そのよん-3

Prev

Next


「春樹ッ!!」
 博也ががらりと春樹の教室のドアを開け放つと、体操着から制服へと着替えをしている生徒たちの視線を浴びた。
 そんな視線に怖気づく様子もなくずんずんと中に入り、博也は春樹を探す。
 だが、見当たらない。
 よもや、前の時間に倒れて保健室に運ばれたなどとは思いもよらない博也は、とたんに不機嫌になった。
「あいつ......逃げたのか」
 イライラと爪を噛む仕草を見せる博也は、なにやら殺気立ってるようにも見える。
 そのせいで遠巻きにされ、事情を説明しようとしない。
 放っておいたら誰かに噛み付きそうな勢いの博也に、着替えの終わった山浦が口を開いた。
「つっじー保健室だよ」
「保健室?怪我でもしたのか」
 驚いた表情を浮かべる博也に対し、山浦は眼鏡をかけながらため息をつく。
「むらやん、ちょっと来て」
「ああ?なんだよ白豚。俺お前に用ねえよ。うせろ」
 山浦を睨むながら低い声で告げる博也に、傍に居た生徒の方がびくつく。
 だが山浦は堂々とした態度のまま、先立って歩き出す。
「つっじーに関することだから、来た方がいいと思うけど?」
 振り返って声を掛けると、あとは博也の様子を見ることなく先に教室を出て行ってしまう。
「......」
 唇を尖らせて面白くないといった表情で、博也は山浦を追いかける。
 2人がいなくなった後の教室は、緊張の糸が途切れたようにざわつき始めた。


