フェイマス・グラウス
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人気のない荒野に建つ寂れた屋敷。
元はこの地を開拓するために、奴隷を引き連れた富豪が建てたものらしい。
だが今は日の光を嫌う生き物の住処だ。
私は首から下げていた十字架を強く握り、これから神の元に向かう者たちのへの冥福を祈った。
人の生き血をすすって生きる闇夜の世界の者は、神の前で裁かれなければならない。
そして神の前まで引きずり出すのは私の役目だ。
砂煙を避けて、フードを深くかぶった私は無言で屋敷を眺めた。
空には煌々と輝く太陽。遮る雲はなにもない。
懐には愛銃のピースメーカーが忍ばせてある。
人を殺すこともある凶器を聖職者たる私が持つことは本来ならば許されなことだが、闇の者を払うには致し方がない。
だができるだけ使うことは避けたいところだ。
錆びた鉄製の門を蹴ると、その衝撃だけで金具が吹き飛んで門が倒れた。
堂々と中に入り込んだ私はじっと地面を見やる。
たいてい、奴らは自分の生まれた土を入れた棺桶を持っていて、それを地下に隠し持っていることが多い。
今頃はその中で就寝中のはずだ。
私は斜めがけに持っていた鞄の中から筒を取り出す。導火線がついたダイナマイトだ。
胸か頭を銀の弾丸で撃ち抜くなんて、金もかかりすぎる。
頭も心臓もなしに吹き飛ばせば、さすがに不死身の生き物だろうが死んでしまうことだろう。
それに奴らの寝床である棺桶が吹き飛んでしまえば、その身を隠す場所はなくなる。
そうすればヴァンパイアは体を休めることができない。
私はこの手段で何体ものヴァンパイアを葬ってきた。
この地での退治は初めてだが、どこにいようが弱点は一緒。
ふっと息を吐いて気合を入れ直す。
今回は特に失敗が許されない。ご依頼をされたのは大司教様なのだ。
何事も慈愛に満ちた優しい方で、孤児院育ちの私にも優しくしてくれた。
あの方の心の曇りを晴らすためなら私は命さえ厭わないだろう。
私は葉巻を口にすると、靴裏でマッチを擦って火をつけた。
葉巻を嗜む趣味はないけれど、これは時間を計るのにちょうどいいのだ。
赤く火をともす葉巻に導火線を近づけて火を移す。マッチでつけるよりこの方が手が開くから楽でいい。
これが吸いきるまでにすべてを片づけてみせる。
特有の匂いとともに導火線が燃えていく。
私はそれを手に早足で屋敷に近づくと、窓を割って部屋の中に放り込んだ。
この周辺に人間がいないことは確認済みで、この屋敷も持ち主が所有を放棄した為にヴァンパイアどもの住まいになっている。いくら壊しても問題はない。
私はすぐさまきびすを返して壁へと身を潜ませた。
轟音と爆風。
少し強めの風が煙を吹き飛ばすと、三分の一が吹き飛んだ屋敷が露わになった。
運が良ければすぐに奴らの姿が見つけられるかと思ったけれど、さすがにそう簡単にはいかない。
まあいい。ダイナマイトはまだたくさんある。
私はダイナマイトに葉巻から火を移すとをつけると、それも屋敷に向けて放り込んだ。
二度目の爆音。
私はピースメーカーを手にしながら、もう一つダイナマイトを取り出す。こちらは多少火力を落としてある。
葉巻から灰を落としながら、ゆっくりと半壊した屋敷に入り込む。
意外に丈夫な屋敷だ。外側から投げつけていても埒があかない。
できるだけ足音を立てずに素早く奥に進む。
そのまま地下を目指そうと思ったが、不意に変なところから音が聞こえた。
「二階......?」
半壊した屋敷の残った左側。その二階から音がする。
それに気づいた私は顔をしかめた。この屋敷に人間が居ないことは教会の者が確認したはずだが、昨晩ヴァンパイアが餌として人を連れ込んでいたとしたら別だ。
ヴァンパイアに囚われただけの被害者を、ダイナマイトで吹き飛ばすわけにはいかない。
仕方なく私は方向転換をして、半分吹き飛んだ状態の階段を見つけると、身軽に残った部分を上って二階の部屋に向かった。
その物音は近づくにつれ、大きくなる。
何かが連続して軋む音。......それと、人の声、らしきもの。
その時点で私は足を止めた。
断続的に続く声は、もっとも私が忌むものに近い。
耳を突く、嬌声。
ヴァンパイアにとって、吸血と性行為は切っても切り離せないものだ。
