11月-3

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「どうぞ」
 サークル棟の一室。
 篠崎は俺を招き入れて、パイプ椅子に座らせるとすぐに出て行き、暖かいコーヒーを買って戻ってきた。
 俺はあまりサークル活動してなかったから知らないが、こう鍵が開いててすぐに入れていいものだろうか?
 手が冷えていた俺は、ありがたくそれを受け取る。
 両手で握って、手を温める。
 火傷しそうなぐらいの熱に、少しほっとした。
 それで、話ってなんだ。
 ちらりと視線を篠崎に向ける。
 男は淡々とした表情で、俺を見つめ返してきた。
 なんとなく、篠崎が抱えたウサギの被り物にまで見られているような気がして落ち着かない。
「話っていうか、お礼を言いたくて」
 お礼?......コイツに何かしたっけ?
 首を捻ってもわからない。
 俺が無言で考えていると、篠崎は言葉を続けた。
「貴方が小野先輩と付き合ってくれたから、諦めた薫が他にも......俺にも目を向けてくれたんです」
 うあ。呼び方が変わってる。
 前は俺と同じで『薫さん』って呼び方をしていたような記憶がある。
 くそう、こいつ......。
 低い声で語る男を、俺は羨ましそうに見てしまった。
 俺だって、きっと、呼べるはず。
 ......そのうち。
 心の中でさえ、そう言い訳をつけてしまう俺は、やっぱり意気地なしか。
「ありがとうございました」
 1人落ち込んでいる俺を他所に、そう言って篠崎は頭を下げた。
 そんなことされる謂れのない俺は、慌てて首を横に振る。
「言われるほどの、ことじゃ」
「俺が言いたかっただけです。こんなところまで連れてきてしまってすいません」
 きちっきちっと喋る篠崎。
 俺が話す隙がない。
「薫が、今にして思うと小野先輩はずっと貴方しか見てなかったんだって。けど、付き合う姿を見たらようやく踏ん切りついたって言ってました」
 ん?今にして......?
 篠崎の話すことに、少し違和感を感じる。
 けれど、それをどういう風に伝えていいかわからない。
 俺が微妙な表情で見つめていると、篠崎は目を細めた。
「あまり、喋らないんですね」
「......よく、言われる」
 違和感を問いかけるタイミングを逃してしまった俺は、無意識に入っていた肩の力を抜いた。
 貰った缶コーヒーを一口飲む。
「ああそっか。あの時は小野先輩がいたから、良く笑ったし、話してたんですね」
 今気付いた、というように、男は何気なく呟いた。
 手持ち無沙汰にコーヒーを飲んでいたところで、そう付け足された俺は思わずむせ返ってしまう。
「ッ......ゲホ!」
 おま......なんてこと言いやがる。
「だ、大丈夫ですか?」
 自分が言ったことで俺が動揺したのだとわかった男は、慌てて近づいてきて背中を擦ってくれる。
 何度か咽たあと、俺は口元を拭いながら、そっと篠崎を見上げた。
 口を開くが、それを聞くのはなんとなく躊躇う。
 だが結局、俺は呟くような声で尋ねた。
 尋ねながら、視線は床に落とす。
「そ......に」
「え?」
「そんなに、違う、か?俺の、態度......」
 アイツがいるのと、いないのとだと。
 自分でも恥ずかしい質問をしているような気がした俺は、ぼそぼそと低く小さな声を出す。
 そわそわと、指が缶を撫で回すのを止められない。
 立っている篠崎から、俯いた俺の顔は見えないはずだが、それでも顔に熱が集まるのがわかる。
 俯いたままだったから、篠崎がどこか微笑ましそうに見ていることに気付かなかった。
「ええ。すごく、仲が良いんですね」
「......」
 もう、頭から湯気が出そうだった。
 いやもう出てるかもしれない。
「小野先輩に会いに来たんですよね?連れてきてすいません。人前で話す内容ではないと思ったんで......。先輩なら、さっきの屋台群の中で、クレープ焼いてますよ。案内します」
 そう言われて、俺は無言で頷いた。
 篠崎の顔を見られないまま立ち上がる。
 「よっと」そんな掛け声をして、篠崎はウサギの顔をかぶった。
 先に出たウサギ篠崎を追いかけてサークル棟の一室を出る。
 やっぱり鍵をかけなくていいのかという疑問をよそに、俺は付いていく。
 足が速いわけではないが、振り返らずに進むから、俺は咄嗟にウサギの着ぐるみの、少しもたついたウエストの部分を掴んだ。
 歩みがぴたりと止まる。
 何、案内してくれんだろてめえ。
 じっと様子を伺うと、篠崎はウサギの頭をずらして、俺の顔を見、それから俺の手を見た。
 しばらく手を凝視されたので、思わず離してしまう。
 するとウサギ頭を被り直した篠崎は、かすかに笑ったようだった。
「手でも繋ぎますか」
 くぐもった声とともに、手を差し出される。
 俺は少し考えて首を横に振った。
 だって、アイツに会いに行くのに、ウサギと手を繋いでたら笑われる。
 また歩き出したウサギの、今度は尻尾を掴む。
 ふにふに白いファーの尻尾を揉みながら歩いていると、篠崎は今度は明らかに笑っていた。



