そのはち-2

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 腹を立てて歩く博也とその博也に引っ張られて歩く春樹。
「くそッ!マジでムカつく!!なんだよあのアマ!!」
 すれ違う人々が、博也の剣幕に避けたりおびえたような視線を向けている。
 それに気づいた春樹は、がむしゃらに歩く博也の手を逆に掴んだ。
「!」
 博也が視線を腕に向けるのと同時に強く引く。
「落ち着いてくれ博也」
「うるせぇよ!春樹のくせに俺に指図すんな!!」
 振り払おうとする博也に対し、春樹はぐっと強く握りしめて離さない。
「こっち」
「ッ離せよボケッ」
 力一杯暴れる博也を引きずるように、春樹は人気のないところを探して歩いた。
 そうしてたどり着いたのは建物の端にあった非常階段。
 鉄のドアを開けてそこに博也を連れ込むと、逆に反動をつけて踊り場に突き飛ばされた。
 振り返った瞬間に、博也に肘と腕で壁に押しつけられる。
「くる......し、博也」
「てめえいい度胸してんじゃねえか。あ?」
 春樹が呻いても、不機嫌な博也は力を弱めてくれる様子はない。
 ぎろりと睨みつける眼差しは怒りが溢れていた。
「なんであんなブス侍らせてたんだよ。馬鹿じゃねえのかお前」
 女の子が春樹の周囲にいたことが気に食わなかったらしい博也は舌打ちをして苛立ちを露わにする。
「あーくっそ、マジ最低。消えちまえばいいのにあんな奴ら」
「博也、それは言い過ぎ......っ」
 春樹は思わず口を挟むと、さらに強く首を絞められた。苦しくて顔を歪めると博也は笑うように唇を歪める。
「なんだよ、お前あんなヤリマンが好みか?悪趣味だろ」
「博也」
「どーせチンポくわえ過ぎてガバガバだって」
「......やめてくれ」
「性病だってかかってるかもしんねえし、ブスだからああやってナンパしかできねえんだよ」
 苛立ちに任せて暴言を吐く博也に、春樹は強く奥歯を噛みしめた。
 博也の口から、そんな言葉を聞きたくない。
 毒を吐けば吐くほど、博也が濁っていくような気がした。
 ......さっきまで、すごく綺麗だったのに。
 悲しい気持ちで春樹は博也を見つめる。だが、博也はそんな春樹の気持ちには気づかない。
「身の程知らずのあんなブス、お前が庇う必要ねえよ。つか生きてる価値ない」
 聞きたくない。
 春樹の身体は、その気持ちに答えるように動いていた。
 博也の腕を退けて、手のひらでその口を塞ぐ。だがそれはすぐに振り払われた。
 春樹の行動に、博也の苛立ちがさらに増す。
「っなにすんだよ!」
「もう、酷いことを言わないでほしい」
「は......、あんな短時間で誑かされてんじゃねえよ!馬鹿じゃねえのかてめえ!」
 少女たちを庇うような春樹の言葉に、博也の目はつり上がりますます激しく罵る。
 春樹がいくら手で塞ごうとしても、抵抗にあって遮ることができない。
「あんなブスども、さっさと死んじまえばい、」
 とうとうそこまで口にした博也に、春樹はたまらず自らの口で毒をまき散らす唇の動きを封じた。
「ふ、っぐ......ぅっ」
 強制的に自分の行動を遮ろうとする春樹に、博也の怒りは頂点に達してしまう。
 拳で腕を叩いたり、爪を立てて暴れた。しかし、これ以上博也から暴言を聞きたくない春樹も一歩も引かない。
 さっき博也がしたように、春樹も博也の身体を壁まで追い詰めた。暴力を振るう腕は、手で掴んで壁に強く押しつける。
「ッ」
 押さえ込んでくる春樹に動揺した博也は、とっさに重ねられた唇に噛みついた。
 口の中に広がる血の味と、ずきずきと響く痛み。それらに春樹は顔をしかめる。
 痛さにじんわりと目が潤んでしまう。けれど、春樹は口づけを止めようとしなかった。
 痛みよりも、博也から酷い暴言を聞くのが辛い。そんな思いで、春樹は博也の口を塞ぎ続けた。
 長いようで短い時間。
 春樹の唇に噛みついていた博也は、ゆっくりと歯を離す。暴れていた腕もいつの間にか力は抜けていた。
 けれど、春樹はすぐに拘束を緩めることができなかった。
 怯えた眼差しで見つめる春樹に、博也は怒りの消えた瞳でゆっくりと瞬きをしてみせる。
