3月-6
「ともあきさん。俺は、最初に会ったときよりも、ずっと今の貴方が好きです」
じんわりと俺の手が暖まってきた頃、和臣は口を開いた。
俺は黙って男を見つめる。
「だけど、俺が一緒にいることで、ともあきさんに迷惑がかかるのは嫌なんです」
和臣は静かに目を伏せて、首を横に振った。
手を離されかけて、今度は俺が慌ててぎゅっと握る。
離すかよ。
「迷惑って、何」
「......俺が男で、ともあきさんが男であること」
「知ってる」
ばかかてめえ。そんなのとっくにわかってる。
知っててほだされて、好きになって付き合って。
俺だって今のお前が一番好きだ。
だから、一緒にいたいんだ。それのどこが悪い。
「ともあきさん。手、離して」
俺は首を振って、和臣が引きかける手を、更に強く握る。
このまま、繋がって離れなきゃいいのに。
「ご家族に知られたら、よくないでしょう」
和臣は、ふっと口元に薄く笑みを浮かべる。
どうでもいいけど、なんで敬語なんだよ。......距離を感じるじゃねえか。
ただ、和臣が言った言葉が、敬語以上に気になってしまう。
「兄、が、知ったのは知ってる。お前、生徒だったんだな」
家庭教師の、と口外に告げる。
「それ、お兄さんから?」
深く頷くと、和臣は少し押し黙ってしまった。
「アイツが、殴ったことも聞いた」
「......俺、昭宏さんに殴られて怖気づいたんです。だから貴方と別れたかった」
和臣は無表情だったが、声のトーンは少しぶれているように、聞こえた。
それは、本当のことか?
そう尋ねたいのに、言葉にならない。
強気になっていた心が、急に萎んでしまう。
俺に対する愛情より、兄や周囲の環境への影響を嫌がる気持ちが勝っていたら。
そう思うと何も言えなくなって、暗がりの中でただじっと、和臣を見つめ返す。
しばらく見つめ合ってると、和臣から視線を外した。
「もう、わかんねえ......俺、どうしたらいいのか」
和臣は俺の手を振り払って、うずくまる。
俺はそっと和臣を抱きしめた。
髪に顔をうずめて、俺は口を開く。
「一緒にいたい」
もしかしたら、俺は和臣に無理を強いているのかもしれない。
でも、これは俺の願いだ。
和臣の願いが、違うところにあるのなら、仕方がない、けど。
「......駄目ならいい」
俺の幸せ、お前持っていっていいから。
幸せになって。
そう、切に願う。
深夜になって、より寒さの増す公園。
うずくまったまま和臣は動かないし、俺も動けない。
離れたら、もうそれこそ触れる保障がないから、抱きしめていたかった。
今何時だろうとか、怜次くん伝えてくれたかなとか、そんな違うことを考え始めた頃。
和臣が不意に動いた。
「!」
驚いた俺は、和臣にしがみつく。
本能的にしてしまった、咄嗟の判断だった。
だけど、すぐに力を抜いて身体を離した。
怖いけど、和臣の気持ちが決まったんなら、俺はそれを聞かなきゃいけない。
視線を上げた和臣は、まっすぐ俺を見た。
その眼差しには迷いがなくて、俺の方が視線を逸らしたくなってしまう。
でも、耐えた。
俺は和臣の答えを待つ。
「愛してる。こんなに愛したのはあんただけだ」
暗くなった気持ちが舞い上がるような、そんな心境だった。
でも、俺が一番欲しい言葉は聞けてない。
『だからこそ別れる』そう続くんじゃないかと、俺は怯えた。
また冷えてしまった手を、自分で握る。
強張る俺の表情を見た和臣は、そっと俺の頬をなで、髪を撫でて、抱き寄せてきた。
冷えた手に手を重ねられる。
「ともあきさん、俺のこと全部聞いてくれる?......聞いた上で、判断して」
え?
「俺と一緒にいることにするか、それとも別れるか。俺は卑怯だから、ともあきさんに言わなきゃいけないこと、言ってないんだ」
言わなきゃいけないこと?