「小野先輩、います?」
「え、あ、ごめん。今休憩中。どっかそこらへんふらついていると思うよ」
 クレープ屋の前で、でーん立った大きなウサギが尋ねる。
 篠崎の身長の高さと、その異様な威圧に、出店でクレープを焼いていた男は若干びびったようだった。
 わたわたと慌てながら教えてくれる。
「そうですか。......どうしますか?」
 ウサギが振り返る。
 そっか、いねえのか。
 俺は少し首を傾げて考えた。
「薫さんは?」
「薫は、小教室でネイルサロンやってます。そっち行きますか」
 うむ。
 こくんと頷くと、ウサギはまたもや歩き出した。
 俺はそのあとを付いていく。
 薫さんがいるというその小教室は、結構盛況なようだった。
 『ただいま30分待ち』と書かれたプレートが教室の前に出ているのを見て、篠崎は軽くため息をついた。
「ずっと、忙しいみたいなんです」
 中を覗いてみると、確かに客と店員になってる学生が一対一で会話しながらネイルアートをしている。
 薫さんも見つけたが、仕事中、というような様子で声を掛けられる雰囲気ではなかった。
「薫、結構これに意気込んでて、俺の足とか手とかも実験台にしてたから」
 なに。
 俺は振り返って、ウサギをまじまじ見た。
「......今は、ネイルされてませんから」
 なんだ。つまらん。
 興味を失った俺はさてどうしようかと考える。
 一度は会わずに帰ろうかとも思ったが、こう会えねえと、逆に会いたくなる。
「あ」
 ウサギが窓の外を見て声を上げたのを聞いて、俺も何気なく視線をそちらに向けた。
 とたん、大きな白い手に視界を覆われる。
 何しやがるてめえ。
 顔の大半をもふもふしたウサギの手で覆われてしまい、俺はぎゅっと手首を掴んで引き剥がそうとした。
「えっと、か、薫呼びましょう!きっともうすぐ休憩だったような気がします!」
 なんだそのあやふやな言い方。
 無理やりに薫さんがいる小教室に連れ込まれそうになる。
 けど、その瞬間にウサギの手がずれて、片目だけ視界が広がった。
 視線の端に、窓の外が見える。
 詳しく言えば、外にいる面白くなさそうな顔をして歩く男と、男と腕を組んで話しかける、女が目に入った。
 男は良く知った顔だったが、女の方は知らない。
「薫!」
 焦った声で薫さんを呼ぶ篠崎に、俺は小教室に連れ込まれて、その一瞬しか小野を見ることが出来なかった。


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