3月-5

Prev

Next


「なんだよッ!俺は電話したって!あとは知らねえから!!」

「え」
 荒れた大声。
 その声は、良く知ったもの。
 というか。さっきまで俺のケイタイに電話していた......。
 はっとして振り返る。人影は、見えない。
 あれ?俺、会いたいからって、幻聴まで聞くようになったのか?
 いよいよ精神まで危うくなってきたか、と頭を抱えていると、また声が聞こえた。
「俺がどこにいようが、あんたに関係ねえじゃんセンセ。つか早く探しに行けば?大事な弟なんだろ」
 棘のある声色。......それは、俺がさっきまで入っていたコンクリートの滑り台の横腹にあるトンネルから聞こえていた。
 反響しているせいで、言葉が少し聞き取りにくいが、俺が、ヤツの声を聞き間違えるはずは、ない。
 そっと戻って俺はトンネルの脇に腰を下ろした。
 中に入る気はない。顔を見せる勇気もない。
 でも、少しでも側にいたい。
 ......んなこと言ったら、笑われるかな。
 膝を抱えて座って、耳を澄ます。
 けして、盗み聞きするつもりはなかった。
 ただ少しでも側にいたかった。
 この偶然に、縋りたかった。
「はあ?知らねえって。あの日からもう連絡取ってないし。よかったじゃん。普通になったんなら。......そ。俺に言われても、もうどうにも出来ねえよ。切るから」
 和臣は苛立ちを隠さぬまま捲くし立てて、電話を切ったようだった。
 トンネルの中からは大きなため息。
「知らねえよ。......もう」
 ......。意外に、このトンネル、声を反響させるんだな。
 俺、和臣と一緒に、結構、変なことしてたんだけど。
 人気がないといっても、この中でじゃ、じゃれ......。
 今更ながら過去の自分に羞恥を感じて、俺は顔を火照らせた。
 俺が1人で百面相している合間に、和臣のケイタイには次の人物から電話が来たらしい。
 ぼそぼそと、今度は若干小さめの声が聞こえた。
「もしもし。......ほんっと、余計なお世話。もう終わったことを引っ張り出すのやめろよ。...............なに泣いてンだよ。俺、変なこと言ってねえじゃん薫」
 さすがに、離れているせいで通話相手の声は聞こえない。
 だが、その会話の内容から、相手は誰かわかった。
「怒鳴んなって。お前そんなに俺らのこと、考えなくていいよ。旦那と幸せになってりゃ......って、びっくりした。鼓膜破るつもりかよ。少し落ち着けって。......あーはいはい。んじゃな」
 おざなりに答えて、和臣はこの通話も終わらてしまう。
 静寂が場を支配する。
 寒い。
 俺は手をすり合わせて、ふーっと息を吹きかけた。
 いつまでいる気かな。
 つか、なんでコイツ、ここにいるの。
 その疑問は、すぐに解消した。
 和臣からかけたらしい、その電話で。
「えっと......怜次。今、いいか?」
 身体を縮めて、少しでも暖を取るようにして、和臣の声を聞く。
「ああ、......うん。悪かったって。ん。薫のことは、隆介がいるから大丈夫だと思うけど、うん。よろしく」
 やっぱ、仲いいなコイツら。
 羨ましいと思う心が疼く。
 もう、俺には関係ないのに。
「あ、うん。さすがに着替えとかねえから、そろそろ帰る。......や。それが、結構辛くて」
 ずずっと鼻を啜った音が聞こえた。
「昔に戻ったと思えばいいっかなーと思ってたけど、やっぱ辛い。へ、部屋とか、ともあきさんの痕跡あるからさあ......。いれねえよあそこ」
 震えた声だった。
 なんで、泣くの。
 ......俺までつられるじゃねえかボケ。
 ぎゅうっと、両手を握る。
「でも俺、思い出辿るようなことばっかしてさ。......うん、前に言ったろ、その、公園に来てる。手を繋ぐだけで満足しとけばよかったって、そんな後悔ばっかりしてる」
 はは、と力ない笑い声。
 それを聞いて、俺は奥歯を噛んだ。
 下手すれば声が出そうで、必死で堪える。
 無様な泣き声で、和臣に存在を気付かれたく、なかった。
 なんで、こんなに辛いんだろう。
 俺も......和臣も。
 心の中で自問する。けど、答えが出ない。
「わりいな、急にこんなこと言って。......うん。......ん」
 少し思いを吐き出して落ち着いた和臣は、怜次くんの声に耳を傾けてるみたいだった。
 声が小さくなって、聞こえなくなって。
 俺は、今のうちに深呼吸を繰り返す。
 少しでも落ち着こうとしての行動だったが、次に聞こえた言葉に、俺は呼吸を止めてしまった。
「休学、しようかと思って。......そ。離れれば、もう少しましになると思うんだ。さすがに退学はもったいないし......まあ、小野の家の金だから、俺はどうでもいいって言えばいいんだけどさ。......うん」
 漏れ聞こえてくる声は、とても重要なことを言っている気がする。
 離れる?今だって、会ってないじゃねえか。......わざわざ遠く、行く必要あんのかよ。
 ふーっと深く息を吐く。
 呼吸を止めていたせいで、余計鼓動が早くなった。
「あはは。そう?俺ってそんな風に見えてんのか。......まあ、否定はしないけど。でも同性同士ってだけでもともあきさんに負担、かけそうだし、悲しませたくねえし。......それに、あるし。.........俺さ、ホント」