戸惑う俺の手を引いて、和臣はトンネルから出る。
公園の、明るい街灯を直に目にして、俺は目を細めた。
和臣は公園を出ると、そのままどこかに電話を掛け始めた。
......。
俺は繋がったままの手を見る。
和臣が先導して歩くから、俺は少し後ろを歩いた。
暖かい手に握られてる右手に、なんとなく嫉妬した。
「昭宏先生。俺です。ともあきさんと会いました」
1人でにやにやしてるところに聞こえて、俺の鼓動が跳ね上がる。
ちらっと見上げて、ケイタイが通話中の明かりを灯しているのを見つける。
俺、昭宏に引き渡されんのかな......。
きゅっと、心臓が収縮する気がした。
「全部、話しようと思うんです。なんで、終わったら迎えに来てあげてください。......いえ、家にはいません」
怒鳴り声が、和臣のケイタイから聞こえる。
俺なんかが怒鳴られたら、すぐに硬直してしまいそうなシロモノだ。
「ともあきさんの行動を決めるのは貴方じゃなくて、本人自身でしょう。......はい。............はい」
でも、と和臣は続けた。
繋ぐ手が、強く握られる。
俺はその手にもう片方の手を重ねた。
冷たいだろうけど、少しでも勇気付けられるように。
「ともあきさんの幸せは、俺にあるそうです。だから俺が、幸せにしたい。そのために話をするんです。......どう転んでも、ともあきさんの幸せを願ってんのは、俺も同じです。......あんただけじゃねえよ!」
声が荒げられて、びくっとしてしまう。
振動が繋がった手から通じたのか、和臣は俺を見て『ごめん』というような仕草をした。
そのあと和臣は、二言三言、兄と会話を交わして電話を切った。
「俺んち、行こう。見せたいものがあるんだ。......俺今日歩きだから、悪いけどタクシー使うから」
きっぱり言い切られた。
金のことで少し揉めかけたけど、和臣は早く家に行きたいと言って、頑として聞かなかった。
和臣は、コンビニから駅までの道を歩いていたらしい。......付き合う前によく、歩いた道を。
呼んだタクシーはすぐに、来た。
車内に乗り込んで、それほど短いようで長い時間、揺られる。
その間、会話はまったくなかったけど、繋がった手が心を近くしてくれた。
もう深夜。
思ったより車の振動が気持ちよくて、少しうとうとしてしまった。
手も握られていたから、なんか安心して寝やすかったようだ。
「着いたよ、ともあきさん」
起こされて、和臣より先に車を降りる。
会計を済ませるのを、俺は眠気を覚ますために目を擦りながら見ていた。
振り返った和臣が、そんな俺を見て少し笑う。
なんだてめえ。やんのかコラ。
俺は、無意識に唇を曲げていたらしい。
タクシーが遠ざかる音を聞きながら、和臣に軽く下唇を引っ張られた。
触んじゃねえよばか。
ばしっと手を払うと、更に笑われる。
「可愛いアヒル口。キス待ちされてんのかと思った」
「ばか、じゃね」
視線を逸らし、和臣の前を歩く。
エレベーターに乗り込んで、ヤツの部屋へ。
「俺の部屋、散らかってるから覚悟してね」
そう軽く言われたから、別れ話を切り出されたときのような部屋の状態を想像していたら、違った。
「......」
本当に汚い。
あちこちにコンビニの袋とか、カップめんの残骸とか、脱ぎ捨てたままの服とか。
う、今ガサって言わなかったか?あっちの方で......。
ぞくぞくぞくっと、背筋が震える。
このきたねえ部屋のどこに、俺のいた痕跡があるんだよ。
そう考えて。
和臣が俺のいた痕跡を消そうとして、わざと汚くしたのだと、ふいに思い立った。
......ばかめ。
きゅっとなった胸に軽く手を当てて、俺は息をそろそろと吐く。
動揺には気付かない様子で、和臣は俺の肩を叩いた。
「その辺りに座って待ってて」
和臣が指差した『その辺り』というソファーを見やる。
服の山で、座れそうにない。
それを訴えようと思ったが、和臣は既に別の部屋に移動していたようだ。
ガタガタと物音と気配を感じながら、とりあえず俺は腰を下ろして服を畳み始めた。
皺になってるじゃねえか。俺だってこんなに自分の部屋汚したことねえぞ。
衣類別に畳んで積み上げていく。
「なにやってんの」
ソファーの前に正座してせっせと畳んでいたら、戻ってきた和臣にそう突っ込まれた。
手には、布に覆われた大きな板のようなものを持っている。