当番制-1

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 その日は、既に朝食が用意されていた。
 目の前に並ぶのは、湯気を上げる白米に、味噌汁。
 タラの塩焼きに肉じゃがだ。
 肉じゃがは昨日の残りだが、塩焼きは今朝焼いたものだろう。
 その家の主である英輔は、朝食らしい朝食が並ぶ食卓を見て、動きを止めた。
 1人暮らしを始めてから早5年。自宅ではなかなか見ることの出来ない風景である。
 いったい誰が、と思考を巡らせていると、キッチンスペースから小柄な人影が出てきた。
「おはよう、英輔にいちゃん」
 そう言って控えめな笑顔を向けてきたのは、弟の勇樹だ。
 中学の学生服を着込み、その制服を汚さないためにか、薄い水色のシンプルなエプロンを着ている。
 成長途中のまだ幼い外見と、ぶかぶかな制服。柔らかい茶色の髪、同じく色素の薄い瞳。
 睫が長く、手足もほっそりしていて小さい頃はよく女の子に間違われていた。
 そんな弟に微笑まれた英輔は、ワンテンポ遅れて声を出した。
「......おはよう」
 そうだ。両親が海外に長期出張するために、弟たちが自分の家に住むことになったのだと、英輔は思い出した。
 年の離れた弟の勇樹は、今年から英輔の住むマンションの近くにある高校に通い始めた。
 同じく一緒に暮らすことになった勇樹の双子の兄である、次男の鉄馬も同様の高校に通っている。
 しっかり者の三男とは違って、ずぼらな次男は未だに惰眠を貪っているんだろう。
 5年ぶりの兄弟水入らずの生活が、始まったことを実感した英輔は少しだけ躊躇し、それからぎこちなく笑みを浮かべた。
「勇樹が作ったのか?」
「うん。父さんも母さんも仕事で忙しかったし、鉄にいちゃんは料理下手だしさ」
 僕がうまくなるしかなかったの、とはにかむ弟は、身内の贔屓目を覗いてもどこか愛らしい。
 椅子に座りながら、英輔は隣に立った弟の頭を撫でた。
「じゃあ、いただきます」
 英輔は手を合わせてから食べ始める。
 そのあたりは、きちっとした兄らしいと勇樹は密かに笑った。
 勇樹の兄の英輔は、27歳のサラリーマンだ。
 少しウェーブのかかった黒い髪に、整った顔立ち。
 どこか冷たく見えるのは、鋭い眼光とそれを覆う銀のふちのついたメガネがあるからかもしれない。
 表情も乏しいが、その手は優しく撫でてくれることを勇樹は知っている。
 英輔は大学を卒業して就職したと同時に、家を出て行ってしまった。
 今回の両親の出張に伴って、実家に戻る話もあったが、既に生活基盤が出来ている兄を戻すより、それぞれ進学の節目があった弟たちが兄の家に行くことになった。
 親しかった友人と別れ、両親がいないことは寂しいが、兄と暮らせる幸せを勇樹は噛み締める。
「僕、鉄にい起こしてくるね」
 ついつい、にやけそうになってしまう顔を引き締めて、勇樹はそう声をかけた。
「ああ」
 英輔は、つけていたエプロンを外し、リビングを小走りに出て行く勇樹を見送る。
 それから食卓を見た。弟たちを待ちたい気持ちはあるが、あまりゆっくりしていると、英輔自身が仕事に遅れてしまう。
 一人でいた頃は殆どなかった暖かい朝食に、無意識に箸が進んだ。
 暫く一人で食べていると、二階からあわただしい音が聞こえてくる。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ!今日俺日直なのに!」
「そんなの、先に言っておいてよ鉄にい」
 どたどたと足音を立てて下りてきた鉄馬は、まっすぐ洗面所に向かった。
 その背中を見送った英輔は、ゆっくりと降りてきた勇樹と目が合う。
 勇樹は肩をすくませて笑ったが、英輔は軽く頷いてみせたのみだ。
 しばらくぶりの弟たちとの生活に、まだ慣れない。
 まだ勇樹に見られている気配を感じるが、英輔は意識してそちらを見ようとはしないで、食事を口に運んでいた。
 そうこうしている間に、洗顔を終えた鉄馬がリビングに入ってくる。
「お、今日はまた朝から豪勢だな」
 口笛を吹きそうな勢いで呟いて席に座る。
 次男の鉄馬は、ワックスでまとめた明るい茶髪と黒い瞳で、少し着崩した制服を身に付けていた。
 兄弟一、性格が明るくわかりやすい。怒られてもめげることは殆どない。
 茶碗に盛られたご飯を勇樹から受け取ると、鉄馬は一気にかきこみ始めた。
「......鉄馬、勇樹ばかりに頼るな」
「はーい」
 鉄馬の生返事は、明日も今日と同じといっているようなものだ。
 今度、きつく言って聞かせねばと考えていると、今度は鉄馬と目が合った。
 暫く見合う。
 すると、鉄馬は大事なものを見つめるような、優しげな眼差しになった。