 ともあきさんにはね、幸せになってほしいんだ。

 ふわっとくすぐったいほど、甘い声。
 ばかじゃねえかお前。他人にそんな声聞かせてんじゃねえよ。
 お前が俺を幸せにしてくれんじゃねえのか。......くそッ。
「俺?俺はこの一年近くの思い出で生きていく。ずっと好きなまんま、生きてい......うっせえな、これでも真面目に考えてんだよ。別れ話、したときだって、ともあきさんは平気っぽかったし、大丈夫。最後笑ってたから。あー......すっごく可愛かった」
 和臣の言葉に、俺は強く拳を握った。
 んだとコラ。てめえのためを思って、俺は笑って、たんだ、あの時。
 悲しみで揺らいでいた心が、赤く染まる。どちらかといったら、怒りの色だ。
 ひょっとして、間違いだったのか。
 あんなにあっさりと別れたのは。
 だって誰も......幸せじゃない。
 ざりっと地面を強く踏んで立ち上がる。
 ぐいっと手の甲で、濡れた頬を拭った。
 和臣の幸せは、どこにある。
 ......俺は。俺の幸せは......。

「ああちくしょうッ!!」
「?!」
 ずかずかと滑り台のトンネルに入って、中に座り込んでいた和臣を蹴る。
 俺は優しい人間だから、軽くあざが残る程度の力にしてやった。
「え、な......?」
 和臣は、何が起こったかわからないようだった。
 蹴られた衝撃で和臣が手放したケイタイから、怜次くんの声がする。
『おまえってホント、先輩好き過ぎ。薫が言った良性のストーカーって表現、あながち間違いでもねえよな』
 暗いトンネルの中で、和臣はぽかんと俺を見上げた。
 和臣を見つめ返したまま、ケイタイを拾って耳に当てる。
『ま、親父さんの起こしたことは、忘れたら駄目なことだとは思うけど、でもお前が全部背負うことは』
「背負うって何」
『はっ......?え、あれ』
 怜次くんは、急に声が変わったことに驚いたようだった。
 電話の向こう側で慌てふためいている様子を、感じ取る。
 だけど、今は怜次くんに構ってる時間はねえんだ、ごめんな。
「よくわかんねえけど。志穂ちゃん、俺んちの電話番号知ってるから、ちゃんと帰るから心配しないでって電話してくれるか」
『俺んちって、つか、なんで先輩そこにい』
「よろしく」
 プツ。......ツーツーツー。
 言いたいことだけ告げて、ケイタイを切る。電源も、落とす。
 それから、俺は和臣にケイタイを差し出した。
「あ、りがと......」
 和臣は、まだ心ここにあらずといった風情だ。
 驚いた顔のまま、俺からケイタイを受け取っている。
 和臣のケイタイが俺の手の中から離れた瞬間。
 俺はばかの胸倉を掴んで、引き寄せていた。
「ともあきさ」
「俺は」
 そこで区切って、息を吸い込む。

「俺は、お前が好きだから、別れろって言ったら別れる。女と結婚しろって言えばする。笑えと言えば、一生笑って過ごしてやるよ。幸せだって、言い張る事だってする。......けどな」

 ぐいっと更に近づけて、じろっと和臣を睨みつける。
「それは、お前が幸せなことが前提だ。......最後に聞いてやる。お前の幸せは、どこにある?」
 矢継ぎ早に喋ったおかげで、喉が渇く。
 見開いたままの、和臣の間抜け面。
 かっこいいんだから、そんな顔してんじゃねえって。
 和臣を見つめたまま、俺は微動だにしない。
 早く、答えろよ。
 焦燥ばかりが募る。
 だが、当の和臣はまだ状況がよく飲み込めてないようだ。
 視線を彷徨わせて、最終的には伏せてしまう。
 そして返事はない。
 ......けっ。
 決められないんなら、俺が決めてやる。

「お前の幸せは、俺だ」

 冷えきった手で、そっと和臣の頬を撫でる。
 指先が、濡れた。この指を舐めれば、きっと塩辛い。
 勝手に泣いてんじゃねえ。俺の許可を得てからにしろ。
「何を心配してるんだかしらねえが、ぐずぐずすんな」
 ふんと鼻を鳴らす。
 すると、和臣は力なく笑った。
 形の良い瞳に見つめられて、ほっとする。
「男前だね、ともあきさん。まいった、なあ......」
 話を聞かれていたのだと、ようやく悟ったらしい。
 少し悩むように俺から視線を逸らして、がりがりと頭を掻いた。
「でも、ね。本当に俺と一緒にいるとよくな」
「うるせえな。てめえに俺の幸せ奪う権利あんのか」
「え」
 戸惑う和臣の手を掴んで、握る。
 少し興奮したのか、コイツの手は素手にも関わらず、暖かかった。
 その手で俺の手を包ませる。
 俺の幸せは、お前と一緒にあるんだ。......早く気付け。
 暖かいと小さく呟くと、和臣は指先に力を入れて、俺の手を握ってくれた。


Prev

Next

↑Top