 落ち着いた博也の様子に、春樹はそっと腕から手を離した。それに合わせて身体を起こす春樹に、博也が口を開く。
「はる」
 呼びかけは、春樹が手のひらで遮った。
 泣きそうな眼差しを向ける春樹に、博也はわずかに目を見開く。
「女はどうでもいい。だけど、博也が醜いことを言うのを聞きたくない」
 静かに淡々と告げる声に、春樹の強い思いが篭もっていた。
「俺が悪かった。また知り合いかと思ったんだ。......もう絶対しないから。博也にあんなこと言わせるぐらいなら、俺、一生女とは話しない」
 言い切った春樹は、身動きをした博也にびくっと身を竦ませる。博也が手を上げるのを見た春樹はきつく目を閉じた。
 博也の行動を邪魔して、さらに意見したのだ。どれだけひどい扱いをされることかと心臓がうるさく跳ねている。
 それでも手は未だに博也の口を封じたままだった。
 気配だけでも博也が動くのがわかる。衝撃に今か今かと備えていると、噛まれた唇がゆっくりとなでられた。
 うすく目を開くと、優しげに目を細めている博也と視線が合う。春樹の手を退けようとはせずに、ただゆっくりと傷に触れる。
 ずきずきとした痛みが、それで和らいだ気がした。
 こわごわと春樹は博也の口元から手を離す。すると博也はふっと笑って春樹の背後に視線を流した。
「後ろ、何人か通り過ぎってったけど」
「えっ?!」
 驚いてばっと振り返るが、今はそこに人影はない。人気がないとはいえ、使う人もいるのだ。
 遅ればせながらそれに気づいて、春樹はさっと顔を青ざめさせた。
「ずいぶん大胆だと思ってたけど、気づいてなかったのかよ」
「......言ってくれれば、よかったのに」
 つい恨みがましく口にしてしまう春樹に、博也は肩をすくめた。
「口を塞がれてんのに、どうやって?」
「......」
 そう言われるとどうしようもない。落ち込む春樹に、博也は軽く肩を叩いた。
「気にすんなよ。ガン見されたわけじゃねえし」
 みんなそそくさと通り過ぎたぜと笑う博也との感覚の違いに、春樹はそっと息を吐いた。
 息がかかると噛まれた下唇が痛い。
 ぺろりと唇を舐めていると、博也が春樹の頬に手を添えた。
 ゆっくりと唇を重ねてくる。
 ごく自然な動き過ぎて、春樹は場所を考えて断ることも忘れていた。
「博也ッ」
 キスを終えて離れる博也に、春樹は今更ながらに口を押さえて後ずさる。
 周囲に視線を走らせる春樹を見て、博也は少しだけ笑みを浮かべながら視線を床に落とした。
「......世の中に、俺とお前だけしかいなかったらいいのに」
 切ない余韻を含ませた声色に乗せた、小さな呟き。
 春樹はそれに軽く首を傾げた。
「俺は嫌だ。博也のことを相談する相手がいないのは困る」
 少しズレた春樹の言葉に、博也はぷっと吹き出した。
「なに相談することあるんだよ。言いたいことあるなら俺に言えよ」
 言いたいことならたくさんあるが、ほとんど聞いてもらったことはない。だが。
「悪口はもう言わないでくれ。頼むから」
 これだけは譲れない。
「どうするかなあ」
 春樹の切実な願いに、博也は勿体ぶったように笑った。そして春樹の下唇を指で挟む。
 春樹はその指に唇を押しつけると、博也は目元をほんのりと赤く染めた。
「そんなにイヤなら、ずっと俺の口塞いでろよ」
「なるほど」
 照れ隠しの軽口に素直に納得する春樹だったが、すぐにまた表情を曇らせる。
「博也の声も好きなのに聞けなくなるのは嫌だ」
「ッ」
 春樹の何気ない一言に、息を飲んだ博也の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「......ああもう!」
 どうしたのかと見守っていると博也は突然大声を出した。
 油断していた春樹はびくっと反応して固まってしまう。
「早く、二人きりになりてえ......」
 余裕のない声。情欲を滲ませた眼差しを向けられて春樹は戸惑う。
「夜は寝させねえから、覚悟してろよ」
 ぴっと人差し指を伸ばして宣言した博也は、さっさと背を向けて歩きだした。


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