 無言で前を歩く山浦に付いて歩く博也。
 その道筋から、博也は春樹がいるという保健室に向かっているのに気づく。
 するといてもたってもいられない博也は、山浦を追い越して保健室に向かって駆け出した。
「むらやんッ!」
 山浦は、隣を凄い勢いで通り過ぎる博也の首根っこを掴む。
「ぐっ......」
 襟で首がしまり、博也は変な声を上げた。
 苦しさに足を止めると山浦も手を離す。
「ゴホ、てめえ......いい度胸じゃねえか。いよいよミンチになるしかねえぞ」
 むせながら鋭い眼光を向ける博也に、山浦は肩を竦める。
 それから周囲を見渡して、人気のないことを確認してから口を開いた。
「つっじーね、倒れたの。栄養失調らしいよ」
「な......だからアイツ食えって言ったのに!ああもう、今度無理にでも食わせてやる!」
 息巻く博也はそのよほど腹に据えかねたのか、壁を蹴って喚く。
 心配している様子は山浦にも伝わるが、それ以上に山浦も腹が立っていた。
「......なんかお腹ん中で、せーしと混ざるのがいやだから食べないって言ってた」
 静かに告げられた山浦の言葉にぴたりと動きを止めた。
 博也に凝視され、じっと見返して更に続ける。
「むらやんさあ......つっじーに無理強い、してないよね」
 とたんに、博也の今までの勢いがなくなり視線が揺れ始める。
「べ、つに、無理にさせてなんか、俺......」
 ショックを受けた様子でしどろもどろになる博也に、山浦は淡々と諭す。
「ああして平気そうに見えるけど、結構ストレスあるんじゃないかな」
「......」
「むらやんも、つっじーがわがまま聞いてくれるからって、無理させたらだめだよ」
「..................もしもだけど」
 ぐっと拳を握って俯いた博也は、ぽつんと呟く。
「もしも、万が一、絶対ないことだけど、あるわけねえことだけど、100パーないけど」
 ぶつぶつと呟き続ける博也に、口を挟まずに待つ山浦。
 ふっと視線を上げた博也は、頼りなく泣きそうな表情をしていた。
 あれだけ威張り散らした男の悲しげな風貌に、山浦はぽかんと口を開ける。
「俺、嫌われてたら、どうしよう......」
「え。好かれてると思ってたの?」
 ぐさ。
 見えない言葉の矢が、博也の胸に刺さった音が聞こえた。
 歯を食いしばった博也の瞳に、見る見るうちに涙が溜まる。
「だって、アイツ、俺のこと、好きって言ったし、あ、愛してるって......」
「え、ちょっと待って、落ち着いて」
 想定外だ。山浦は博也が怒るか、それとも自分の忠告を鼻で笑い飛ばすものだと思っていた。
 全てを見たわけではないが、あれだけ好き勝手に春樹のことを扱っておきながら、嫌われているかもしれないということでこれだけ動揺するとは思わなかったのだ。
「むらやん、つっじーのこと好きなの?」
「......好きじゃねえよ。アイツが俺のこと好きなんだよ」
 震える声で博也が告げる。目元を手で隠してしまったために表情は良く見えない。
「くそっ......なんで俺ばっかアイツに振り回されてんだよッ!」
 がんと壁を殴る博也に、山浦は困ったように頬を掻く。
「とりあえず、つっじーのこと行こ。謝ろう」
「......俺悪くない」
「良いからほら!」
 山浦はぐずる博也の腕を引いて、保健室のドアを叩いた。
 すぐに顔を覗かせた保健医に、春樹の見舞いに来たことを告げる。
「授業始まるわよ」
 保健医は困った表情を見せたが、俯いたまま泣いているような様子を伺わせる博也と「どうしても今話さないと駄目なんです」と言い募る山浦に負けて、室内へと受け入れた。
「すいません。少しの時間でいいんで、僕らだけにしてもらっていいですか?」
「......しょがないわねえ」
 10分ぐらいにしてあげてね、と皺のある顔で苦笑を浮かべ、保健医は理由も聞かずに部屋を出ていった。
 山浦が交渉しているうちに博也はカーテンの引かれた内側に入り込んでおり、そばにあった丸椅子に座っていた。
 横たわる春樹の顔をじっと眺めている。
 やはり、前より薄っすらと頬がこけている。
「つっじー、具合悪いところごめんね。少し話せる?」
 声を掛けた様子のない博也に、山浦が軽く春樹の肩を揺すった。
 すると、うっすらと目を開く。
 まず揺すった山浦を見、次いで視線を巡らし博也を見た。
「......ひろのなきむし。またごかいされたのか」
 焦点の定まらぬまま舌ったらずに呟いて、春樹は手を伸ばす。
 大きな手で、ぽんぽんと頭を撫でた。
 途端にぎろっと春樹を睨んで、優しく撫でるその手を弾く。
「っな、泣いてねえよッ!春樹の馬鹿寝ぼけんな!!」
 そのまま勢いを持って、博也は春樹の頬を手の平で叩いた。
「ちょっとむらやん!」
 止めに掛かる山浦を押しのけて、博也は春樹の上に跨る。
「お前なんで倒れてんだよッ!誰に許可得たんだ!飯食えよ!馬鹿ッ!」
 胸倉を捕まれ、がくがくと揺さ振られた春樹は瞬きをし、光の灯った眼差しを博也に向けた。
「すまない」
「すまないじゃねーよ!馬鹿!俺のことが好きって言え!」
「好きだ。愛してる博也」
「馬鹿ッ!心がこもってねえよお......」
 ぎゅうっと掴んだ胸倉に、そのまま博也は顔をうずめる。
 春樹は肩を震わす博也を戸惑ったように眺め、それから改めて山浦の存在に気づいた。
「博也は、いったいどうしたんだ?」
「心配したんだよ、つっじーのこと」
 複雑な心境を滲ませる山浦に対し、春樹は驚いたような表情になった。
 胸に顔をうずめたまま身動きすらしない博也に、そっと尋ねる。
「博也、心配してくれたのか」
「......してねえ......」
 顔も上げずに篭もった声で答える博也にも軽く頷いて、また山浦に視線を移す。
「してないらしい」
 真顔の春樹に、山浦はぽかんと口を開けてしまう。
 その一方であっさりと否定を受け取った春樹を、顔を上げた博也が切なそうに唇を噛んで見つめた。
 素直になれない博也と、どんなことも素直に受け取るようになった春樹を垣間見て、2人を見る山浦は頭痛に襲われる。
 なんとなく状況がわかってきた山浦は、軽く息を吐いた。
「つっじーさ、むらやんの言葉、全部額面通り受け取ってる?」
 問いに対して、春樹は無表情で見返す。
「どういう意味だ」
「なんだろうこの脱力感......」
 もしかして部外者の自分が、一から説明しなければいけないのかと、山浦は肩を落とした。


Prev

Next

↑Top