逃避を防ぐために快感に酔わせてがんじがらめに捕らえてしまう。
......実に不愉快だ。
意に染まぬ行為を無理強いする闇の住人に殺意すら覚える。
私は足音をたてずにゆっくりと歩き出した。
最中に踏み込むのは気が進まないが、私が屋敷を吹き飛ばしたことは気づいているだろう。
にも関わらず、行為を続けることにヴァンパイアの余裕を感じて嫌になる。
「ぅあっ、あっ、あっ、ん......そこ......ッ」
ドアが爆発の衝撃で歪み、隙間が開いたままだ。そっと私は銃のグリップを握りなおす。
葉巻の灰が大きくボロッと落ちた瞬間、強くドアを蹴り退けて私は部屋に踏み入った。
分厚いカーテンに太陽の光が遮られて見難いが、部屋には二人いた。
私に向けて背を向けているのはしなやかな筋肉の男。振り返った目つきは鋭く、口元には牙が覗く。
こいつがシーバスか。
ヴァンパイアの中でも最強の力を誇り、幾人もの神の使徒が返り討ちに合った。
仲間の仇と大司教様の心の曇りを晴らすために、私の愛銃が火を噴く。
銀の弾丸は吸い込まれるように男の心臓を貫いた。
「なっ......」
身動きを止めて驚いたように目を見開く。その視線の先は自分の胸に向けられていた。
銀の弾丸で打ち抜かれた傷は塞がらず、男の胸と下肢を濡らしていく。
その向こう側で小柄な影が動いた。性行為を強要された被害者だろうと気を抜かずにそっと足を進めると、男の身体が揺らめいた。
「っ、てめっ、ちょっ、おい!」
「ん?何?」
血を口から垂らしながら、揺れる男が慌てたように声を出す。
すると、そんな男の腰を細く白い手が支えた。見たくもないのに男とその相手となった者の腰元に纏わりついていたシーツが退かれる。
私もヴァンパイヤと同様に目を見開いた。
「えっ」
男は大きく足を開き、下からの突き上げに身をくねらせている。
み、見たくもないのに、男の双丘を割り、本来ならば排泄にしか使用されないはずの箇所に剛直がねじ込まれているのが見えてしまう。
「っシィ、バス......! お、俺撃たれたん、だぞ?! やめる、とかっ、反撃っとか、ぁ......!」
「えー?」
男の言うことはもっともだった。
だが、下から突き上げる振動は止まらない、らしい。
ぐちゅんぐちゅんと粘膜が擦られて嬌声が上がった。
声が低いとは思っていたが、よもや男の出したものだとは思わなかった。
私がいるにも関わらず、更に攻撃を受けたにも関わらず続けられる情事。
「シーバスっ......っシーバス!」
ぐらっと男がふらつきかけた途端、小柄な影が身を起こした。
紫色の瞳に、艶やかな金の髪。整った幼い顔。
微笑まれて私は背筋がゾクッと震えるのを感じた。
「ちょっと待ってね。僕、もうちょっとでイクから」
よりふた周りも大きな男の身体を難なく支え、下から激しく突き上げながらなんでもないことのように告げる。
「っは、あっ......ああ......はやくっ......」
「僕、奥に出したいなあ。いい?」
「いっ......いいから、早く......っう」
「うん。じゃあいっぱい注いであげるからね」
「んっ.........っあああ、ぁ......!」
男が背を仰け反らせた。少年の首筋にまで白い体液が飛ぶ。
弛緩した男が仰向けに倒れこんだ。
「ひゃっ」
思わず私は後ずさってしまう。身体を隠すものもなく、局部まで完全に見てしまった。
小柄な少年はその男を追いかけるように身を倒して胸に開いた傷を舐める。
「んーあまっ。やっぱジェイの血は美味しいね」
にこやかに告げる少年。
男よりも、この少年の気配の方が怖い。底知れぬ闇を内側に抱えている。
ごくっと喉を鳴らすと、男がゆっくりと私を見た。
「ねーちゃん、あとでその胸揉まして」
「はっ?」
「駄目だよジェイ。揉むなら僕の胸を揉んで」
「やだよ。お前まっ平じゃん」
「......」
少年は男の手を掴んで、自分の胸に押し付けている。鬱陶しそうに手を払われ、少し悲しげに肩を落とした。
「つか、俺普通のヴァンパイアなら、かんっぜんに死んでると思うんだけど」
「ジェイは僕の血を飲んでるからね。そろそろ昼間外に出ても大丈夫かもよ」
「俺は制限あったほうがいいんだけどな......ヴァンパイアだし」
「え?面倒でしょ。.........あっ、待たせてごめん!」
