一陣-4

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 すでに食べ始めていたらしい祖父に父母、それにさっさと夕食に箸を伸ばしている姉とそれから俺の甥でもある一人息子の知春がいた。姉は知春と近くのアパートで暮らしているが、距離が離れていないためにちょくちょく夕食を食べにくる。
 伊津美は若いころにデキ婚で結婚した後、破局した旦那とは全く連絡を取っていない状態で、両親のサポートを得ながら息子を育てているのだ。
 今日も知春は学校から直行でうちに来たらしい。
 家族で夕食を取ることには異論はないが、うちはそれほど広くはない。ダイニングテーブルも同じくだ。
 五客しかない椅子は、全て埋まっていて俺の席はなかった。
「幸兄、ここいいよ」
 俺と目が合うと、知春は飯をかき込み、自分の食器を持って立ち上がった。
「ああ、悪いな」
「ううん」
 にっこりと笑った知春は、食器を流し台に置くとすぐさま戻ってきて俺にずいっと手を差し出す。
「なに?」
「俺の席譲ったんだから、お駄賃」
 今年の春で高校に入学したばかりの甥は、明らかに姉の子供だった。
 お駄賃じゃねーよボケ。場所代請求するなんて、お前はどこぞのヤクザか。
 とは思いつつも、俺は実に知春に甘かった。
「しょうがねえな。どうせコンビニ行くんだろ」
 何しろ知春は俺にそっくりなのだ。一緒に出かけると十中八九兄弟に間違われる。釣り目気味な瞳と薄い唇などのパーツが確実に俺との血のつながりを感じさせた。
 純粋に家には俺より年下がいなかったので、兄貴風を吹かせたかったのもあるが、俺はよく知春の世話をした。知春も俺に懐きよく俺について歩いたのだ。これを可愛く思わないはずがない。
 身体は未だにひょろりとしていて線の細さを感じさせるが、これからが成長盛りだろう。
 スラックスの尻ポケットに突っ込んだままだった財布から、一枚の夏目漱石を取り出して渡す。
「ありがと幸兄! 母さんちょっと出かけてくる!」
「遅くなりすぎないようにしなさいよ」
 伊津美がもぐもぐとご飯を頬張りながら息子を見送った。
 テレビのバラエティ番組を見ながらの食事は、和気あいあいとしていて少し騒がしいほどだ。そんな中で食事をしていた俺は、社長の言葉を思い出していた。
「神の御使ってやめらんねえかなあ......」
 そのつぶやきは、誰かの笑い声で消え去ってしまうかと思いきや、その場を凍りつかせるのに大いに役立ってしまった。
 一気に家族の視線が自分に集中して、俺は肩をすくめる。
「ちょっと、あんた......」
「幸彦、それは本気で言っているのか」
 声を荒げかけた伊津美を遮るように大抵のことでは怒らない父が、静かに俺に真意を問う。手に持っていたご飯茶碗を置いて、厳しい眼差しを向けてきた。
 父の言葉に母はおろおろと動揺を現し、伊津美は静観の構えだ。最近ちょっと物忘れが激しくなった祖父だけは、テレビを見ながらご飯を食べ続けている。
「ただでさえ、もううちには御使はお前と伊津美しかいないんだ。そう簡単に辞めたいなんていうもんじゃない」
 幼少の頃から言い聞かされていた、豊葦原の神への服従。......うんざりする。
 伊津美は瑞穂国の隣国、秋津国で神の御使をしている。
 ぶっちゃけて言えば、うちの家族は一族みんなで神の御使だ。
 誰がどの神の御使になるかは生まれたときに決められる。
 幼少の頃から気の練り方や呼吸法を習い、七歳になって初めて豊葦原に召喚され、それから四二年間務め上げると役目を終えて、只人に戻るのだ。
 祖父と亡くなった祖母、そして父はもう既にお役目を終えている。母だけは傍系からの縁で結婚したので、この風習があることは知りつつも御使になったことはなかった。
 その昔の人のように一生海外に出ることのない生活だったら、俺だってこんなに悩まない。でも、世界はもっと広いんだ。
「簡単に言ってるつもりはない」
「じゃあどういうつもりなんだ」
「俺は実生活の方がよっぽど大事なんだよ。......今日、会社でベトナムに出来る新しい工場に行かないかって言われたんだ」
