3月-4

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 外に飛び出ると、軽自動車が大学の裏手側にある駐車場に、止まっていたのがわかった。
 自動車から少し離れた、植え込みの側にしゃがみ込んでいる篠崎と目が合う。
 蚊帳の外に出ていた男は俺を見て笑った。
「あ、終わりました?」
 ヤツはのほほんと立ち上がって、俺に近づいてくる。
 俺は軽く首を振って後ずさった。
「隆介!捕まえろ!逃げんな智昭」
 薫さんの声に、俺は一度振り返る。
 俺を追いかけて降りた薫さんに、きつい眼差しで睨まれた。
「え?」
 わけがわからない、といった表情の篠崎は、それでも薫さんの言うとおりに動いた。
 つまりは俺を捕まえる、という行動。
 前後を挟まれている状態で、左右に視線を走らせる。
 こっちは、建物で行き止まり、じゃ、こっちに......。
 そんな瞬時の判断。でも、それでも長身の男の方が動くの早かった。
 走り出した俺の腹に、篠崎の腕が回る。
「わ」
 そのまま、俺は薫さんの恋人に抱っこされるように持ち上げられてしまった。
「は、なせ!」
 拘束する腕を外そうとするが、現役大学生の力に、社会人1ヵ月未満の力では適わない。
「どうしたんですか」
 篠崎は俺を抱き上げて、駆け寄ってきた薫さんに尋ねる。
「いや、それが......」
 どう説明してよいのやら、と薫さんは考える仕草をした。
 今だ。
 俺の身体を抱き上げる男を見上げて、背伸びをする。
「なッ」
 驚いた、篠崎のまんまるな目。
 俺が押し付けようとした唇は、男の唇に触れる前に突き放された。
「智昭?!」
 声から、俺は薫さんも驚いているんだと察する。
 顔を見る余裕はなかった。
 また篠崎に捕まらないうちに、突き放された手が俺の動きを妨げないうちに、逃げる。
 ばあか!俺が野郎になんてキスするかよ!
 べえっと舌を出したい気分だ。
 まあ避けてくれなければ当たってたかもしれないが、それは事故だと思うことにするから別にいい。
「なに逃してんだよッ!」
「そんなこと言ったって」
 恋人同士が諍う声が、遠くなる。
 俺は、まんまと逃げおおせた。



 すっかり暗くなった夜道を歩く。
 これでよかったんだ。と、俺は1人笑った。
 和臣は......俺に、会いたくないんだから。
 まっすぐ家に帰る気にもなれなくて、俺は公園に立ち寄る。
 よく、和臣と一緒に来た公園だ。
 緩やかなコンクリートの滑り台の横っ腹に開いた、子供がくぐるだけの穴。
 2人で入った時のように、今日は1人で入り込む。
 足を抱えて座って、俺は壁に寄りかかった。
 硬い。ここってこんなに居心地悪かったっけ?
 湾曲したトンネルの側壁は、頭も当たって座りにくい。
「......」
 居心地が良かった理由を思い出して、俺は泣きそうになった。
 ああそっか。俺、アイツに寄りかかってたんだ。
 柔らかくて暖かい壁に寄りかかってたから、居心地良かったんだと思い当たる。
 ふわりと抱きしめられる感覚を思い出して、俺は膝に顔をうずめた。
 時々、このどうしようもなく揺らぐ心を、なんとかしたい。
 早く早く。......慣れればいいのに。
 ポケットに押し込んだままのケイタイが、ぶるぶる震える。
 着信のようだが、今は誰とも話したい気分じゃなかった。
 画面を見ることもなく取り出して、電源ボタンを押す。
 一時的に明るくなったトンネルの内部も、ケイタイの電源が落とされたことで、また暗くなった。
 明かりは薄っすらと中に入り込んでくる公園の街灯ぐらいだ。
 ......そろそろやめないとな。こんな感傷。
 そう思いながら、俺は動けなかった。



