インナモラートの微熱04

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「長谷川って、どっか一歩引いてるんだよな」
「そうか?」
 自分ではよくわからないが、まあ清水がそういうならそうなのだろう。
 渉は、清水といい平祐といい、頭がいい人間の言うことは間違いないと思っている部分がある。
「クラスで誘われても、カラオケとかゲーセンとか殆ど一緒に行かないだろ?」
「......」
 平日の遊びに誘われても渉は行かない。
 ......行けない。
 迷惑がかかることがわかっていると、どうしても誘いを断ってしまう。
「それがちょっと周囲から浮いてるんだよ、長谷川」
 そのぐらいはわかってる。
 でも、やっぱり変なプライドが、大して親しくもない他人に自分の弱みを見せることになるのを怖がっている。
 渉が何も答えないうちに玄関に着いた。靴を履き変えてさっさと外に出る。
 外は正門までは学校の教室や校庭の照明で明るいが、その先は住宅地の中ということもあって、ところどころにある街灯しか見えない。
 渉の目には、それが暗闇に浮かんだ光の点にしか見えなかった。
「長谷川」
 追いかけてきた清水に腕を掴まれる。
「構うなよ清水。ちゃんと実行委員の仕事もするって」
「そういうことじゃなくて......」
「渉」
 なんだか少し不穏な空気になってきたところで、低い声で呼び止められた。
 目を凝らしてみれば、そこには平祐が立っている。
 一度帰ったのか、制服ではなく革のジャケットにジーンズといういでたちだった。
「わりい平祐。......じゃあな委員長」
 あ、しまった。また役職で呼んじまった。
 渉はバツの悪い顔になるが、掴まれた手を振り払って足を進めても清水が動かないことをいいことに、そのまま進んで向かい合った平祐の肩を軽く叩く。
「行こうぜ」
「......ああ」
 正門を出るとすぐに平祐のバイクが目に入った。
 ハーフメットを手渡され、被りながらバイクの後部に跨る。
 平祐が乗っているバイクに乗せてもらうことは珍しくない。
 バックレストもタンデムグリップも平祐が渉のためにつけたものだ。
 お前も金を出せと財布からなけなしの小遣いを奪われたのも約一年前のこと。
 バイクに跨った平祐がエンジンをかけた。
 今ではすっかり手に馴染んだグリップを握って、渉はスピードに身を任せる。
 目の中を時折ちらつく光。
 いくら目を見開いても、渉の目にはろくに風景が入ってこない。
 それでもバイクの体重移動は慣れたもので、左右に曲がるたびに傾く車体に逆らわずに身体を傾ける。
 しばらく走るとバイクが停止した。
 エンジンが切られると急に周囲がしんと鳴る。
「着いたぞ」
「うん」
 バイクから降りてメットを脱ぐとそれをあっさりと平祐に奪われる。
 軽く手を上げると手首を掴まれ、引っ張られた。
 手の平に当たった体温を掴む。平祐の肩だ。
 歩く親友の肩を掴んだまま足を進め、「段差」との言葉につま先に意識を集中させる。
 渉の家は、集合住宅地にある十五階建ての団地だ。
 渉は十階、平祐は同じ団地の八階に住んでおり、小学生の頃からの付き合いである。
 建物に入ると煌々と明かりで廊下やエレベーターが照らされており、渉は知らず知らずのうちに入っていた力を抜いた。
「飯食ってく?」
「や、まだ練習あるからジムに戻る」
 その言葉で、平祐がボクシングジムから抜けて来たことを知り、渉は息を吐く。
 また、迷惑をかけた。
「それならそれで言えよ。......今日はジムないのかと思った」
「ばーか。言ったってどうしようもねえだろ。お前夜は歩けねえんだから」
 平祐の言葉は、嫌味でもなんでもなく事実だ。
 明るい場所ではコンタクトだけで十分なのだが、夜や暗い場所に入ると極端に視力が落ちて、歩行すらままならない。
 普通の人でも明るい場所から暗い場所に移動すると多少見えにくいが、渉はその差が顕著で暗闇に目が慣れるということもなかった。

 夜は闇でしかない。

 先天性の夜盲症である渉は、星の光も生では見たことがなかった。
 子供の頃に月が見れたのが最後だ。
 徐々に視力が下がりつつある今では満月の時でも探す気が起こらない。
「だったらタクシーでも呼ぶし」
「金もったいねえよ」
 一刀両断だった。
 俯きかける渉の頭に手を置くと、平祐はぐしゃぐしゃと髪を掻きまわす。
「夜食はもらいに行く」
「わかった」
 渉の両親も平祐の両親も共働きで、小さい頃からよく互いの家で夕食を取っている。
 昔は作り置きされていることが多かったが、今では渉がもっぱら料理を作っていた。
 ろくに外に出かけられない渉の暇つぶしを兼ねた趣味だ。
「じゃ」
 渉がエレベーターに乗り込むと、平祐は踵を返して外の暗闇に消えていった。
 耳を澄ますとバイクのエンジン音が聞こえ、徐々に遠ざかる。
 家に戻った渉は真っ先に冷蔵庫の中を覗き、両親と平祐の家族分の料理を作り始める。
 何かと迷惑を掛けている分の恩返しと言っているので、遠慮なく食べてもらえているのがありがたい。
「あ、そういや俺......」
 ぐつぐつとビーフシチューを煮込んでいて今更気づいた。

 ファーストキスだった。

 しかし、あんな一瞬の接触をカウントしていいものか。
 しかも相手は彼女持ちの男だ。
 本当に瞬間的に、ちょっとだけだった。
 これが深いものなら渉も激しく拒絶したところだが、薄すぎる接触はもう感触さえ思い出せないほどだった。
 役職呼びを止めないとキスをするというのも、クラスメイトを気にかける男の軽口だろう。
 ちょっと強引なところは真面目な外見にはそぐわない気がしたが、あんなことまでして物事を円滑に進めようとする根性は素晴らしい。
「やっぱ委員長って真面目ー」
 おたまでシチューをかき回し味見をしていた渉の中で、清水とのキスはすぐに薄れていった。


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