹、の舌を噛む博也。
互いとも制限があるために、何を言っているかわからない。
春樹は眉をしかめながら身を引いた。
が、舌先に痛みが走るだけで、博也に離すつもりはない。
何がしたいんだ。
春樹はすっかり戸惑っていた。
博也はそんな春樹を楽しそうに、目を細めて眺めたりしている。
時折、がじがじと舌を強弱をつけて噛んでくるものだから、堪らない。
「ひゃめ」
鼻の上に皺を寄せ、春樹は博也の肩を強く掴んだ。
春樹の抵抗に、博也は嫌そうな素振りをする。
カツ、と背後に小さな足音が聞こえた。その足音は、だんだんと近づいてくる。
それはそうだろう。ここは人気がないといっても、往来があってもおかしくはない道路だ。
人が通るのも当たり前。
春樹は焦った。
こんな場所を人に見られたら、誤解されかねない。
それは博也も同じはず。
もう離してくれ。そう意思を込めて、手の力を緩めて懇願の眼差しを向けた。
下手に出る春樹にゆっくりと、博也は瞬きをしてみせる。
足音は博也にも聞こえているはずなのに、それなのに、舌に噛み付いたまま。
「ひゃらへ」
離せ、この馬鹿、足音聞こえてないのか。と春樹は掴んだ博也の肩に爪を立てる。
痛いだろうに、博也は春樹の動揺を与えることを優先しているのか、やっぱり離そうとしなかった。
きらきらと楽しげに光る瞳。
春樹たちの存在に気づかないのか、一定速度で近づいてくる足音。
焦って更に引こうとすると、痛む舌。
それを見て更に楽しそうな表情になる博也。
どうして俺ばっかりこんな目に合わなければならない。
もういやだ。こいつとは絶交してやる。
そう思った瞬間、春樹は思ってもいなかった行動を取っていた。
「?!」
逃しかけていた身体を、逆に前に近づける。
すると、博也が驚いたように目を見開いた。
今度は博也が身体を引くが、博也の背後にはビルの壁がある。
こつと後頭部をぶつけたところを見たところで、春樹は更に身体を近づけた。
「はる、」
歯で舌を噛むのをやめ、呼びかけようとした博也のその唇に、春樹は親指を差し入れる。
そして、片手は博也の後頭部に回し、開かせたままの唇に自分の口を重ねた。
冷えた舌を、閉じぬように差し入れた指の隙間から差し入れる。
博也の口の中は、熱かった。口内を探るように舌を動かす。
びくっと博也の身体が跳ねた。
それと同時に、髪を鷲づかみにされる。
ぎりぎりと噛まれた指と、引っつかまれた髪が痛い。
足を何度も踏みつけられて、そこも痛い。
......痛いけど、ちょっと楽しい。
「きゃ」
自分の背後で短い悲鳴が上がった。
とうとう通行者に見つかったらしい。
地味な色合いの制服を着て、壁際でじっとしていたら気づかれにくいだろう。
声の主は女性のようだった。春樹と博也の姿を認めたのか、早足で立ち去っていく。
その足音を聞きながら、春樹は自分の頬が緩むのを感じた。
焦る博也の様子を見るのは、楽しい。
「ッ、んぐ......ッ」
暴れる博也を押さえ込む。
無理やり舌を絡めて引っ張り出すと、がじ、とその舌先を噛んでやった。
途端に、側頭部に衝撃が走る。
どさっと地面にひっくり返ったところで、春樹は博也に殴られたことに気づいた。
それほど痛みはなかったが、衝撃ではっと正気を取り戻す。
「な、......お、れ......」
噛まれていたせいで痺れた感覚のある舌が縺れて、上手く話せない。
ぼんやりと地面に座り込んだまま、春樹は博也を見上げる。
と、博也は博也で大変なことになっていた。
壁にへばりついた状態で、乱れた息のまま呆然と春樹を見下ろしている。
何があろうと余裕がある博也の態度に、春樹は少し驚いた。
「むらせ?」
立ち上がると春樹は博也の前で手を振る。
それでも反応がないので、軽く頬を叩いた。
ぎぎぎ、とゆっくりとした動きで博也が春樹を見上げる。
「だいじょぶ?」
舌ったらずに尋ねると、「うわああああ!」と博也は悲鳴を上げた。
「さわんなホモ!変態!春樹のボケ!」
「ぅわ!」
ぶんっと思い切り拳が振るわれる。
寸でのところで避けることが出来たが、文句を言おうと視線を上げると博也は既にかなり遠くに離れていた。
「春樹のばーか!ぜってえ泣かしてやるからなッ!!!死ね変態!」
真っ赤な顔で、そんなことを怒鳴って走り去ってしまった。
「.........」
呆然と見送ってから、春樹は地面に落ちていたカバンを拾う。
「かみついてきらの、そっちじゃらいか......」
ぴりっと痛む舌に顔をしかめてぼやくと、春樹は博也のカバンも拾う。
携帯あるなあ、これどうするかなあとカバンを持って考える。
だが、なんだか何でも良くなってきた。
帰ろうと歩き出す。
幼馴染なだけあって、互いの家は知っている。
玄関先にでも置いておけばいいと考えた春樹は、どこか麻痺した頭で、絡ませた舌の感触を思い出していた。