「っくしゅ!」
 さすがに、3月の夜は冷える。
 手足の感覚がない。ずっと膝を曲げていたから動かすと、関節に違和感を感じた。
 時間を確認しようとして、ケイタイを取り出す。
 電源を入れてみて、驚いた。
 留守電17件。メール、24件。......着信36件。
 見てみると、薫さんが大半。留守電には兄からのも、家からのもあった。
 時間を見てみて納得する。
 もう11時だ。仕事を始めてからは殆ど真面目に帰っていたから、心配したんだろう。
 背中を曲げたまま立ち上がって、トンネルから出る。
 伸びをすると、背中が変な音を立てた。
 とりあえず、家には電話するか。
 散々怒られることは目に見えているが、それでも連絡しないわけにはいかない。
 数少ないアドレス帳から『自宅』を呼び出す。
 発信を押そうとしたとき、ケイタイが震えた。
 無言でその画面を見つめる。
 知ってる、番号。一番に登録して、今は消した番号。
 でもこの11桁は、大事なものだから、忘れることなんてできなかった。
 しばらくなり続けたケイタイが電話を留守電に繋げた。
 ご用件のある方は~とお決まりの女性の無機質な声と、ピーッという発信音。
 俺は、息を詰めた。
『こんばんは、ともあきさん』
「ッ......」
 機械越しだけど、電波状態も良くないみたいだけど。
 入ってきた声に俺は膝から力が抜けた。
 早く電話に出ないと。
 そう思えば思うほど、身体が動かない。
 公園のど真ん中で腰が抜けて、座り込むなんて情けない。
 たぶん、人が通りかかったら俺を見て驚くだろう。
 ずりずりと這って、滑り台に寄りかかるので精一杯だ。
 それだけ俺が和臣に飢えていたんだと思うと、ホント涙で前が見えなくなる。
 1人でも大丈夫なんて、......こんな状態じゃ言えねえな。
 ケイタイを耳に当てて、和臣の声を聞く。
 俯くと、重力に従って目からなんか落ちそうだった。
『聞いたよ。今行方不明なんだって?』
 朗らかな声。でも、なんか違う。
 どう違うのかはわかんねえけど、少し、なんか。
 他人行儀な、気がする。
『家族の人が心配するから、早く帰ってあげてください。......今日、いけなくてごめんね』
 ......お前は心配しねえのか。
 そんな明るい声で、ごめんねなんて言われても気持ちが感じられない。
 和臣の声は、友人にかけるような親しみはあったが、心の篭もらないからっぽの声だった。
 無理やり言わされているような、そんな声。
『就職もしたんだってね。おめでとう。もう大丈夫だね智昭さんは』
 じわり。
 浮かんだ涙が、地面に落ちる。
 公園の砂が水を吸って、そこだけ黒くなった。
 俺の、名前。呼ばれてる気がしない。
 お前誰に電話してると思ってんだ。
『俺は普通。大学にもちゃんと行ってるよ。もうすぐ4年生だから、いろいろいそがしくなってきてめんど』
 ピー。
 そこで留守電が途切れた。
 しばらく待っても、またかかってくる気配はない。
 短い、電話だった。
「......」
 そろそろと息を吐いて目元を拭う。
 誰からか、和臣に連絡がいったのか。
 だからコイツは俺に電話してきたんだろう。......でなきゃ、寄越すわけない。
 ......帰るか。
 迷惑掛けたいわけじゃない。
 よろりと立ち上がる。
 手足に力が入らなくて、滑り台に寄りかかったまま深呼吸を繰り返した。
 早く帰ろう。
 もう考えるのも面倒だ。
 気力が一気に萎えていくのを感じながら、歩き出す。
 まっすぐ、いくつかある公園の出入り口の1つに向かっていたから、誰かが反対側からの出入り口から、入ってきたことに気付かなかった。
 気付いたのは、その人物が大声を出したから。


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