そろそろ、存在すら忘れられているのではないかと思うほど放置されていた私に声をかけながら、少年はいそいそと立ち上がった。
腰にシーツを巻きつける仕草は手馴れているが、若く見える外見と比べると違和感を感じる。
「君がフェイマス・グラウス? 名前から勝手に男かと思ってたけど、女性なんだね」
「!」
ヴァンパイアに名前を呼ばれて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。
咥えていた葉巻がぽろっと口から落ちる。
教会の仲間にも私はフェイとしか名乗っておらず、真名を知っているのは名付け親となった大司教様のみだ。
どうしてその名前をこんな得体の知れないヴァンパイアが知っている。
「ごめんねー驚かせて。僕がシーバス・リーガル。こっちは僕の奥さんで、ジョニー・ウォーカー」
誰が奥さんだ、と男が小さく呟いたが、シーバスは意に返さない。
にこやかに話を続ける。
「ダルウィニーから君を一流ののヴァンパイアハンターにしてくれって頼まれてさ」
「っ、だ、大司教様に......?!」
ダルウィニーというのは、私の敬愛する大司教様だ。高齢で足が悪く普段は教会から出ることはない。
このヴァンパイアの言うことはとてもじゃないが信じられなかった。
「嘘じゃないよ、まあ信じても信じなくてもいいけど、ね」
「っ」
朗らかに話していた少年が目の前から消えた。
慌てて視線を巡らすが、その姿が視界に入らない。するとベッドに寝そべっていた男、ジョニーが場所を示すように顎でしゃくった。
それと同時に身も竦むような殺気を向けられて、私は無意識に動いていた。
ぎぃんと金属が擦れる音がする。
頭上に上げた拳銃が振り下ろされた小さなナイフを阻んでいた。
「へえ、エリートなのは本当なんだね」
軽く笑った少年が次に繰り出したナイフは、とても素早かった。
目ではその動きを捉えているのに、身体がついてこない。
首に刺さる。そう思って死を覚悟した私は、その切っ先が寸でのところで止まったことに、黙って視線をめぐらせた。
「うん。まあ動体視力は合格かな」
「え......?」
「言っただろ? 僕は頼まれたんだ。まあ屋敷を壊されたことに関してはちょっと腹が立ってるけど、殺すにはもったいないからね」
シーバスはナイフをしまうと、男が寝そべるベッドに近づく。
どこか不機嫌そうなジョニーの髪に口付けを落とす。
「一年間だ。その間、僕にかすり傷でもつけられれば完了にしよう」
「な、なにを勝手なことを!」
「いや?なら今死ぬ?」
喉が勝手にひゅっと音を立てた。
ただ見つめられているだけなのに、心臓が動きを止めそうになる。
怖い。
これまで何度も命の危機感じたことはあったが、こんなに恐怖を感じたことはなかった。
この少年が怖い。
「うーん。まずはその恐怖心、克服できるかどうかだね」
「ふ、ふざけるなッ!」
心を見透かされ、私は自分を必死に奮い立たせて怒鳴った。
声が震えたが、それでも負けじと睨みつける。
「お前は、私が必ずこの手で倒す!」
「ふふ、楽しみに待ってるよ」
その余裕が憎らしい。けれど、今はこれ以上この場にいるにはリスクが多すぎる。ナイフを受け止めた拳銃は銃身が歪み、使えば指が吹き飛ぶだろう。
葉巻も消えた上に、ダイナマイト程度でこのヴァンパイアを倒せるような気がしない。
「くそっ!」
断じて逃避ではない。戦略的後退だと自分に言い聞かせて、私はその場を後にしたのだった。
部屋に残ったヴァンパイアたちはのんびりと会話を続ける。
「あー......おっぱい揉みたい。突っ込んで腰振りたい。なんかまともに女と話したのなんて、ここ何年もないんじゃねえの俺?」
久々に人間を見たジョニーが思わずぼやく。
「何言ってるの。僕に愛されることにようやく慣れてきたんだから、屋敷から出ちゃだめだよ」
身体は既に愛されることに慣れているが、心は向き合えるようになってきたばかりだ。
ここまでこぎつけるのに、人間であれば生まれて死ぬぐらいの時を過ごしている。
それでもまだ捨てられるのではないかと怯えを潜ませている愛しいパートナーに、シーバスはそっとキスをした。
「ジェイ、愛してる」
「......おう」
照れたように顔を背ける男に愛しさを感じたシーバスは、堪らずその首筋に牙を立てて血を吸い、ジョニーに思い切り顔面を殴られたのだった。