 少し迷ったが、今日言われたことを素直に父さんに説明した。大きな契約が取れたこと、俺が会社に期待されていること。自分も行きたいなら行きたいこと。
 だが、それの答えはあっさりしたものだった。
「ベトナム? 海外になんて行けるわけないだろう」
「行けないなんて会社に言えるかよ」
「じゃあそんな会社やめなさい。命のほうが大事だろう」
 そんなの、わかってる。
 確かに昔はそれで恩恵を受けていたかもしれないが、今じゃあどこにでもあるごく普通の家庭に過ぎない。
 俺が言いたいことを半分も言えずに押し黙ると、父は大きくため息をついた。
「止む終えない形で戦争に行った大伯父さんに天罰が下った話はしただろう」
「知ってるって。はい、もうこの話はやめ! ちょっと愚痴っただけじゃないか。......知春なんかは気楽でいいよな」
「幸彦!」
 僻みがつい、にじみ出てしまった。ぼやいた俺に父の叱咤が飛ぶ。
 本当は姉の子である知春も同じように御使としての役目を背負うのだが、なぜか七歳になる前に用意していた現身となるはずの置物が消失した。
 あれは自分の命と同じ扱いなので、なくなったために知春は七歳を迎える事ができないのではないかと、家族で戦々恐々としていたが、結局問題もなく今日まで過ごしている。多少の怪我はあっても、命を脅かすような怪我や病気はなかった。
 知春は豊葦原に行くことができなくなったから何も教えていない。小さい頃に多少修行はしたが、うちの一族の習慣はもう覚えていないだろう。
 うちの家族はまず『御使』の役目が有りきなのだ。父から見れば知春は初孫なだけあって愛情は注いでいるように見えるが、それでもどこか一線を置いたように冷めた目で見ることもある。厳格だった祖父が年を取ってだんだん丸くなるにつれて、父は逆に威圧的になってしまった。
 今では知春がいる前では、暗黙のルールのように豊葦原の話を出さない。他人に話すべからず、というその昔の契約の一部を守っているのだ。行ったことがなくとも知っている母は別として、知春は身内としては不適合者という扱いなんだろう。
 でも、それも今の俺には酷く羨ましかった。
 西埜女と会って話しているときは楽しいし、敬われるのは優越感が刺激される。自分がいることによって命が救われたり、幸せになることがあることも知っている。
 その立場で満足できればいいかもしれないが、それでも、やっぱり今は俺の夢を阻害する嫌なしきたりにしか思えなかった。
「飯、もういいや」
「幸彦、待ちなさい!」
 もう夕飯を食べる気にならない。
 さっさと切り上げるつもりで立ち上がると、また怒鳴られたが止まらなかった。
 もう二八にもなるのだ、自分のことぐらいは自分で決めたい。
 ......かと言って、内容がわからない天罰を食らってまで夢を貫ける自信もなかった。
 やりきれない気持ちのまま、部屋に戻る気になれないでそのまま玄関へ向かう。
「待ちなさいと言ってるだろう!」
「お父さん!」
 玄関まで追いかけてきた父を無視して外に出る。母さんの声が聞こえたから、押し留めてくれるだろう。
「わかってんだよ俺だって......愚痴ぐらい口にしたっていいじゃねえか」
 イライラと呟きながら目的もなく早足で道路を歩く。静かな住宅街はところどころに街灯があるのみだ。
 このあたりは元は三科家の土地だったそうだ。もう自分のものじゃないのに、未練がましく同じ場所に住まなくてはいけないのも嫌になる。
「あーあ! ちくしょう!」
「......幸兄?」
 近所迷惑でも構うものか、そう思って怒鳴ると、脇道から声を掛けられた。
 ひょっこりと顔を出したのはコンビニに出かけたはずの知春だった。よく見ればその手にはコンビニのビニール袋をぶら下げている。帰り道だったのだろう。
「こんなとこでどうしたんだよ?」
「何でもねえよ」
 今はちょっと、知春と話をしたくない。方向転換し掛けて、動きを止める。
「もしかしたら父さん機嫌悪いかもしれねえから、さっさと家に帰っとけ」