 そんな眼差しで見つめられることに驚いた英輔は、ついっと視線を外す。
「あ、勇樹。今後の当番ってアニキに言った?」
「まだだよ。大事なことだから、鉄馬にいを待ってたんだよ」
「別によかったのに」
「駄目だよ」
「......食事当番のことか」
 ぽんぽんと飛び交う会話に、英輔は口を挟んだ。
 すると弟二人は顔を見合わせて、嬉しそうに笑う。
 そんな笑顔は、昔と一緒だなと無表情で考えていると、英輔の前に一枚の紙が差し出された。
 英輔は箸を下ろしてその紙を取り、目を走らせる。
「勇樹の方が料理が上手いから、基本は勇樹に任せようと思うんだ。もちろん俺も手伝うし」
「掃除とかは鉄馬にいの担当にしたの。サボらないでね」
「俺だってやるときはやるんだぞ!」
「これは...なんだ」
 笑いあう弟たちに、英輔は問いかける。
 料理・ゴミだし:勇樹、皿洗い・掃除・掃除:鉄馬と、項目がいくつか書いてある。
 ただ、それを担当するのが、殆ど弟二人に振り分けられているのだ。
 英輔の名前が書いてあるところには一文字だけ。
 『夜』と書いてある。
「それ、基本は火木土が鉄馬にいちゃんで、水金日が僕ね」
「月曜は、アニキの休みの日」
 にこやかに告げられても、英輔には意味がわからない。
 なので、その項目は無視することにした
「料理や掃除も、私もやろう。週代わりでどうだ」
「いいよ、たぶん夜が一番大変だと思うし。ねー鉄にい」
「だよな。アニキ仕事も大変そうだから、それ以外の負担は少なくしてやりたいし」
 けなげなことを口にする二人に、英輔は無言で眼鏡のフレームを動かす。
「夜とは、なんだ」
 紙をテーブルに置いて、とんとんと指先で叩く。
「えっと、エッチのこと」
「セックスだよ」
「......」
 二人の口から出たオブラートも何もない言葉に、英輔は目を見開いた。
「な......」
 まだ子供と思っていた二人から出た衝撃の発言に、言葉にならない。
 フリーズしている英輔を横目に、鉄馬は驚異的な速さで朝食を食べ終えると立ち上がった。
「んじゃ、行くよ」
「あ、僕ももう出る」
 既に朝食を終えていたらしい勇樹も、慌しく学校に行く準備を終える。
「ま、待て!」
 ほうけていた長男は、慌てて玄関まで二人を追いかけた。
「なに英輔にいちゃん」
「アニキ?」
 二人に視線を向けられて、英輔は無意識に視線をそらす。
 手持ち無沙汰なせいか、眼鏡のフレームを触ってしまう。
「その......さっきのことは......」
「言っとくけど、今日は僕が相手だからね。少しぐらいなら遅くなってもいいけど、遅くなりすぎるのは駄目だよ」
 勇樹が可愛らしく首を傾げる。
 そんな勇樹に、鉄馬は唇を尖らせた。
「お前、あんまり激しくすんなよ?多分アニキ初物だし」
「わかってるよぉ。でもホントに僕が貰っちゃっていいの?バックバージン」
「まあ、勇樹にだったら許す」
「ありがと、鉄にいちゃん」
 目の前の会話が理解できない。
 英輔は、呆然と二人を見ていた。
「あ」
 その視線に気付いたのか、勇樹がわざわざ履いた靴を脱いで廊下に上がり、英輔の首元に手を伸ばす。
「曲がってるよ、英輔にいちゃん」
「あ、ああ......」
 ネクタイを指しての事だろう首元に手を伸ばされる。
 直すのかと思ったが、勇樹は英輔のネクタイを掴むとぐっと引き寄せた。
 ちゅ、と頬に何かが押し当てられる。
「えへへ。行ってきますの、ちゅー」
「あ、ずりい!俺も俺も!」
 騒ぐ鉄馬が、勇樹がキスした方とは反対側の頬に唇を押し当てる。
 英輔は脳内が真っ白になった。
「逃げたら、お仕置きだよ?」
「大丈夫。俺たち上手いから、アニキは気持ちいいだけだって」
 それぞれ左右から吐息と共に吹き込まれる声に、英輔の鉄面皮が剥がれた。
「な、な......ッ」
 驚愕を浮かべた表情でよろよろと後ずさり、壁に当たる。
 そのまま、ずるずると座り込んでしまった。
 二人の弟は、そんな英輔に顔を見合わせて笑う。
「んじゃ、いってきまーす!」
「いってきます!」
「き、気をつけてな......」
 普通に見送ってから、英輔は二人が言っていた言葉を反芻する。
 そしてはっとして、鉄馬と勇樹が出て行ったドアを睨んだ。
「あいつら......俺をからかったな......!」
 帰ってきたら、これは二人にきつくお灸を据えなければならないと、英輔は心の中で決める。

 その日の夜。
 よもや言葉通りに弟たちに襲われ、組み敷かれることになるとは、今の英輔はまだ知る由もない。


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