 話したくないと思っていても、わざわざそんなことを知春に教える俺はやっぱり知春に甘いんだろうな。
「なんだ、喧嘩かよ」
 小さな声で笑った知春は、ごそごそとコンビニ袋を漁るとなにかを取り出した。
「しょうがねえから俺の好物分けてやろう」
 ずいっと目の前に差し出されたのは、コンビニスイーツのプリンだ。
「お前なー......俺の金で買ったもんだろうが」
 軽く小突くと知春は声を立てて笑う。その無邪気な様子を見ていると、いつの間にか肩に入っていた力が抜けていた。
 こいつを羨んだってどうしようもないんだ。そのことをあっけなく理解する。
「うわっ! やめろよもー!」
 プリンを受け取って、俺は知春の頭を撫でる。
 案の定知春は嫌がったが、撫でられて髪がぐちゃぐちゃになりやすい俺よりも、ストレートでさらさらとすぐに元に戻るその髪の毛は本人の気質そのままだ。
「ありがとな」
 微笑んだ俺の表情から何か感じ取ったのか、騒いでいた知春はきゅっと唇を閉じると、俺の服の袖を掴んだ。
「戻んないんなら、俺も付き合うけど」
 じっと見上げられて、複雑な気持ちが沸き上がった。
 一二歳も年下の甥になに慰められてんだっていう情けない気持ちと、気遣われることへの嬉しさ。
「......お前って本当に、伊津美の子供とは思えないほどいい子だな」
「だろ? 一時間千円で手を打ってやるから」
「お前......」
 抜け抜けと言い切って差し出した知春の手を残念な気持ちで叩いた俺は、知春と一緒に近所の公園まで移動した。
 ベンチと滑り台とブランコしかない至ってシンプルな狭い公園だ。知春が小さい頃はこの公園の滑り台が大好きで、よく伊津美の代わりに引率をしていたことを思い出す。
 昼間なら座ることが出来ないブランコに、二人で並んで座ってプリンを食べた。
「で、どうしてじいちゃんと喧嘩したの」
「まあ方向性の違いっつーか、なんつーか......俺、今の会社で海外で働く話があったんだけど、反対された」
「え、幸兄海外行っちゃうの?」
「行かねえよ。反対されたって言っただろ」
 食べ終わったプリンの容器をコンビニ袋に突っ込んで、俺はブランコを揺らす。キイキイと小さな音がやけに大きく聞こえた。
「じゃあ諦めるの?」
「......諦めたくないから、こうして足掻いてんの」
「ふーん......説得すりゃいいんじゃん? 何が問題なの」
 説得って、気軽に言ってくれるなこいつ。
 俺が睨めつけると、知春は首をすくめてプリンをかき込んだ。
 たとえ万が一父を説得できたとしても、行って天罰を食らうのは俺なのだ。それを考えると結局は諦めるしかない。
「俺も応援するよ」
「そういう問題じゃなくて......」
 頭を抱えた俺に、知春の戸惑った気配が伝わってきた。
「俺じゃ説得力ない? なら母さんとか......あ、その会社の上司に話に来てもらうのはどう?」
 的はずれな知春の言葉は、俺の左耳から右耳へと通り抜けていく。
「説得するの......そんなに大変かなあ......」
 親父の説得は大変じゃねえんだよ。大変なのはもっと大層な相手だ。なんたって神様相手なんだから。
 諦め気味にそう考えて、俺の思考は一瞬止まった。
「...............それだッ!!」
「えっ、なに、どれ?」
 急に声を張り上げた俺に、知春は見るからにびくうっと身体を跳ねさせて狼狽した。
「そうだよ! 説得してみりゃいいんだ! どうせ駄目元なんだし!」
 そうだ。あなたの御使を辞めさせてくださいって聞くだけなら無料だ。駄目だと却下されるかもしれないが、どんな条件なら可能かを聞いてみるだけでもいいはずだ。
 どうしてそこに気づかなかったんだ。
「ありがとな知春!」
「う、うん......」
 いきなりテンションが上がった俺に、知春は若干引き気味だ。
「説得したらって......俺ずっと言ってたよね......?」
 訝しげな表情を浮かべた知春を他所に、俺は天か下りてきたクモの糸を見つけた気がした。


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